サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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春休みに 
しばらく帰省をするため、4月の上旬くらいまでブログをお休みします。
また見に来てください。

4月は、下旬にある沢田研二の音楽劇「ぼんち」(山崎豊子原作)が
なんといっても楽しみです。
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長という人々 
私はいわゆる「リーダータイプ」ではないので、
そういうものになったこともないが、男でも女でも「長」のつく人や、
それに準じる役割の人というのは、本当にやることが早いなあと思う。

たとえば「私が書きました」と拙著を渡すと、次に会った時には
もう読んでくれている。

この人はミックにもジュリーにも、何の興味もないだろうな、気の毒に、と思いつつ
しっかり渡すのだが、そんな本にも自分なりの楽しみどころを見つけて、わからないままに
全部あっという間に読んでくれている。「読んで興味が湧きました」とか言って。

よく急ぎの用事は忙しい人に頼めとか言うけど、どこにそんな時間が
あるのか、もし時間があれば読んで欲しい程度に思っているのに
すぐに処理?してくれるのだ。いや、しっかり読んだんだな、と思わせる、
ポイントを押さえたコメントつきだったりするので感激してしまう。

きっと時間の使い方が上手いんだろうな。
もちろん私と何らかの関わりがあってこそなんだけど、
だからオサが続けていけるんだろうなと、当たり前だけどそう思う。
ダテにオサやってません!と言われそうだ。
オサ大変そうだなあ。オサじゃなくてよかった…
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文化委員をつとめて 
小学校の文化委員で作成した会報が出来上がってきた。
こうした小冊子を、ポイッと捨ててしまう人が多いようだけど
これでも苦労して作っているのだ。

終わりの方の印刷などには携われなかったけど
(本当はそういうことを見ておくべきなのだが)、原稿作成には
少し関わったので楽しみに見た。

私の自筆をそのままさらしたページがあって、内容は先生へのアンケート
などを書き写しただけだけど、周りにチョコチョコとイラストが飾ってあって、
いい感じに仕上がっていて感激した。
こういうの得意な人が、切ったり貼ったりして作っていたな。

こういう日本人の?コワザの見事さ、芸の細かさには感心を通り越して笑ってしまうが、
得意なことって人ぞれぞれで、それをしている人は生き生きしていて
見ているこちらも嬉しくなる。
世の中、みんなが自分の特性を知って生かせたら、もっと幸せになるのかな。

「読書をしよう」というのが、今年度のスローガンだったけど
(しかしバカみたいな標語だな、誰も手を上げないので私が提案したんだけど)
本を読みましょうと押し付けたって、それで本好きになるわけじゃない。
むしろ「誰だって本好きなわけじゃないよね。人それぞれだからいいんだよ」と
わかってあげるほうが、まだしも効果はあると思う。

あるいはその良さを、黙って遠まわしにアピールするとか。
「読み聞かせ」だけじゃないけど、そういう活動を地道にしている人たちもいる。
図書の先生は「子供たちの本を読んでいる目が素敵だ」と語っていた。
それぞれの役割をまっとうしている。

私も子供をなるべく図書館や書店へ連れて行ったり、
とっかかりはマンガでもいいじゃないかと与えたりしている。
何がきっかけになるかわからないし、何か興味をそそられることがあれば、
文献も当たってみようと思うものなのではないか。

それとはまったく別に、活字なら何でもジャンルを問わず
手当たり次第読みたい「本好き」もいるし、
逆に、冗談じゃなく「苦手なんだ!」という人も、思いのほか多いのだから。

本当に人ぞれぞれでだからこそ面白い。
進級にあたって子供たちには、早くどこかに転がっているであろう
自分ならではの好きなことを見つけて欲しいと願うばかりだ。

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昨年のことになるが、『ミック・ジャガーという生き方』について
マイク越谷さんや池田祐司さんが自身のサイトで紹介してくださって
とても光栄だった。

池田さんが本の感想を書いてくださっていて、それを見たという
あるファンの方の感想ともに、嬉しくて何度も読み返したものだ。

そして昨日マイク越谷さんのブログを見ると『沢田研二という生き方』の書名が!
ローリング・ストーンズファンの目にも触れたかな、とまた嬉しくなった。
ありがとうございました。
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憂歌団「王様」 
憂歌団の歌に「王様」というのがある。

