サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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林真理子は実はフェミニストという話を聞いたことがある。
根拠は忘れてしまったが、たしかに通読していた昔のティーン雑誌「ギャルズライフ」の
彼女のエッセイには「私が男の敵を討ってやる!」(?)みたいな威勢のいいノリが見られた。

だけどフェミニストって何だろう?
もしそれが最大公約数的な幸せを願うことだとすれば、
やはり「大多数の」女性にとっては、きれいになることや、結婚をすること
は生きやすいのが事実だから、彼女が大騒ぎして先導してきたことは、
それが少数派をおびやかさないかぎり、いいってことになるのかな。

80年代、林が自らを売り出すために、テレビなどのメディアにチャラチャラと
露出し始めた頃、ビートたけしのトーク番組にゲストで呼ばれていたのを
覚えているが、彼女が何を語ろうと、たけしにはどうでもよく
ひたすらに「ブスだ」「太っている」などといった点にもっていくのだった。

林真理子が嫌いな男を代表するようなたけしには、そこはどうしてもはずせない点だ
ということはわかるが、それを盾に女性をやり込める男性には恥ずかしさを感じた。

しかしそれを受ける林は柳に風といったどこかボンヤリした雰囲気を
ただよわせながら、発言がけっしてネガティブになることなく、
素朴な語りをくりかえしていた。
そこに彼女の魅力は集結しているように見えた。
その番組を見て私は林真理子が好きになったほどだ。

だからその後、彼女がどのように変わろうと、あの姿が原点
という気がしてしまう。

あののらりくらりと攻撃?をかわす姿は、意外にも、語られる野心家のそれではなかった。
そこには「折れない」しなやかさという強さがあった。
あの時の彼女はひたすら無になって、はからずも男性の愚かさをあぶり出す役割を
になっていたのかもしれない。



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彼が小林投手のモノマネでデビューした頃だけが、関西ローカルのタレント
の時期で、それは非常に短いものだった。
「ヤングおー!おー!」という、昔の吉本タレントの登竜門みたいな番組にも
出演していた。ちなみにこの番組で懐かしいのは「ザ・パンダ」だ。
八方、文珍、きん枝、私は小染が好きだった。

さんまは出っ歯なことを除いては整った男前、脂ぎっていない爽やかさ、といった
要素から、当初からアイドル的存在で売り出されていたように思う。
だからトレンディードラマに出ても何の違和感なく、メインのイケ役を演じられる
存在だった。

さすがに最近はドラマではお父さん役を演じるようになったようだが、イメージ的には
いつまでも「お兄ちゃん」なのだろう。この人は男同士の仲間のなかにいるのが
すきそうだが、そうしたグループでも、たけしが「殿」なら、彼はいつまでも「若」なのだ。

そしてここである違いに気がつく。たけしの場合、他のメンバーはみな彼の子分であり、
さんまの場合は、男軍団のメンバーに優劣なく、みな同列だろうということ。
こういうところはジュリーとも共通する。
彼が無意識に男軍団をつくるとき、そこには「対女性」という要素があるかもしれない。

彼は女好きを標榜しながら、誰よりも女嫌いだろうなと思わせる。
女性に対する目がとても冷たいのだ。
だから結婚生活を続けるのも難しかったのかも
(ちなみに、結婚していたときの彼は、「どうしよう」と思うほど
面白くなくなった)。
その点たけしの方が女性への包容力はありそうだ(それがどんな性質のものか
知らないけれど)。さんまは女性を茶化しながらも、顔には「大嫌い」と書いてある。
それでいて生身の男としては女性を求めざるを得ない。

ある意味、一般男性を代表する存在かな。
彼の女性に対する反応を見ていれば、一般的に女のどういうところが
嫌われるのかわかるだろう。
彼はそれを正直に表す人なのかもしれない。
だからってそれを見て学習しようとも思わないけれど。


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彼女たちがブームだったのは、77,78年くらいのものだったと
今になっては思うが、あの頃はたとえば遊園地やプールに出かけると
特設ステージみたいなところに、にわかケーとミーが頭に羽状の飾りをつけた
かっこうで登場していたものだ。私はそこまではやらなかったけど。

レコードも結局は買わなかったのだが、レコード屋はしょっちゅう行っていたので
(買うのはもちろんジュリーのアルバム)、シングルレコードを慣れた手つきで
パラパラとチェックするのはよくやった。

「ペッパー警部」「SOS」の、まんじゅうのような顔が、だんだん細く垢抜けてきて
(休みなどなかったから、プチ整形の必要もなかったか)、妖艶にさえ
なっていく変遷がジャケットで楽しめた。

健康的イメージから、しまいにはセクシーさを前面に出し始め、
化粧が濃くなり、遠いところ(アメリカ)へ行ってしまった彼女たちだが、
もう私はその頃には違うことに熱中していたので詳しくない。

