サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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沢田研二の「絆」 
昨日の「アイビリーブイン~」つながりで、ジュリーのアルバムから
もう一曲、私の好きなのをあげると、「絆」だ。

いわゆるマニア向け(?)になってしまう、アルバムに隠れた
名曲かもしれないが、これ、とてもお薦め。
ジュリーのこれぞ「熱唱」が味わえる。

「おーまえのー、その足でー立ち上がれる日までー
みーつめてるー、このーおれをー、かなしませないでーくーれー」

「はやく、たつんだ、その手で、その足で」

「立て!」

これはもう、何度もリピートしたお気に入りの曲です。
曲調がもろジュリーという感じで切なくさえなる。

今ここにないので細部はなぞれないが、カンカンカンカンという鐘の音が
印象的だったような。

あまりコンサートでもやってないみたいだ。

「はやく、立つんだ」と乞うように歌う、このフレーズは
違うアルバム(『沢田研二リサイタル ハムレット・イン・ジュリー』)
だけど「尼寺へ行けー」と同じように
頭にこびりついて離れなくなってしまったものだ。

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最近、やたらと口をついて出てくる歌がある。
ジュリーの「アイビリーブインミュージック」だ。

これ、とても鼻歌向きの歌だと思うのだが、どうだろう。
一度「アイビリーブインミュージック」と言う文字を認識したとたん、
何度も何度もそこを繰り返して歌いたくはならないだろうか。

「アーイビリービンミュージーーィィック」
「アーーイ、ビリービンラーーブ」と歌うと、とても気持ちよくなる。
何もかも忘れられる。疲れもとれる。癒される。
そして、いつのまにか恍惚の表情になってはいないだろうか。

ジュリーがまた、ベタな訳詞をつけている。
「歌の力わかりかけた時だから、いろんな歌をもっと歌ってみたい。
そしてみんなで声あわせ歌えたら、何よりも嬉しいんだ、らーららーららー!」

…そのまんまやないか!

だけどこういう何のひねりもない歌詞こそが
人をして口ずさませてしまうのだ。

鼻歌向きはアカペラ向きでもあるのか、観客とのこの歌での大合唱は
さぞみんなが気分良かったことだろうと想像する。
その場にいれば私もすんなりと溶け込んでいただろう。


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ジュリーがミックジャガーにサインをもらった話をこの間したが
その時彼らはひとつ約束をしていたことをご存知だろうか
(こういう話が好きなので何度も語ってしまうけれど)。

「日本刀を送ってくれ」とジュリーはミックに言われたらしい。
だけど彼はそれをまだ果たしていない。
「何か送ってほしいものはありますか」と振ったのは自分だろう。
なのに「あんな重いもん、送れへん」だのなんだの
言い訳を繰り返して、歯の奥に一杯ものをはさみこんでいたジュリー。
何を躊躇していたのだろうか。

だけどきっと人一倍気になっていたのだと思う。
ひょっとしていまだに気にしているのではないか。
それはさっきの「サインが家宝」と語ったインタビュー(ずっと昔のものだが)で、
「ジュリーとミックが並んで武道館で歌うなんてのはどうですか」みたいに
聞かれ、即座に「いや!わしそんなことようせん!」と反応したあと

「日本刀のこと思い出してまたドツカレたりなんかして。
忘れてるやろな(笑)」と、
一人ボケツッコミを繰り広げているところからも推測できる。
誰もそこまで聞いてないのに。

でも、ミックも意外と忘れてはいないんじゃないかと思うのだ。
ジュリーがその約束を果たす瞬間を
「巨人の星」の明子姉ちゃんのように電柱の影からでも見届けられないものかな。

いや、やはりそれは実際には「ない」からこそいいのだろうか。
ジュリーはずっと気にしていられるから。
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ジュリーのしていることは一人宝塚だ。
夢だ、劇場だ、ミラーボール(?)なのだ。
ムードが似ているとは思いませんか。