俺にギターを弾かせてみろよ。
くびれたボディをかかえこみ
むせび泣くまで弾いてやる。

俺にメシでも炊かせてみろよ。
味も匂いも保障つき。
びっくりするよなウマさだぜ。

最近実施された「家事検定」、またうさんくさい検定だなと身構えたけど
受験者のほとんどが男性だと聞いて笑ってしまった。

彼らは「いやあ、時々は女房孝行もしないとね」なんて頭かいているが
それは言い訳なんじゃないだろうか。
意外とこういうことにも首をつっこみたいのは、
全体を把握しておきたい興味に抗えないんじゃないかと思った。

俺はメシ炊き名人さ
俺は世渡り名人さ
俺は男の王様さ


メシ炊き名人は世渡り名人。
そうだ、彼らは名人と呼ばれたいのだ。
王様になりたいのだ。



<13日付の読売新聞に『沢田研二という生き方』の書評が載っていたと知りました。
ありがとうございます。>
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大は小をかねない… 
季節の変わり目、娘が軽い喘息を発症したので、背中に貼る薬をもらおうと
病院へ行ったが、何軒回っても閉まっている。
しまった。木曜の午後はどこも休診だった。しばらく行かなかったから忘れてた…

それにしても申し合わせたように同じ曜日に休まなくても…
「内科はどうだ」と、総合病院に駆け込むと、「小児科は診られない」とのこと。
軽い「発作」だと伝えてもらったのが悪かったか、怖がられてしまったようだ。

あぜんとしていると、受付の人が他の病院にも問い合わせてくれた。
やはりどこも内科では診てくれないという。
「隣の市で小児科が一軒あいてますが」と言われたそこは、
以前私が取材に行った所だ。

一軒だけ、木曜日、土曜日も診療しているので、患者がそこに集中して、
先生は「体力的にもきついんです。かかりつけの病院に早めにかかるとか、
協力をお願いしたい」と言っていたっけ…
市の救急体制の不備や小児科の減少などの事情も重なって、
確かに土曜日の夜などは野戦病院さながらで、とても大変そうだった。
医者だって人間だから、こうなると誤診があっても不思議じゃない。

結局、他の総合病院の時間外救急で診てもらうことができたが、
救急車でたらいまわしにされている患者の気分を味わった。
私としてみれば、背中に貼るテープをひとつもらえればいいことで、
内科でも出せるはずだと踏んでいたが、そうはいかないんだろう。

「それぐらい!」とこちらは言いたくなるけれど、思い直せば内科が小児科を診るのは
その逆の小児科が内科を診るように軽くは考えられないこともわかる。

しかしそうした責任問題の根っこには、何かあればすぐ外国のように
訴訟を起こせば済むと反射的に考える人々の増加とか、そうした背景も
いろいろと関わってくるのかもしれない。などと、考えさせられたことだった。




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ミックジャガー、ストーンズのステージを見たのは彼が60歳のときだ。
当時の大阪ドームだった。
あれから彼のことをさんざん語ったせいか忘れていた感情だが
よくよく思い出してみると、何に感動したかって、彼が60ということに、だった。

素晴らしいステージだったということだけなら、衝撃までは受けなかったかもしれない。
えっ、60歳なの?と同行者に聞いた瞬間、その場に泣き崩れんばかりの感動が走った。
あれはなんだったんだろう。

もちろん彼自身は60歳らしさなど意識していないどころか、
その辺の若者よりも若くあろうとしているように見える。
っていうよりも、年齢超越してる。

客に年齢などけっして意識させはしない、そういう気概にあふれている。
だからよけいなのか。
60って、もうあなた…

いや私はけっして、ある年齢の男性にいかんともしがたい嗜好があるとか
そういう者ではない。

それに最近の60なんてみんな若いじゃないか。
とはいえステージを務めるということは、スマイル体操をするのとはわけがちがう。

じゃあ森光子はどうなんだ。
80いくつになっても舞台で元気にでんぐり返りをキメてるじゃないか。
もちろんそれもすごいと思う。
実際に見に行けば感動するかもしれない。

ひとつ思い当たるのは彼らがユナイテッド・キング・ダムの出身者であり、
キング・オブ・ザ・ロックだという知識があって、もっとデーンとしているもの、と思ってたのかな。

それがなに? あのチョコマカした、なりふりかまわぬ粉骨砕身ぶりは。
なになに? 結婚した相手はニカラグア人なんだ、へえー、何があったんだろう。
なに? あの「ホンキートンクウィメン」のバックのスクリーンは!
強烈なSMマンガだ。

どういう60なんだ!