やはり記憶に生々しいのは「スター誕生」でデビューした、やたらとニキビとホクロの
多い、親しみやすいお姉ちゃんが突然大ブレイクして毎日のように
テレビに出ていた頃だ(百恵、ジュリーとともに)。
「明星」「平凡」には彼女たちの特集が別冊子となって付いてきて、
彼女たちの持ち物を抽選で何名様、という企画には、使い古しの歯ブラシ
なんてのもあったのを覚えている。

「紅白歌のベストテン」には、「ウソ発見器」のコーナーがあって、
いろんなタレントがそれにかかっていた(ジュリーはそういうことはしなかったな。
ささやかな抵抗だったのか)。

「ウソ発見器」というのは緊張した人間の生理反応によってグラフが変化して
ウソがわかると一般に言われているものだけど、
ピンクレディーは確か、高校時代にケイがバスケで腰を痛めて、
「それがまだ痛むはずです!」みたいなことだったと思う。

どうでもいいじゃん、と言ってはいけない。
ここで昔話を持ち出されたケイが、泣き崩れんばかりになって
グラフが乱れに乱れ、このコーナーのハイライトが成立するのだから。

しかしケイを見守るミーは、こんなときも相も変わらぬ張り付いたような笑顔で、
ケイの腰よりそっちの方が、私は非常に気になった。
この人だいじょぶか? 笑顔にかくれた感情が不明になってしまわないか。

こんなミーがかかってもグラフに変化はないだろうし、こういう人こそ
アイドルの鑑なのかもしれないけど…


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息子が車を二つ持って、肩を軸にして足を踏ん張り、
コンパスの要領で床を何周もして、白熱のレースを繰り広げている。
その我を忘れのけぞった様子があまりにマヌケなので
思わず娘をつついて2人で笑うと、彼はとたんに動きを止めて
テレビのほうを見て何気ないふり。
恥ずかしいんだ。
こんな小さくて、何が恥ずかしいんだろう。

小さいも大きいもないな。
私もピンクレディーを踊り狂っているとき、親に見られると
とても恥ずかしかったもん。
思い切りよく上げた手は行き場を失い、頭に着地してポリポリかくしかなかった。
早く出てってよ!といいたくなった。

いつも妹をケイにしていた。
私がミーをしたかったから。
どう違ったのだろう、動作の違うところがあった。
ミーの方が動きがダイナミックだった。
彼女は人一倍根性があって辛い顔を見せたことがなく、
いつも満面の笑顔。感情の出やすいケイと対照的。
別にそこまでまねなくてもいい。

ちなみにケイをまねるなら、ちょっとやる気のなさそうに、動作を地味にすることだ。
動きの冴えない、ちゃんと覚えられない妹にはケイが適役だ。
「ペッパー警部」から始まって、
「SOS」「サウスポー」「UFO」「渚のシンドバッド」
「カルメン77」「ウォンテッド」とメドレーで踊れるように練習をつんだ。
都倉俊一作曲のものが好きだったな。
中学に入りたての「モンスター」でやっと卒業した。

出版社の慰安旅行でピンクレディーを久々に踊ってみようと
昼間でも暗い、本の一杯つまった倉庫で密かにリハーサルしたことがある。
親の目を盗んで練習したあの頃のようだった。
一緒に踊る営業部の彼女は、動きに不安があったので
ケイをしてもらった。
そういえば、ちょうど3つ下の妹と同い年なんだなこれが。
3歳のズレってけっこう大きいのか。

ああ、違う、じれったい。
だからそうじゃなくて。
ノーノー! ノォーーォ!
ピンクレディーとなるととたんに人を顎で使う仕切り屋になる私だった。
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現実との折り合い 
前回書いたこととちょっと関連するが、真面目な性格の男性、といえば
ジュリー、ミックもあてはまるだろう。
真面目な上に人一倍しっかりもしていた彼らは、
たとえば、ストーンズならブライアン・ジョーンズ
タイガースなら加橋かつみのような、ちゃらんぽらんなところのある人々
(遅刻してみたり、脱退してみたり)を誰よりもシビアに見てしまったところがあった。

テレビの本番なのにやる気のあるのかないのか、のブライアンを
いまいましい表情で後ろからにらみつける若き日のミック。
加橋のことを話すとき、いつのまにか吐き捨てるような口調になってしまったジュリー。
もちろん無関心ではいられなかったからこその反応なのだが。

真面目さは、行き過ぎれば人を裁くようなことにもつながる。
彼らは自らそれを危惧して、だからこそ「自由精神」を
求めようとしたところがあったのではないだろうか。

例えばミックの場合それは、絶えず女性を求めるといったヘキに
あらわれ、ジュリーの場合もしかしたらそれは、彼が太った理由の
ひとつにあげてもいいかもしれない。

ミック・ジャガーの絞りに絞ったマッチョな肉体が、男性性、精神性の象徴
であるという言い方もできるとすれば、ジュリーの肉体は自由さを取り入れた
ものということ。

だから、今の「あるがまま」のジュリーも受け入れやすい女性ファンたちに
比べると、男性ファンは太ったジュリーは許せないという人も多かっただろう。
ちょうど、過去に彼の女装や化粧を許せなかったのと同じように
「男らしくない」というわけだ。