顔は男役のようなシャープさにちょっと欠けているけれど。
もしかして背丈も負けているけれど。

ためしにジュリーにスパンコール入りのピンクのスーツを着せて
アマポーラあたりを歌わせてみよう。

そこにシャンシャンや羽飾り、そして大階段を持ってきても
ほら、まったく違和感ないだろう。

宝塚ファンも圧倒的に女性が多いし、
キャーキャーというシチュエーション自体が楽しそうなところも似ている。

宝塚にも男性ファンはけっこういる。
だけど思わず顔を伏せてしまうところがあるのではないか。

「男性ファン大歓迎 !」と言われたとしても実際あの中には入りづらいだろう。
いざ会場に入れば、思わず「荷物もち」のふりでもしてしまいそうだ。

そ知らぬ顔で「まだかなあ」などとつぶやいたら、もうなんだか自分がそこに
いるのが悪いことのようにさえ思えてくる。

本当はそんなの超越してしまえばいい。
手塚治虫もヅカファンだったらしいですよ。
だけどそれが難しいから、いざ超越しようと思うと今度は、
志茂田繁樹のカッコのように極端になってしまうのではないかと心配だ。

あの格好でいまや全国読み聞かせ行脚を続ける彼のような
強い何かもないままに。

だけど「空気読め」といわれ続け、そればかりが上手になると今度は
自分が息ができなくなるのかもしれない。
隠れていないでたまには空気を吸いに出てきましょう。

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秀勝という名前の何がいやだったのか、もう改名してから何年もたつし
すでに憂歌団でもない彼だが、「おバカ」的イメージで語られることが多かった。

一度「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出たときなど、友人から
「あれがあなたがいいって言ってる木村さん?バカなの?」みたいに言われたことが
あって情けない思いをしたが、話に主語述語がないどころかとっちらかっていて
わけがわからないから、そう言われるのも無理もないだろう。

ところが、それらは見せかけだったのか?というほど強い表情の彼を見たことがある。
いや、見せかけじゃないだろうけれど…
あれはあれで彼だし、これはこれで彼だ。

それは「シカゴ・ブルースフェスティバル」に参加した憂歌団だ。
いやこの間押入れから古いビデオが出てきたのだが。
数々のブルースメンを彩った伝統あるこのフェスティバルに日本から
遠征した彼らを秋野陽子がレポートしていた。

現地で何年もピアノを弾いているという、いかにも「京都顔」の通称アリヨの
有吉さんと再会して、バックを務めてもらっていた。

顔に「いい体験をしました」としか書いていない内田勘太郎以下の坊ちゃんみたいな
ヌーボーとした顔に比べて、セットリストを厳しい目で見つめ「よしこれで行こう」と
きりっと引き締まった顎の線が印象的な木村の、冷徹なプロフェッショナルな横顔に
私はくらくらした。
彼にこんな一面があったなんて。

アメリカ人の前で歌を披露した彼らは少し気負った緊張感がただよい
本来の持ち味が出ていなかったし、アリヨのはらはらした顔の方が印象的
なくらいだった。

だけどこんな短い時間でそれをわからせようったって無理だろう。
エネルギーだけでも伝われば充分ではないだろうか。
しかし木村にあるものは、世界に憂歌団を示そうというよりも、ただ
ステージをまっとうしようとする責任感みたいなものに見えた。
憂歌団のブルースも、そんな信念のバックボーンがあったのかもしれない。



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新刊続報 
私の沢田研二本ですが、発売してから1週間もしないうちに…
なんと、「増刷」がかかったそうで、ビックリしています!