これら、ドーム会場で得た情報の何がどう自分の心を動かしたのか定かじゃないが
とにかく「彼が60」ということを出発点に、これらを見聞きするたび
ずぶずぶずぶ、と深みに足が取られていったのじゃなかったかなあ。

さあ、あなたも好きな人のどういうところに惹かれたのか、回想してみてはいかが?


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チャック・リーヴェル 
チャック・リヴェールさんといえばストーンズのバックでピアノを弾いている人だ。
最近彼の書いた『ロック・アンド・ホームプレイス』という本が出たらしい。
ストーンズの長い歴史の中では割と近年チームに参加した(といっても長いだろうけど
なにせロンウッドでも 30年以上メンバーでありながら「まだ新入り」とされる世界だから)
せいなのかなんなのか、ストーンズファンの中では好き嫌いが別れる人、という印象だ。

ツアーのたび彼らの膨大な数の曲を練習するのに「ひるむよ」と言っていた。
とはいえ、セットリストのなかの目玉の曲にはさほど変化がないように見えるのだが、
毎回その他の曲との組み合わせの妙があるのだろう。

この人にスポットが当たる曲と言えば、すぐ思い出すのが「ホンキートンクウィメン」。
間奏での鮮やかなプレイとパフォーマンスが見られるが、そこへ途中でキースが
ちょっかいを出しに来るのもお約束。
チャックをどけて、自分が弾こうとするのだが、最後足まで使って
見事にキーボードを叩くキース、やっぱりかっちょエー。

「フォー・フリックス」のDVDに、ミックとのリハーサルでの打ち合わせの場面がある。
ミックは「もっとセクシーに、もっと挑発的に」やりたいとか、「綺麗なのとかカントリーは
やりたくない」とか言っている。ここで一瞬チャックと顔を見合わせてのち、
チャックが「カントリーにはしないよ。俺がジョージア州出身だからって何だ」と笑う。

ミックはどうもチャックを見ると「カントリー」というフレーズが浮かぶみたいなのだ。
そういうのにもチャックはすぐに乗ってあげて、これもひとつのお約束になってるのかな、
なんて思う。
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連ドラじゃなかった! 
「連ドラ鑑賞に挑戦!」などと昨日はりきって書いた番組は
なんと単発もので、昨日のうちに終わってしまった。
主題歌も「サティスファクション」でもなんでもなかった。
じゃあ「めざましテレビ」でBGM流し続けていたのはなんだったんだ
……間違った情報流してごめんなさい。

さてそれでは一応感想などを(聞きたい方はどうぞ)。

そもそも私はよくある「熱血教師」というのは苦手なんだった。
理想に燃えて熱くなって周りを巻き込んで、かえってぶち壊しにしかねない。
でもそういうのではなかったので良かった。

「自分の子だけ朝起こしてくれ」とかいう親の瑣末な要望に言いなりになる
教師はもちろんバカじゃないかと思う。
だけど一人の人間として、いじめは絶対に見過ごすことができなかったり、
行き場のない者をどうにかしてあげたいと、学校の規則とのはざまで揺れる
先生の「困った顔」がこのドラマにはあった。

それは理想を汚されないための、「教師の前に人間」という当たり前のこと。
だけどその当たり前のことさえ、何かで麻痺してしまっていることが問題だ。

印象的なセリフがあった。
いつも自分だけを見つめていてくれる「自分だけのアンタ」の存在は誰でも欲しいが
「それを学校で探そうとするから苦しいんや!」という言葉。
そうだな、ちょっと目線を変えれば、どこにあるかわからない。

このドラマにはアントニオという不登校児まで登場する。
不登校の理由はさまざまだろうけど、家にずっといて遊んでいればいいという問題じゃない。
人間たしかに家にこもっていると、居心地がよくなって、どこかに行くのも面倒になってきたりする。

だけど「家が好き!」なんてのんきに言ってられるのは、学校や会社に縛られていないからで
行くべきところや意識しているところがあれば、それが常に心に引っかかって辛いだろう。
なぜなら人間は社会的動物だから。

担任が家に訪ねてきたとき、隣の部屋からドアを細く開けて一部始終を覗く、
先生は何を話しているんだろうと気になって居ても立ってもいられない
アントニオの姿がそれを表していた。
主題歌は中島みゆきの「一人上手」でも良かったんじゃないだろうか。


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連ドラの宣伝を見た 
昨日の「めざましテレビ」に浜田雅功と広末涼子が出ていて
新ドラマの宣伝してた。
小学校の熱血教師ものらしい。
久しぶりに連続ドラマ鑑賞にでも挑戦してみるか。