たしかにジュリーの太ったのは、「気の緩み」といったことも大きいだろう。
だけどそれが認められないというのはおかしい。
ライブで「疲れた」と言ってはいけないのだろうか。

ロックとは何もそれだけじゃないんだよ、というのはジュリーのひとつの
主張であったような気がする。それが彼の女性性、悪魔性の役割でも
あったのではないだろうか。

そして今、そこがいいのだという男性も増えているのではないか。
太った中性的なジュリーが好き、安心する、みたいな。

現実にがんじがらめにされている男性は、だからこそ極端にバーチャルの
世界のオタクになったりする。甘えられないことの裏返しかもしれない。
現実の厳しさが見えすぎることの裏返しかもしれない。
ジュリーはそんな彼らを生きやすく導いてくれるのではないだろうか。

茶道でも、いくら講釈がうまくても、実際のお茶がまずければ説得力ないしね。
そうした現実を、しかし女性ならばまだ、目の前につきつけられればスッキリする
ようなところがある。現実と親しみやすいために、簡単にひれふすこともできる。
しかし、少しの現実にも固く目をつぶってしまった男性は生きにくい。

現実を受け入れたうえで、適度にそこから目をそらす知恵も身につければ
いいのではないだろうか。



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求道の人 
先日の「お茶」には、若い男性が出席していた。
以前ここに通っていた学生で、今は仙台に住んでいるが京都に来た折には
参加していくという。というかわざわざ用事を作って来るのか。

楽しく一緒に稽古をするうちに、この人がどうしてお茶を始めようと
思ったのか知りたくてたまらなくなった。
なぜだろう、キマジメそうな人だったからかな。
でもそんなこと、いきなり聞かれても、私だって返答に困る。
だけど知りたい。

と思っていたら、帰りのバスが偶然同じだったので、雑談の中で
思い出したように聞いてみた。
やはり返答に困ったようだった。
だけどこの人は私以上に魅せられている、お茶の世界に。
それはどういったものだろうか。

茶道にはさまざまな先生がいるが、「ただ所作を覚えればいい」と
言われることが多い。だけど私は理屈も言って欲しいと常々思ってきた。
たしかに身体で覚えるものだが、いちいち納得して前にすすんだほうが
私には楽しく身につくと思う。
わりと男性にはそういう考えの人が多いのではないだろうか。
そして魅せられたら最後、どんどん研究してしまう。

だけどどの教室も圧倒的に女性が多いから、参加する時点で
腰がひけてしまう若者も多いことだろう。
ある意味、茶道とは本来男性のものかもしれないのに
人口が少ないのは残念だ。

「そうです、この教室は先生が解説を入れてくれるのが気に入っています。
僕が理系のせいだと思うけど」。
彼の欲する説明と私のそれとはちょっと違うのかもしれない。
理系の人はぼかしやあいまいさが気持ち悪いみたいなところがあるからな。
割り切れないことだってあるのに。

でもおそらく彼は「どういうことなのか」知りたいと共に
茶道の精神性にも触れたいんだろう。だけど
その生真面目さがエスカレートして仇となってはいけない。
だから先生も極端に言えば「動作を覚えるだけでいい」となるんだろう。

でも先生によっては、「そんなこと誰もわからないから
とりあえず決まりごとを覚えておけ。つべこべ言うな」みたいなやり方もある。
いいか悪いかは別としてそのあたりは、こちらが見極めて
合う師匠に出会えたら幸せなこと。

彼は「利休本来のお茶に帰ろう」みたいな会があれば参加したり、
「武家茶道」というものがあると聞けば調べたり、フットワークも軽く
求道しているようだ。
だけどそれらは日頃のお稽古のなかにチラチラと散見できるものかもしれないな。

見ようとすれば、見える。
見ていても、見ようとしなければ、何も見えない。
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お茶の稽古に行く 
しばらくさぼっていたお茶のけいこを再開する。
私の参加しているクラスは平日の午前中の、ご年配の先生ばかりが
集うクラス。私など初心者のようなもの。

この室礼にはこの茶碗にこの蓋置きに…など、さまざまな決まりごとを
把握するだけで手一杯。蓋置きというのはおかまの蓋を置く物。
瀬戸物や竹など素材はさまざま。

「今日は意地悪して、この蓋置きにしましょう」と、一人の先生が用意してくれた
それは、青磁のつるりとした「一閑人」という置物。
一人の閑(ひま)な人が井戸を覗いている、という解説だけで既におかしい。

そういえば一人の目玉オヤジのような物体が、置物に首から下をぶらさげるように
して、ちょこんと付いている。可愛いといえば可愛い。

さて、茶道とはお茶を立てて飲むばかりのものだから、とりあえずは
するべきことをするための所作を始める。抹茶を入れたらお湯をさすのだから
お釜の蓋をあけなければならない、ここで蓋おきを所定の位置に置き換える
動作が入る。目玉オヤジをどうにかしなければ先へすすまないのだ。

