サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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夢の集大成、大阪万博 
万博と言えば岡本太郎の「太陽の塔」だったり、「コンニチハーコンニチハー」
と着流しで歌う三波春夫が思い浮かぶが、私はまだ5歳だったので実際は
よく覚えていない。母が、「お父さんがすぐに消えてしまう」とボヤいていたのを
記憶しているくらいだ。そう、アメリカ館だの中国館だのと、
一度の来場ではとうてい見きれないほどのたくさんのパビリオンがあって
父はきっと私たちの存在を忘れ、目を輝かせて次々と見て回っていたのだろう。

広島出身の夫もそういう思い出を語っているほどだから、きっと全国の
ちびっ子もそこに集結していて、私たち夫婦も会場ですれ違っていたかもしれない。

その、耳にこびりついたっきり離れない「1970年の、こんにーちはー」は、
吉永小百合や坂本九、あげくには「てなもんや三度笠」までが
歌ったというが、やはり頭の中を何度もめぐるのは、あの歌声以外ありえない。

展示物のなかには現在普及しているものもあるが、してないものも多い。
たとえばサンヨー館では、「人間洗濯機」というのが展示されていたらしい。
さらし首のように顔だけマヌケに出したら、あとは洗濯機が全部洗ってくれ、
乾燥までしてくれるなんて、人間どこまで怠けたら気がすむねん!ってハナシだが
これも普及しそうにない。せいぜい食器洗い乾燥機があるくらいだ。

きっと「テレビ電話」あたりも出ていたのではないか。子供の頃こういうものを
試して、誰もがこうした機械を使う時代はもうすぐそこに迫っているような
気にもなったものだが、どうしてなかなか、その通りには変わらないのだ。
第一、機械が小さくなっていくことはあれ、そんな大きな電話
ウサギ小屋のどこにも置くところはない。だけど誰もが浮かれた気分だった
ので、そんなことはどうでもよかった。

手塚治虫などのマンガで描かれていた近未来と今とを比べても
「待てよ?西暦からすると、もうとっくに過ぎてるはずなのに
話が違うじゃないか」と、大して変わっていないことを思い知らされる。

あのモノレールみたいな車はどこを走っているんだ。
かえって大人たちは揃って昔を懐古しちゃっているじゃないか。

だけど何か「人間はここまで夢が見られる」というスケールを
あのとき見たんじゃないかな、と思う。夢見る力はどこの国の人間も同じ。
そして博覧会は跡形もなく消え、太陽の塔だけが今もそびえている。

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どこか河内のほうにあるような気がしてならないが確認されていない。
どおくまん作、『嗚呼!花の応援団』の属する架空の大学である。
この漫画は日活などで何度も映画化もされたが、単行本を何冊も読んだ者から
すると、予告編を見ただけで「うまく再現されていそうにない」と思った覚えがある。
まだ「河内のおっさんの唄」でも聴いていたほうがイメージが湧くくらいだった。

まず青田赤道(名前に色が2つも入っていてうらやましい)というキャラクターを
誰がやってもピンとこないのだ。それらしき俳優がそれらしく演じてはいるのだが。
キングサイズのベッドのような、四角い、ごっつい体格で、大きな応援団の
旗を掲げてひたすら立っているストイックさと、すぐに手が出る気の短さの
同居した親衛隊長、青田とその後輩たちを描いた一応「学園マンガ」だが、
学園という語感からくるさわやかさは、当然みじんもない。

ここには応援団や体育会系の部の新入りというものがどれほど非人間的な
扱いを受けているかが密かに描かれている。
しかし批判はそのままつきつけられずに、ギャグ、下ネタ、暴力ネタで
コーティングしてあるから、そっちだけに目を取られて、暴力について
ゲーム感覚で捉えることを懸念される可能性はある。

この漫画の主役というべき一回生の後輩が、先輩たちにボコボコになぐられ、
ビンタされ、流血して、それはすさまじいことになってゆく。
自分たちは応援団など入るはずじゃなかったんだ、なぜここでこんな仕打ちを
受けているのか! 何を言っても答は遠い山のかなたにかき消されていくよう…

そう、南河内という幻の地名には、「誰も助けに来てはくれませんよ」という
救われない囁きが込められているのかもしれない。そうじゃなければ
このヘンピな響きはなんなのだ。

青びょうたんのごとし一年生が、自分の身体より大きな旗を「絶対落とすな!」と
言われ、ふらふらになりながらも命がけで持ち続ける場面など印象深い。

この漫画でのワルは団長以下の3バカトリオで、いつも何かを企んでいる。
青田は暴れはするが、一匹狼的スタンスで一回生をさりげなく助けてみたり、
みすずという奇怪な女性に一途に愛されてみたり、そしてそれを何より
恐れていたり、と「人助け」「女にはめっぽう弱い」他の意外性がある。