たまには子供と同じドラマを見てみるってのも楽しそう。
なんといっても主題歌は「サティスファクション」だし。

それにしても広末涼子、コメントの合間に
申し訳なさそうな泣いたような顔するの、
あれ変な癖付いちゃったんだなー。

自分では気づいてないのだろうか。
「それやめたほうがいいよ」って言いたくて
ムズムズするのはおばちゃんの特徴か。

なんてあれこれ思いながら…
もしいいドラマだったら、または突っ込みどころ満載のドラマだったら
何か書いてみよ(私のことだからさっそく第一回目から見るの忘れそうだけど)。
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一流芸能人の悲哀? 
新婚時代、旦那の両親や親戚を招いてよくホームパーティーをしたものだ。
つたない料理を披露したあとは、ティータイム。
紅茶など入れて出すと、器についてひとしきり注釈が入る。
中尾彬ほどではないにしても、目利きを自認するおじさん、みたいな人もいたから。

一度、ひとつ500円のティーカップで出すとたいそう評判が良かった。
これどこの? とてもいいわ。
たしかに程よく浅く、質感も品があって、手にもなじむ。
あっそれ500円なんですよ、見えないでしょ。
ほめちぎってた親戚のおばさん黙り込んで、旦那は泡を食った。

私も、何というか、やっぱりバカかな。
だけどいい物が安くて悪かっただろうか。
少し解せない思いを抱えている人にあの番組はいい。
何が一流かを当てさせるテレビ番組。
たとえばオーケストラの演奏を聴かせて、どちらが高級な楽団か当てさせたり。
目隠ししてステーキを食べさせ、高い牛肉はどちらか当てさせたり。
これが案外わからないものらしい。

常連は石田純一と梅宮辰夫。
彼らはいつも自信満々で「こっちだ!」と指定し、いつもはずしている。
だけど、ある意味とてもいい役割を演じてくれているのではないか。
自分にはわからないけど、一流品は必ずあるはず、という主張がとがってくるのだ。

一流芸能人から格下げされ、みすぼらしいスリッパを与えられ
椅子も革張りからスチール、木のいすと劣悪なものに変えられ
そして最後は映す価値なし!と映像を消されてしまう。
消されても消されても、ある立場を死守する辰兄の悪あがきには、
一流芸能人の哀愁さえ感じられるようだ。
いつ中尾彬が彼らのチームに加わるか見ものだ。

「ほーら、一流なんてわからないもんなんだよ!」と
ジャンクフードの好きな旦那はご満悦。
いやここは、あえて「わかるよ」と反論しておきたい。
「ない」と言い切ってしまうのには、やっぱり無理があるから。


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きのうの師匠 
昨日の茶道教室で聞いたハナシを少々…
ちょっとした仕草で「この人はお茶をやっているな」というのがわかるらしい。
逆に言えばそうなってこそ、やっているかいもある。

「お手前」をして客がお茶を飲んでいるとき手をひざにおいて待っているが、
その時の手も、丸みをおびるようにすると綺麗だとか。
まず指をそろえてピンと伸ばしてから
心もち丸みをおびる、その絶妙なかげんがミソだけど、
それはあらゆる動作にいえる。

その手を使って、日常の動作、例えば髪をかきあげることひとつに
違いを出そう!ということ。
若い人の手ならなおのこと美しい。

師匠自身は70を過ぎてからはもう人に綺麗と思われたいとか
いう気持ちもなくなったらしい。
そして普通はそうなっていくものらしい。

あとこんなことも聞いた。
あるお茶の先生のお宅を訪ねると、高齢とはいえ玄関にダンボールが
積んであって、茶人として残念だったと。
家の中はどうであれ、玄関はいの一番に綺麗にしなければいけない。
あいたたたた、耳が痛い。

「うちは玄関より家の中の方がマシなんです」と言うと、それならそのように
張り紙に書いて貼っておいたらどう?と言われた。
そうかそれもいいアイデアかもしれないな。

でも私は「あら何この人、だらしないわねー」と思われて
実は中が綺麗なほうがいい。表面だけ取り繕ってる人には疑問を感じるから…

ってのは言い訳だな。

人は形をまず見るもんなんですよ。何を隠そう私もそうだ。
きれいにしよ。
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3月3日、ストーンズについて久しぶりにニュースが配信されたと思ったら
なんと40年も前の事件が元になった、ミックジャガー暗殺計画があったという話
…他にニュースがないのかな? それとも何か違う目的でも?