お茶の先生、冗談を述べているわけじゃないのだが、「はい、対面して」
と、目玉と対面するように指導してくる。照れるじゃないか。いや
目玉オヤジ本人は井戸を覗いているのだから、目は合わさないで済むはずなのだが
なんだかバツが悪い。悪いことはそれほどしていないつもりなのだが…

とまどっていると、「はいしっかり」と檄が飛ぶ。
ここで噴き出したりする人は他にいなかったのだろうか。
その真面目ぶりこそがおかしくて、笑いがこらえきれない。

もちろん目玉オヤジ(こんなこと絶対言っちゃいけません!)も神の匠だから
その前には私たち人間など取るに足らないものとしてひれ伏すべきだろう。
だからって笑っちゃいけないわけじゃない。

やっとの思いで所定の場所に置き、気を取り直してお手前をすすめる。
途中で「頭あぶり」という指導が入る。
え、なんですって?
「あたまあぶり」。
なんと、目玉オヤジのはげ頭を
釜のかかっている火のほうへ倒せというのだ。
きっとみんなグルだ。私をだまそうとしているに違いない…

確かにオヤジ、火にかざされて「あっちっちー」と言い出しそうだ。
かわいそうに。どんなお手前だこれは。

あまりに紆余曲折あって時間がかかったものだから、
「これでもうしっかり覚えたでしょう」と言われたが、
覚えたもなにも、目玉オヤジしばらく夢に出てきそうです。



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なまった身体にカツを入れるのは暖かくなってからでいいと決めていたが
その根性こそが、極寒の時期に叩き直されるべきなのでは、と思い直し
都度利用できるスポーツクラブに電車で出かける。

実は入会手続きはとうの昔に済んでいるのだが、タイムスケジュールが
コロコロ変わるので、時間を間違えたり、その他の手違いが重なって
レッスン参加できたためしがなかったのだった。

平日の午前中だけあって年齢層高めの女性たちが階段にむらがって
チケットを配られるのを待っている(やっとこの段階にたどりつけたのはめでたいこと)。
おしゃべりして楽しそうだなあ。

「いや、ひるんではならない」と気を取り直して、文庫本にひたすら目を落として待つ。
かまびすしい雑談のなかで、自分が小さくなっていくような孤独。
時間がひどく長く感じられる…
しかし私ならこの風景に溶け込めるけど、あのメガネのおじさん勇気あるな。
どうせならレオタード着てきて欲しいところだ。

トレーニングウェアのフロアスタッフが階段の頂上で「チケットを配ります」と
コール。縛りつけられていた心身がパーッと解き放たれたように
足取りも軽く階段を上がり始めた私、ここへきて初めて、
「ん?この列って、本当に合ってるよね?」という疑惑が
おそろしいような悪い予感をともなって、奥のほうから出現した。

私は「ピラティス」というレッスンを受けるつもりで来たはずなのだ。
チケットを受け取る直前、「なんかすごく違う感じ」という予感が
確信に変わろうとしていたのだが、「この列、ピラティスですよねー」と
平静を装って聞いてみた。
「違いますよ、ボディジャムです」。

なんだそれ、どんなジャムだ。
どうやら私はまた前のタイムスケジュールを見て家を飛び出したらしいな。
もういやだ、また帰らなければならないなんて、そんな現実受け入れたくないだろう?
今日はこれに出席するしかないのか…

青い顔で立ち尽くす私に、「けっこう激しいよー」と気さくなおばちゃんが
派手なレオタードで声をかけてくれる。
その言葉に「出席」に傾きかけた足は逆方向の
階段を下りるほうに走り出してしまった。「もっかい聞いてきまーす!」
とすっとんきょうな声を残して。

下まで階段を降りきったとき、「受付で何を聞こうというんだ。
わかりきったこと聞いてどうなるんだ。家に帰るだけじゃないか。
また尻尾巻いて帰るのか?」という、ささやきを聞いた気がして、
重い足取りでもう一度階段を登り始めた。
ここまで来たんだ、もう逃げられやしないだろう?

スタジオが開くまでまだ5分もある。
こんな思いをくりかえしてまで、スポーツクラブなんて通わなくていい!
周囲にはさまざまなトレーニングマシーン。
みな黙々とトレーニングしている。
ザザザと規則正しい音を立てながら横一列でひたすらに歩く人たち。
自分が機械になった気はしないのだろうか。
いや、隣に人がいても自分だけの世界に入ることはできるしな。

「何かやってみますか?」とさっきのスタッフのお姉ちゃんが声をかける。
「いや、やっぱり体力温存しときます」と答えてすみの方に座る。
チケット集めまーす!