ワルが目も当てられぬマヌケ面で山盛りにつみあげられたその上で、
青田が「クエックエックエッー!」とポーズを取るとき、読者は胸のすく思いがする。
それはちょうど時代劇で、「おぬしも悪よのー」「いえいえお代官さまほどでは」と
ほくそ笑んでいた、わかりやすいワルたちがやられる場面を見るのと似たものだろう。
しかしこんな(山盛りの)場面からして、やはり映画での再現は難しいはずだ。

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ミス花子の「河内のオッサンの唄」という歌に出てくるオッサンは、
話しの末尾に「ワレ」と言わないと落ち着かないようだ。

途中でカカアが出てくるが、オッサンの横暴な命令に
「ウチかって、忙しいんやで、ワレ!」と答えるところがあって面白い。
女性が使うとはこちらは夢にも思わないからだ。

ワレの次に多用されるのが「やんけ」という言葉で、これは個人的には
関西弁の中では好きなほうだから耳障りがいいが、しまいに
「やんけーやんけーそやんけ、ワレ!」と唄が投げやりになってくる。
そして今度は「ワレーワレーワレー、そやんけ」と、あれあれ向こうから戻って
きちゃった、という具合。ただし最後のそやんけ、は少し寂しそうになっている。

同じように「おんどれ、何さらしとんぞ」も、元気なのと寂しげなのが混合している。
ちなみに「何さらしとんぞ」は、「何してけつかんねん」とは似ているようで違う。
何が何だかわからないが、これが河内のオッサンというものかな、
と変に納得したりもするのだ。

そんな河内のおっさんが一箇所だけ江戸っ子になるところがある。
「男ッちゅうもんはな、酒も飲んじゃってさ、競馬もしちゃってさ、」と
気の小ささを江戸っ子になることでカムフラージュしているかのようだ。
そこでは、「てやんでぇ、べらぼうめ、やんけー!」と
「やんけ」だけが守り神のように健在である。

そして最後は少々こぶしを利かせ気味に
「河内のーオッサンのうたー、河内のーオッサンのうたー」と、
呆けたようになってくりかえし、最後だけはびしっと、
「かわちの、おっさんのうた!」と、はっきり発音してジャンっと締める。
少し前に流行った着流しのギター侍のようでもあって、
男らしい残像だけが残るというしくみでかっちょいい。
河内のオッサンとは、あなたのことかもしれない。

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京都のCMと舞妓さん 
ついでに京都の懐かしいCMをもう一本。
京都テレビ、というのは残念ながらあまり見たい番組がないのである。
番組表を見て「あ、これ見たい! 久しぶりだなーこれほどまでに
心から見たい! と思う番組に出会うのはー」、とワクワクして見ると
それらはすべて「テレビ大阪」枠だったりするから、もうがっかりしてしまうのだ。
なぜって、京都では「テレビ大阪」は見られないからである。

そんなわけで普段は見ることもない京都テレビで、昔よく放映されていたものに、
舞妓さんの出てくる「西村の衛生ボーロ」がある。
今はもう放映されていないが、ユーチューブで久しぶりに見てみた。

このボーロというしろもの、しっかりした味の好きな現代人には、赤ん坊にさえ
見向きもされなくなっているのでは、というほど素朴な味のお菓子なのだ。
なにせ「乳ボーロ」という言い方もあるくらいだから、飲んだことはないが母乳
の味に近いという雰囲気なのかもしれない。
そこに「衛生」という言葉をつけて売っていることでますます、
赤ちゃんにも無害ですよ、という印象を与えるのだろう。
いらんことを言えば「汚いもの」も食べて赤ん坊は大きくなるのだが…
ま、それはともかく、このような赤ん坊向きのイメージのお菓子を、
このCMでは大の舞妓さんたちが大喜びでパクつく、という
そう思うと無理のある設定だ。

舞妓さん2人がキャッキャッとたわむれているそこへ、「およばれやす」と
おやつのときを知らせる声。「待ってました!」とばかりに2人は戯れをやめ、
いそいそと集結する。誰も「なんやボーロか…」などとは言わない、
置屋のしつけのいきとどいた素直な舞妓さんたちだ。

しかしまた改めて見てしまえば、この2人は、どこかボーっと魂の抜けたような
舞妓さんらしい操り人形ぽさの「まるでない」、ちゃきちゃきの江戸っ子風情で、
顔も何だかキリッとしていて下手なこと言えない感じだ。
唯一、舞妓らしさを再現しているのは「オオキニおかーさん」という
きれいに揃った棒読み風のしゃべり口調か。