その事件とは「オルタモントの悲劇」としてドキュメンタリー映画「ギミーシェルター」にも
再現されている 。69年のサンフランシスコのライブでセキュリティを担当したバイクチーム、
ヘルスエンジェルスが警備の行き過ぎから、観客の一人を殺害したのだ。

そののちヘルスエンジェルスとミックの仲は険悪になったと伝えられており、暗殺予告なども
受けていたが、暗殺チームの乗ったボートが嵐の夜に転覆(なんじゃそれ?)して
ミックは命拾いをしたというもの。

この映画で酔っ払って正体不明の観客と彼らを我が物顔でとりしまる
ヘルスエンジェルスに対して、ミックはどちらかといえば腰が引けていたが
それでも「みんなでちゃんとできるところを見せようぜ!」と説得していた。
一方キースは毅然とした強い態度で叱責し、また「キース、かっちょエー」という声が
飛びそうな場面があったが(私は辛抱強いミックがすきなのだが)、
ある本によると、ファンをこん棒で殴る蹴るされたときには、さすがのミックも切れたらしい。

丁重に扱ってくれとは言わないまでも、せめて人間として扱え、という思いがそこには
あるのではないだろうか(そのへんジュリーがいつか旧国鉄職員に抗議したとされる
事件とも共通性があるな。なんだかんだいってファンを大切にする人たちなんだ、彼らは)。

キースはのちに「あの観客をイギリスのハイドパークの観客と一緒にしてはいけない」と
オフィシャルブックで語っていたが、ミックはもともと、そうは割り切りたくなかったからこそ
ヘルスエンジェルスに警備を頼んだのだろう。そしてあとで後悔していた(らしい)。

実際、酒とドラッグの蔓延した会場はラリった観客と、暴走するバイクがとっても
相性のいい感じをかもし出していたが、ヘルスエンジェルスが暴行を始めたときには
観客のなかには必死で「ピースサイン」を掲げる者が多数、出始めた。
ミックはこのシーン、この瞬間を大切にしたい考えなのだろう。

物事にはさんざん深くコミットしなければ見えてこないものがある。
しかしそれでも理想を守りたい立場がある。
あえて歌い続けたいことがある。
ミックが当時言っていた「ライブにセキュリティーなどいらない!」という言葉がそれだ。

だから今頃このトピックを広めたことに何か目的があるとするなら、そこには
「弱い」ミックが世の中に再考して欲しいことが含まれていたりするのかな、と
思ったりもするのだ。


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本についてお知らせ 
『沢田研二という生き方』のさわりについて、青弓社HPの「原稿の余白に」欄に
書いております。よろしかったらごらんください。

この本であなたのジュリー観に一石を投じることができたら幸いです(照)。
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正義感の強い人 
「あの人は心の優しい人だった」という表現を聞いた。
人々が抱くその人のイメージがそういうものであるというのは、素晴らしいことだろう。
でも物事には一言で言い表すことがかえって暴力につながることもあるのではないだろうか。

心の優しい人、と一言でいってもそれがたとえば自分にとって都合のいい
優しい人なのか、自分には冷たいけど、もっと大きいところでは優しいのか
わからないところがある。

世間では「正義感の強い人」がもてはやされる傾向にあるらしい。
トレンディーというのだろうか。
だけどたとえば歩道で自転車にのってはいけない、とあれほど言ってもきかない者が
通行人にぶつかったりする事故が相次いで、公にされ、問題になったからといって、
今度は猫も杓子も、歩道に人がいないにもかかわらず車道を走り、
車にひかれるのならもっと危ない。

なのに一面的にそれを推奨して、「私は正義感の強い人間です」と鼻をふくらましている
人がいたらこっけいだ。
「正義感の強い人」が増えることには警戒を感じる。

車の多い狭い道では、規則がどうであろうと歩道を走ることがあってもいいだろう。
逆に人がいたらすぐさま車道に移動する。
そうした臨機応変さ、野生のカンみたいなことの方がずっと大事なんじゃないだろうか。

道路を横断するのに手を上げるのは、規則というよりも
運転手に合図を送っているのだ。
目と目の確認という一瞬のコミュニケーションが自分の命を守ることにつながる。

バスで椅子に座らないのが元気で若者らしいのかもしれないが、車中が混んできたら
突っ立ってないで目の前の椅子に座ってくれたほうが、どれだけ周りのためになるか
わからないのだから。






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