それはエクササイズとダンスを掛け合わせた、まあまあ楽しいものだった。
45分を無我夢中で過ごす中で思ったのは、「つらくても、たらたらするよりは
思いっきり踊ったほうが疲れないようだな」ということと、
ダンスでも何でも必要以上な位に思いっきり表現しないと
伝わりにくいこともあるな、ということ。
それにしてもみんな上手い。

最後はもうわけがわからなくなって、阿波踊りを踊っているようになって
死にかけた体をひきずって、ロッカールームに引き上げると
「あれ?! どこ行くの、そっち、男子よ!」とまた違うおばちゃん。ありがとう。
とんちんかんは死んでも直りませんわ…
「さっきから間違えてばかりで」などと、また意味のわからない返答をして
でもやっぱり少しさわやかになって家路に着いたのだった。
当初の邪気は晴れたので、運動もいいですね。



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料理する日常 
主婦のはずせない主な仕事に、毎日のおさんどんがある。
洗濯も、どこかしらの掃除も、基本的には毎日するとしても、
いざとなれば「ほこりで死にはしない」と、あさっての方を向いて
口笛を吹いてもいい。

でも食べるものを食べなければ、それこそ命に関わってくるから、
ここは多少めんどうになっても気合を入れるところだ。

そんな自分を鼓舞させるのに、
昔は料理本を本棚いっぱいに集めたこともあったけど
最近はもっぱらブログで、よく覗くのは2つほど。

写真も美しい食卓を、ただ見ているだけでも癒される。
伝わってくるのは、豊かさだろうか。
豊かさ、といっても単に豪勢というのでなく、ほう、
そういう組み合わせもありなのか、といったことを含む。

結婚当初は、レシピどおりに作っていたこともあった。
2度とは使うこともないだろう、名前も聞いたことないスパイスまで
すべて揃えることもした。
まあそうした失敗は、度重なれば知恵がついてなくなって行くけど
マニュアルどおり作るというのも、無になれて、なかなかいい。
あの頃そうしておいてよかった。

しんどい時には、ウォークマンで音楽を聴きながら、というのも
しばらくやってみた。
夢うつつの中で手だけ動かせば何をしているかわからない
ままに、いつの間にか一品、出来上がってるじゃないか。

だけどそれも最近やめた。
今、自分は何をしているのか、手ごたえを感じながら創るのが
料理の醍醐味だと、ふと思い出したから。

そうすれば鍋の選び方ひとつ、合間の片付け物ひとつからして
違いが出てくる。味もいいことはいうまでもない。

だけど、もしここで、「まー、そんなもの聴いて!」と鬼の首をとったような
お姑さんがいたりすると、表面や形ばかりにこだわることに夢中になる者への
反発が先に立って、この楽しさはわからなかったかもしれない。
自由にいろいろ試せたからこそ、今また
マニュアルに従うのもいいとわかるのだから。

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少女に何が起こったか 
ひよわな現代人、何かあったときのために、ケータイや財布以外にも
どっかにメモを控えておくとか、情報に関してもう一手間かけておくべきだ
と思った。
何かあったときじゃないと思わないのだが、その「何か」が起こったのだ。

なにがあったのか。
家に鍵を置いて出かけたのだ。
そのあと夫が自分の鍵を使って戸締りして出かけた。
2人の子を連れて買い物から戻ると鍵がなくて家に入れない。
カバンの中、衣服の中、車の中、何度も何度も探したが、
やはり忘れて出かけたらしい。
ついでにケータイまでも忘れたか……

夫は休日出勤、夜まで戻らないだろう。
ケータイを忘れたのだから、あらゆる電話番号わからない。
とたんに片言の日本語になる自分がいた。

とりあえず「腹へった」とピーチクパーチクうるさいガキども、もとい子供たちのために
公衆電話もあるコンビニに走る。
このへんも現代人、頼れるものはケータイの次にコンビニだ。
肉まんなどを買って車の中で腹ごなししつつ
控えてきた番号の管理室に電話したのだが、どうにもならないという。
鍵の持ち主は大家さんか。

ひきつづき頭がパッパラパーになってきて、子連れで電車に乗って
夫の会社まで鍵を取りに行こうかという衝動が走った。いや落ち着け。
とりあえずコンビニの小さい駐車場に長居はできないからどこかに移動しよう。

公衆電話のあるところ。
そして何より寒さをしのげるところ。
…よし、次は図書館だ!
だんだんサバイバルを楽しむ心が蘇ってきた。
子供も「こういうのが好き」などと言い出す。

図書館へ行くと駐車場には車が列をなして待っていた…
ここに並ぶ位なら、またスーパーへ行ったほうがいいと、とってかえし
近くの大型スーパーに入る。
2人をゲームコーナーに放牧し、公衆電話の位置を確認。
財布の中に夫の名刺発見、運が向いてきたぞ!