これもひとえにみなさんのおかげと感謝にたえません。

2刷は31日にできあがるそうです。
まずは本屋さんで手にとってみてください。
もちろん青弓社、版元ドットコム他のサイトからもお求めいただけます。

この本、今ではすっかりなじみが出て、この表紙にも愛着がわいています。
ジュリーのお面をかぶった女の子の顔が、自分に似ているような気さえ
してきました(大丈夫か?!)。

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暮れの話になるが紅白歌合戦、やはりジュリーは事前に断っていたらしい。
彼は選考直前に交通事故を起こし、それが原因でせっかく名前があがって
いるのに出られなくなるんじゃないか、などという報道もあったが、

彼は交通事故を起こしたから出られない、なんて羽目になるくらいなら
かえってイヤでも無理しても出てきそうな天邪鬼のオッサンだ。

断った理由のひとつとしてすぐ思い当たるのは、彼は「阿久グループ」には
属したくないのじゃないかということ。
阿久悠に追悼を捧げるのと、それがエスカレートし彼を美化するのに加担
するかっこうになるのとでは、まるで違ってくるし、また「彼あっての沢田」と
いうイメージもこれ以上はごめんだ。

阿久悠の描く男のダンディズムの世界にジュリーはぴったりはまっていたし
そのような世界を提供してくれた阿久に対する感謝の思いは彼のことだ、
人一倍持っているだろう。

だけどそれとグループの一員にみなされることは違うし、そこジュリーにとっては
けっこう大きいポイントなんじゃないだろうか。

メディアはいろいろと間違った解釈を誇大化して流すが、彼はファンには
本当のところをわかって欲しくて、「事前に断った」こともライブのぼやきトークの
架空の台本に、しっかり明記したのではないだろうか。

だからといって紅白を否定しているのではないことは「紅白はコタツで見たいから」
という言葉からわかる。

葬式に出ない人間が実は誰よりも追悼していることはよくあることだ。



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「怪傑ジュリーの冒険」のDVD、まだ何度もは見ていない。
持ってるだけで満足だ。
しかし怪傑ジュリーってなんだ?

2,3曲鑑賞したらもう違うことをしている自分がいる。
ああいけない、今日こそ最後まで見ようって決めたのに。
そして気づくとまた違うことをしている。
だから最初の地味な2曲だけは何度もリピしていて、もういい、ってことになる。
若いジュリーが美しいから、そこは何度見てもいいけどね。

思えばこれらは、私が一番彼を見つめていた頃の映像だ。
それしかすることないのか、っていうほど、穴のあくまで見ていた時期を
何度も繰り返したくはないのだろうか。
最後のほうの曲はまたちょっと新鮮だが。

それにしても「おまえがパラダイス」の柴山和彦は山田たかおそっくりだなあ。
思わず、ずうとるびかと思っちゃった。

それよりはアルバムをもう一度全部そろえたい。
というのはそれらがどこにいってしまったのか、ほとんど手元にないから。
ひとつずつ、じっくりと聴き直したい。
ネットなどでちょっとずつ買い揃えてもいいのだが、
今年は何かでかいことをたくらんでいるそうだから
CDがいっきに手に入るような企画を期待してしまう(安くね)。

何かでかいことというのは、ドームのことだけだろうか?
そっちが埋まるほうが肝心か。
でも「でかいこと」の話は、ここのところの人気の再燃からというより
しばらく前から「記念にしたい」と言っていたのだ。

ドームのことにしても、いざそれを実行しようとするなら、
昔の渋谷公会堂がやたら爽やかな名前になってしまった
CCレモンホールとはわけが違うのだから、
もう少し、CDなんかもまとめて手に入りやすくしたほうが
新規ファンにもいいのではないだろうか。
曲を知っていたら断然ライブも楽しめる。

そこのところひとつお願いしますよ…

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本の紹介 
私の本をさまざまなサイトで取り上げてくださり、有難うございます。
改めてここで紹介させてください。


           沢田研二という生き方

                                 青弓社刊
                                 1600円+税

ミュージックシーンを突っ走るジュリーが私たちに与えてくれるものは何か?
熱い情熱と義の心で歌い続ける彼はどこへ行くのか?
沢田研二に支えられ励まされてきたファンの立場から、
ロック歌手としてのありのままの姿を描写する。


まえがき

1 ワイルド・ジュリーの現在
   「SMAP×SMAP」での沢田研二
   「灰とダイヤモンド」
   ジュリーの“セクシー”
   過程こそロック
   「サムライ」にみる男の贅沢
   「TOKIO」が暗示するもの

2 ジュリーと歌謡ロック
   歌謡番組のミュージシャンたち
   『8時だョ!全員集合』と井上堯之バンド
   浪花節への憧れ
   佐野元春の超越性
   ジュリーといえば「一等賞!」
   布施明をめざしてしまったジュリー?