「イヤ、西村の衛生ボーロやわ」「うち大好きどすねん」と小首をかしげて
ポーズをきめるのだが、最後までシャキシャキ感は新鮮なままだ。
だけどここはしっかり発音して商品名を明言しなければならない大事な
ポイントだから、のんびりしている場合ではないだろう。だから
これでいいのだ(バカボンパパ風に)。
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滋賀のCM、つづき! 
同じく印象に残るのは、びわこ温泉「ホテル紅葉」である。
どこまでも果てしない海と違い、しっかりと「ここまで!」という果てのある湖は、
なぜにこれほど、さびれた郷愁を呼び起こすのか。

「誰かが、小石を、また投げたー」という演歌調の歌をバックに、湖の上を、
モーターボートでもなく、ヨットでもない、何の変哲もない
渡良瀬舟が、ポツンと浮かんでいる。それがまた湖という風景に
憎たらしいほどマッチするのだ。

ここに一発「スコーン!」という、北島三郎の「与作」に使う効果音を入れても
案外よさそうな感じだ(何がだ?)。

そう、小石のひとつも投げたくなるよな。
だって宿泊してもそれしかすること見当たらないし。
こちとら渡良瀬舟さえ持ってないしね…

部屋のキーが大写しになるが、このキーで入る部屋というのがまた
「紅葉」ならではなんだろう。湖畔のコテージでもなくモダーンなホテルでもない、
温泉旅館ホテルにぴったりじゃないか…

ヒステリックなまでに悲しく、力をふりしぼってコブシをきかせた、
ラストの「ホテルこーおーーよーおおー」には、昨日の黒沢の捨て身に通じる
何かがあった。これが近江魂というものなのだろうか。
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滋賀のCMと黒沢年男 
「パルナス」つながりで、もう少し関西系CMについて語らせてもらおう。
よく浪花の商人、という言い方をするが、それは「近江商人」の流れた先に
花開いたものかもしれないのだ。
「たかしまやーのローズちゃん、バラの包みのたかしまやー」のデパートの高島屋も
(あのお尻と顔をツン、と突き出したローズちゃんご存知だろうか。ペコちゃんポコちゃん
ではないが男の子もいるのだ。名前は知らないが…)、そして大丸も、
近江商人が創業したらしい。

そういう意味で(?)滋賀県人というのはちょっと油断ならない感があるのだが、
「オウミ住宅」という、しつこく関西地方で流れているCMに起用されているのは
「時には娼婦のように」を歌った黒沢年男だったりするから「狙いはなんだ?!」と、
またもや油断もすきもない感じを与える。

「おうみ住宅くろさわさーん、一緒におどりましょー」と男声コーラスが始まってしまえば、
そこは黒づくめのチョイワル親父系ファッションでハスにかまえて、しかし、そこはかとなく
「どうしようかナ」という戸惑いと恥じらいも含んだ様子で座っている黒沢も、
「あソレ!」を合図にいきなり立ち上がり、悲しいほどに激しく、
今まで築き上げてきた一切をかなぐり捨てたように踊りだすしかないというわけだ。

それは「こういう筋書きだったのか」と思わせるほどの感動編だったのかもしれない。
だって黒沢はあんなにも、何かに取り付かれたように一心不乱に踊っている。
何が彼をここまでにさせるのか。「時には娼婦のように」のヒットから始まった
イメージにそれほど嫌気がさしていたのだろうか。
時には娼婦のようにではないが、時には建築現場にいるようにヘルメットと地下足袋を
はいて。ありがとう黒沢年男、あなたは何かを捨てて何か大切なものを教えてくれた…



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甘酸っぱい記憶と言えば、この関西系CMもそうである。
というより、むしろ「怖い」思いをしたと言ったほうがいいだろう。
なんたって、意味もなくたくさんの赤ちゃんの顔が
次々と画面に映し出されながら、ふるえたような女声で
「そっと噛み締めてごらん、マーマのあたたかいこころがー
おくちのなかに、しみとーるよー」と、
切々と物悲しく歌い上げてくるのだ。こわくないだろうか。

ふと、ずんちゃっちゃ、ずんちゃっちゃという3拍子のメロディーが流れ、
「あまいーおかしのー、おくにーのたよりー、おとぎーのくーにの
ロシアーの、ゆーめのことりーがはこんでくれたー」とマイナー調がつづく。
頼りない歌声を支えるように、しっかりした男声コーラスが地盤を固めてゆく。

そしてパルナスはなんと、モスクワの味がするのだそうだ。
どんな味だったのだろう。
アニメ番組「ムーミン」を見る際、いつも流れていたCMだったが、
食べたことはないので、いまだに味は謎のままだ。謎と言えばすべてそうで、
なぜロシアなのか、なぜ赤ちゃんなのか、いまだに誰も語ろうとしない。

きっと実際に食べたことがないのは私だけではなかったはずだ。
ああ関西人にとっての永遠の幻のおかし、パルナス。
モスクワの味、食べてみたい…




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