「あいにく今日は留守」というような、会社の留守電の事務的な声にまた絶望したり
次の「お急ぎの方はこちらへ」の声に「よっしゃー!」とガッツポーズしたり。

幸いにも「お急ぎの方は」のところに夫はいた。
かしこまって「~部のナニナニを…」と、名刺を読み上げたら
「いつもお世話になってます。ここにいらっしゃいますよ」と笑いをこらえたような声で
救世主に取り次いでくれた。
途方にくれてさまよっているのだ、と説明すると
夫は、電車に乗ってくるようなバカはしなくていいからと、大家さんの番号を
教えてくれた。うちのすぐ近くに住んでいるという。

なんだ…しっかりしろよ、それぐらい知っておけよ、私。
出かける直前だったという大家を確保、鍵ゲット。
青い鳥はすぐそばにいるものなんだよな、いつも…
家にたどり着くと、どっと疲れが。

今までの行動を振り返り「不幸つづきだったね」という娘に
「いや、これがあったから幸せがわかる」とご教訓がすらすら
口をついて出た。やっと昼食にありつけた彼女は
「わかるよ、こんなにスパゲティーがおいしいと思ったことはなかった。
何にでも感謝したくなる」とこれもスラスラ名セリフを。

この程度を「不幸」とのたまう現代っ子に、こういう
「何かあったとき」ほどの実地教育のチャンスはあろうか。


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宇崎竜堂とその怒り方 
有線放送にリクエストしたのは、あとにも先にもたった1回きりだ。
18のとき勤めていた居酒屋の公衆電話から、もう何度も何度も
とりつかれたようにリクエストしたのは、ダウンタウンブギウギバンドの
「沖縄ベイブルース」だった。

ブルージーでも落ち込まない、からっとした明るく軽いメロディー。
青く高い沖縄の空のよう。
なんといっても宇崎竜堂の野太い声に、肉体労働しているお兄ちゃんに
力づくで手をひっぱられて走るような爽快感があった。

それですぐさまベスト版を取り寄せ、「身も心も」とか「涙のシークレットラブ」、
「知らず知らずのうちに」など、ヘビーローテーションで聴いた。

小学生の頃なら、港のヨーコやカッコマン、スモーキングブギの、
つなぎにリーゼントのイメージしかなかったが、
こんな心にしみる歌をたくさん持っていたなんて。

だけど、キャラ的には、彼や泉谷しげるのような荒々しさ、野太さは
声だけでかんべん、といった感じだった。
たとえばジュリーのようなサラッとしたシャープな冷たさがない。

テレビ番組などでもそんな暑苦しさを彼はよく見せていた。
ジュリーの暑苦しさとはまた違う、一過性だが雷オヤジのような、
周囲を顧慮しない、きめの粗い怒りっぽさがちょっと苦手だった。

きっとジュリーの方が女性的なんだろう。
宇崎の怒り方にはそんな繊細さが欠けている感じ。

何かの番組で一世風靡のメンバーの一人に腹を立てた宇崎が
しつこく「出来ない奴」呼ばわりしていたのには少し引いた。
たしかに怒られても仕方ない状況だったけど。

ジュリーも怒りんぼだけど、あんなにアカラサマじゃなかったよな。
まあ、それって「陰気」ってやつかもしれない
(実際そんな人に怒られたら、ネチネチとヘビみたいで、
もっといやだろうな、どっちもどっちだ)。

などと、怒り方さえもちょっとした好みはあって、それがその後彼らの音楽を
聴こうとするか否かにも関わってくるほどデリケートな点だと気づいたのだった。
あんまりバラエティーに露出するのも夢が壊れたりするんだな。
神話系ミュージシャンは、だから出ないってところもあるのだろうか。
時々は出て、適度に夢を壊して欲しい。



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岸部四郎はわりと最近(おととし?)本も出している。
見かけたので立ち読みをしてみると
ジュリーのこともいろいろ書いてあった。うろ覚えだが
ひとつあげると、ジュリーというのは、楽屋などでもそこにいるだけで、
みんなが「気を使わずにはいられない」状況に
なってしまうのだそう。
これはもう生まれつきだな。

だからそんな人が冗談でも言おうものなら、観客はみな
笑い転げずにはいられないと。
納得…
ありがたやありがたや、ってなってしまうとこがあるんだろう。
一種の魔法だな。
観客たちもそれで満足なのだ。誰も損してない。

しかしだからこそ、ここでジュリーの偉大さがわかるものだ、とは
言えないだろうか。
だってファンやプロダクションなどにちやほやちやほやされて
何十年もスターやってきて、普通ならもっと、おかしくなっていてもいいはず。

だけどそうなりたくないから、そこをなんとか、ニュートラルに戻そうとする力が
働いた。それはたとえば女性ファンへの暴言になって現れたりもしたんだろう。
そしてその意志こそが、同時にスター沢田をつくっているのだ。
このへんが、なんというか、サムライなんだな。

もっとも、団塊世代の人々は、シローブログでもわかるように
あまり「武士は食わねど高楊枝」的では既にないようだ。
でもそれでいいんじゃないだろうか。

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岸部四郎 
岸部四郎が1万3千円で年を越したと、ヤフーのトピックスに出ていた。
「四郎マンション」とかいうブログが人気らしい。さっそくアクセスしてみたが
そのときは殺到していたようでつながらなかった。

