サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
page top
スポンサーサイト 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
東京あっての大阪 
「負けたモンが勝ち」…その言葉に私は大阪を感じた。
それはきっと東京に対しての大阪、である。
彼らはいつも東京を意識していたのだ。
だから独自の文化もしぶとく発展していった。

アホ、チビ、デブ、ハゲ、ビンボー…大阪発祥のギャグは、
人の弱点を大っぴらにし、丸裸にする。
それも東京に対してのアンチテーゼだったのかもしれない。

弱点をいざ大っぴらに日の下にさらされてみると、
すでにあるもの自体は恥ずかしいことじゃないと気づく。
じゃあ恥ずかしいことって何だ?
本当に恥ずかしいことは他にあるんじゃないかと。

そうやって、大阪は負の役柄を引き受けてきたのだ。
だから本来、大阪が幅をきかせて主流になるのはおかしい。
だからといって最初から「主流を目指していない」というのではウソがある。
目指してなければ意識もしないし、またそうでなければ進歩もないだろう。
もっと発展したい、それはあたりまえだ。
「日陰でいい」なんて目を伏せていたら、だんだんいじけてくるに違いない。

ただ、大阪の文化は「いい人」を目指さなくていいと教えてくれる。
「負けるが勝ち」もありか、と発想の転換をさせてくれる。
いい人を目指したら、空気読みすぎの「いい日本人」になってしまうだけ、
なのかもしれない、じゃあ「悪い人」を目指してみようか、などと。
そうすれば「抜け道」も見えて来るのではないか。

自分は純粋でも何でもないのに、ひたすら純粋さを求める「求道の人」ほど、
実はその方が生きやすいのかもしれない。
なぜなら、それを言うなら「悪」のほうがまだしも純粋だから。
純粋な善など人間にはないから。

「いい人が救われるのに、悪い人が救われない、なんてことがあろうか」と
親鸞も言っていたじゃないか。

役割を認識したとき初めて、「日陰がいい」と思えるのではないだろうか。


スポンサーサイト



copyright © あんな人・こんな人ナナメ読み all rights reserved.
Powered by FC2ブログ
custamize&material by
http://flaw.blog80.fc2.com


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。