サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
page top
スポンサーサイト 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
おせっかいは禁物 
昨日ドラマにかこつけて「目を覚ませ!」とは書いたが、同じようなことは、
たとえばキリスト教系(?)のある団体だって言っている。
「目覚めよ!」という冊子を見たことがあるだろう。
詳しくないが、目覚めてみたらそこは天国だった、というケースもありそうだ。

私は以前、教会に通っていた(先の団体じゃないが)。しかし礼拝以外の、
婦人会などと称して、みんなである特定の個人のことを祈ったりすることが
苦手だった。私なら自分のいないところでこんな風に祈られたくはない。
悩みの歓迎されるここに通うとだんだん骨抜きにされそうだ、と。

そんなことに端を発して次第に教会員の考え方、ひいてはキリスト教団体の
それに疑問を持ち始めたのだが、それでも、今思うとそうして集まって癒されることが
必要な時期、だって人にはあるのだ。

私にはもうその時期は必要ではなくなった、だけなのかもしれない。
要するに自分さえ持っていれば、どのような団体でも自分のために活かせばいい。
そしてその、自分を持つことが「目を覚ませ!」という意味だ。

だから何も、天国で夢見ている人にゆさぶりをかけて起こさなくてもいい。
時期が来たら目覚めるかもしれないし、目覚めないかもしれないけれど、
それが生きるカテになっているのなら、どうこう出来るはずがない。

一方、昨日「天使になれなくても生き延びろ」とも書いたが、
だからといってどんな悪いことをしてもいいわけがないのはもちろんだ。
それでもたとえばジュリーがいつか「濡れ手に粟の者は、いつか破綻する」
とライブトークで言っていたように、原因があって結果があるのだから、
他人はその者に対して何もする必要はない。
私が正しく導いてあげようなんて、おこがましいことだ。
自分だって明日の命も知れぬチンピラなのに。

つい人にちょっかいを出したくなることはあるが、そこは抑えなければならない。
ジュリーが後輩に対する接し方について本で語っていたように、
「向こうからアドバイスを求めてきたら、おせっかいにならない程度に相手をすることは
ある」でいいんではないだろうか。

ダメになるのならダメになる理由がある。それを人間の力でどうこうできるものではない。
ニーチェ流に過激に言うなら「ダメになりそうな者がいれば、そっと背中を押してやれ」
(慰めてやれではなく突き落とせの意)。
それぐらいでちょうどいい、他人がそれ以上のことをして彼の時間を無駄にしてはならない、
ということなのかもしれない。

それでも生きてさえいれば、その人間はいくらでも希望が持てる。
発想の転換をすることも可能だ。
だからとりあえず生き延びろ、というわけなのだ。
自分に正直にしなやかに生きていれば、いつしか、弱さもしたたかさになるだろう。
スポンサーサイト
スポンサーサイト



copyright © あんな人・こんな人ナナメ読み all rights reserved.
Powered by FC2ブログ
custamize&material by
http://flaw.blog80.fc2.com


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。