岸部といえばもちろんタイガースだが、「ルックルックこんにちは」や「西遊記」
の彼を覚えている。
「ルックルックこんにちは」の司会には、ほかに沢田亜矢子がいたが、
彼女は女性特有の?ヒステリックな側面をむき出しにしてしまうところが
あったので、見ているこちらがハラハラさせられた。

ある時は、「女ののど自慢」のコーナーで涙がとまらなくなって司会にならなかった
(それは「私生活に何かあったんだろうな、と思わせる、うんざりさせる涙だった)。
ある日はやたらはしゃいでいたかと思えば、ある日はムッツリしていたり。

その点岸部は、ご存知のとおりの、いつも変わらぬ淡々とした調子の
司会ぶりが安心できた。ときには、京都の人らしい「歯に衣着せぬ」
(そのままではキツくなるので衣を着せる必要があったりする)物言いが
飛び出したりして、なかなか良かった。

今のブログでは自嘲的なところが受けているのだという。
それはジュリーのトークにも共通する。
だけど同じ自嘲的でも、中森明菜まで行くと
「私なんて、私なんて」という謙遜が過ぎて欺瞞さえ感じる。
現実ってこんなもんだよ、と語ってくれれば、それで充分だ。

岸部は一時アメリカかぶれしていたのか、家族そろってミッキーマウスの
帽子をかぶってメディアに登場していたイメージがある。
そんなアメリカンドリームも、木っ端微塵に打ち砕かれてしまったんだろうな。
またアクセスしてみよっと。
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沢田さんの受賞シーン 
私にとってジュリーは、もちろんアイドルであったが、
同時に、年齢差もあるせいか、強烈な「オッサン臭」を
発する人物であったことも事実だ。
実際に漂う加齢臭ではありませんよ、念のため。

たとえば「レコード大賞」2年連続受賞を宣言した彼、
などは「ジュリー取れるかな~」と手に汗握る一方で、
高度成長期をになう団塊オヤジのムボウな挑戦、という風に
とれなくもなかった。
しかもあんな地味な曲で…

LOVE(抱きしめたい)をひっさげて、受賞シーンにのぞんだ彼を
私の本でもスケッチした。それに狂いはないかチェックするわけじゃ
ないが、たまたま動画で見てみると、レコ大は取れなかったが、
そうそうあの時、代わりに「最優秀歌唱賞」をもらったのだ。

しかし「最優秀歌唱賞!」と、「よかったですねー」というニュアンスで
アナウンスされているのに、あんなにイヤそうな顔する人は
他にいないだろう。
たしかに一等賞ではないかもしれないが、
最優秀歌唱賞の立場は?みたいな。

率直すぎるのも考え物だな。
まあ今見てもおもしろいけど。

それはそうと司会の黒柳徹子の「沢田さん」の言い方は
私は昔から気になってたな。
「ザ・ベストテン」のときも、とても気になった。

沢田さん、とフラットな調子じゃなく、さ、の部分が極端に上がるのだ。
あれ、東京の人間でもあんなふうには普通言わないんじゃ?
黒柳だけが、頑固なまでにそう言っていた気がする。
あれは徹子の案外ゆずれないコダワリの発音だったのか。



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愛し合うのはね~こ~ 
久しぶりにジュリーの動画を覗いてみると、あるある。たくさんの
お宝映像、たまりませんな~。

だけど私がいまだに「あるかなー」と探してそればっかり見てしまうのが
タイガースが「イエロー・キャッツ」を歌っているやつだ。

風車があって、足こぎボートのある公園でのロケ。どこだろう。
京都なら、宝ヶ池に足こぎボートはあるが。

何がいいって、やはり彼らがぶりっこに徹しているところだろう。
エレキサウンドとブリッコ、わけのわからない歌詞。
どの要素が欠けてもGS(タイガース?)じゃない。
だからいいのだ。

猫のポーズで着地を決める(?)場面など、その決意がこもっている。
私はこれで生きていきまっせーという。
わかった、わかったからもう顔をあげていいよ、と言いたくなる。

ジュリーの顔がどう見てもアンガールズの田中に見えてしまう場面もあり、
いろいろな楽しみ方ができるけど、なんといっても手を一生懸命フリフリ
しているその熱意にほだされるのだ。

もう一回見てこようかな。

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沢田研二はある時期から「これをわかって欲しいと、精一杯伝える努力を
するようになった」という。身振り手振りも交えるようになったんだろうか。
昨日書いた「お笑いトーク」もその訓練を披露するひとつかもしれない。

トークでも文章でも、隅々まで神経を行き渡らせて、
ありとあらゆる人の立場に立って、いちから「どう考えてもこうだ」と
確認するぐらいでないと、本当はいけないのかもしれない。
話が長くもなるだろう。
キメの言葉を一言、みたいにカッコつけてる場合じゃない。
カッコつければつけるほど、おそらく相手は誤解しているだろう。

物事は想像以上に誤解されている。
だけどそう受け取られても仕方のないことをしたのは自分だ。
そう思って精一杯努力してみて、なおかつ誤解されるのなら
それが人間の面白いところ、と笑うだけだ。

人に伝えるって難しいことだと思わずにはいられない。
そして、その難しいことにこそ挑むのがジュリーだ。
どうしたら人に伝わるだろう、とさまざまな角度から物事を見たり、
考えたり技巧をこらすことは、ひいては自分のためなのだ。

何事も自分の成長のためととらえればいい。
そうすれば人にことさら「努力している」などとは
言いたくなくなるだろう。
彼にとって努力など当たり前のことだ。

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ジュリーは今、ステージでのトークが、とても面白いらしい。
でも私には、彼のそのようなイメージはあまりない。
あのノリは近年のものなんだろうか?

藤山直美と舞台に進出した頃、さかんに「お笑いが好きだ」と
あちこちで語っていたのを覚えているが、
語りの名人になるまでには、彼一流の努力があったのかと思わせる。
そういうのもひっくるめて、芸を極めたかったんだろう。

だから今は背中のスイッチを押してステージに上がっているのかな、
なんてことも想像できる。
志村けんとのコントを気合入れて務めていたように。

私の記憶する彼のトークは、インタビュアーの相も変わらぬワンパターンの質問に
ぼそぼそと、うつむきかげんに口を歪めながら答える、それも、どれもこれも
つまらない内容だったような。本人もいいかげん飽きているんだろうな…という。

それでも彼は、1からしっかり答えていたんだろう。
けっしてオチャラケたりせずに。
身体をはって、ただ目の前の任務を遂行する。
基本的に真面目な人なんだろうな、ということだけは伝わる。

そういう口下手な彼に代わって、あの頃はビジュアルが
饒舌に物語っていたんだろうな。
ストイックと背中合わせの、そんな映像の数々が
今また大人気なんだろう。


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ミック・ジャガーは、「45歳になって、まだサティスファクションなんか
歌ってるくらいなら、死んだほうがましだよ」と語ったと
評伝『ミック・ジャガーの真実』に書かれたりしている。
若い頃にそう言ったことがあったのかどうか、彼の場合
ヒール役を演じることも含め、どこまでが素なのかよくわからない。

でも映像の彼は、「60になっても?当然続けるつもりさ。
マレーネデートリッヒだってやってるしね。杖をついてもやるよ」といったことを、
テレビでインタビューに答えて言っているから、先の言葉は
やはり表向きの看板だったのかなと思う。

ここでなぜマレーネ・デートリッヒが出てくるのかもわからないが、
だけどマレーネ、ミック、ついでにジュリー、見事につながってるなあと思う。
退廃的なんだけど、反骨の人。
女性を目標にするあたり、囚われのない、精神の自由な人。
その自由を努力で勝ち取る人。

ジュリーも還暦を迎えてもまだまだ見せてくれそうだ。
彼らにとって年齢なんて外側の飾り物に過ぎない。
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昔ジュリーがパーソナリティーをつとめていたラジオを毎週聴いていた。
(私の妹などは中島みゆき(オールナイトニッポン)を聴いてたようだ。
急にみゆきさんみゆきさん言い出すので何かと思ったら部屋から漏れ聴こえてきた)

このブログでもいくつか紹介した断片的な記憶がある。
田中裕子が電話出演した話とか…
女性ファンへの冷たい対応(コワー)…
ジュリーソングカレンダーを作ったことや…
猫の霊に襲われた話…
あとなんだったかな…

そのなかでこれは記事にするほどじゃない、っていう話もある
(まあそれを言えば、どれもそうかもしれないけれど)。

ジュリーがリスナーからの葉書で住所を読む際、
いつも「そこでひっかかるか」、と人をがっくりさせる話。
「東京都田無市」の話だ。
まーた今日もまちがえた…

いつもいつも「とうきょうと、たむし」と呼んでしまうのだ。
タム市ってなんか可愛いな。だけど
いいかげん覚えてくれよって、たなし市民思ってますよ。
頭切り替えてよ!

と思ったものだ。
でも仕方ない、人によって弱点はさまざまなんだから…

そんな思いをしたおかげで、ジュリーより早く、この読み方
バッチリ覚えました。
覚えても仕方ないのに。
誰も質問してくれなかったな。

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おわびとお知らせ 
増刷後で間に合わなかったのですが
私の本に、訂正したいところがあります。

44ページの、「タイガース(ファニーズ)がナンバ一番に進出した」くだりで、
きっかけになったのは、タローのお姉さんだったとなっていますが、
そのようなエピソードは聞いておりません。
制作中のなんらかの手違いと思われます。

この本は私なりのイメージを語る要素も多分にありますが、それでも
データ的な事柄に関しては正確を期すべきと心得ております。
読者のみなさんにお詫び申し上げます。



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