3 タイガースと祭りのあと
   沢田研二ショーとザ・タイガース再結成
   沢田研二と加橋かつみ
   デビュー秘話
   『世界は僕らを待っている』と『コック・サッカー・ブルース』
   タイガース・ファイナル
   タイガースをもじったタイマーズ
   夢を提供する者として

4 団塊世代の葛藤と沢田研二の沈黙
   『同棲時代』と『スローなブギにしてくれ』
   バンド志向と団塊世代
   だから好きさ、「ノンポリシー」のジュリー!
   糸井重里と「ビックリハウス」
   アイドル雑誌「明星」「平凡」
   「ス・ト・リ・ッ・パー」とスター性

5 節度あるジュリーチーム
   ジュリーに恋する久世光彦
   「天地真理と沢田研二」って、何?
   PYGの仲間
   沢田研二とバンドメンバー
   内田裕也って何者?
   沢田研二と安井かずみ
   後輩・清水健太郎

6  「あの事件」とその後
   新幹線暴力事件と謹慎
   気迫の「勝手にしやがれ」
   「ダーリング」「カサブランカ・ダンディー」はライブだ!
   石野真子や山口百恵に歌われたジュリーって?
   「アンコール」にみる山口百恵とのちがい
   葛藤の「TOKIO」と胃潰瘍
   「背中まで45分」は…ロックだ!
   「どん底」を見た男
   苦悩の「レコ大」舞台裏

7 渡辺プロダクションからの独立に秘められた使命
   「限りなく無欲に近い」貪欲さ
   ジュリーもこわかった? 人さらい
   沢田研二の空手
   映画『太陽を盗んだ男』
   「本当のスーパースター」宣言と再婚
   「少数派」に寄り添うロック

8 女性たちと再生
   ザ・ピーナッツ
   女性ファンはマゾヒスト?
   「女の辞書には不可能はない」と本音
   映画『ときめきに死す』

9 ジュリーの任侠と抵抗
   兄貴!高倉健
   「氷づめのハニー」は田中裕子?
   「女の腐ったようなやつ」でいいのか
   沢田研二の「電話の唄」
   「日本のミック・ジャガー」? それとも「デビット・ボウイ」?
   「ヨーロッパ志向」ジュリーのフランスでの屈辱?
   ジュリーの愛読書
   「男の化粧」と女装

10 超越する身体性
   一線を踏み越えない振り付け
   運動神経は海を越える?
   ビジュアルとロック
   失神バンド「オックス」と沢田研二の「青」
   沢田研二とファッション

11 「文吉」の再生と、守るべき秩序
   次男魂は負けない
   「永遠のアイドル」ジュリーは子分タイプ?
   追い詰められて蘇るジュリー
   映画『魔界転生』
   いつもそこにはロックがあった
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みなさんのおかげです 
『沢田研二という生き方』
ご注文いただいたみなさん、ありがとうございます。
(灯油の高い時期にも関わらず…)

寒いなか見に行っていただいた方、本はありましたでしょうか?
店頭になかったら申し訳ありません。

版元ドットコムで主な書店の現在の入荷状況がわかるようです。
青弓社のサイトからもご注文いただけます。

私もこれからどこかへ見に行ってみます。

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以前、シーナ・アンド・ザ・ロケッツの鮎川誠がニューヨークのクラブで
観客としてのミック・ジャガーを見かけたそうだ。
彼と言えばミックのファンでもつとに有名な人だから、見かけたとたん
握手して欲しい、一緒に写真に納まって欲しい、そんなあらゆるミーハー的欲望も
渦巻かないはずはないのだが、彼はついに言い出せなかったという。

こんなとき、女性ならもっと大胆であろうことは簡単に察しがつく。
ある男性ファンが、単なるつきあいで隣にいた妻が堂々と「ミスタージャガー
サインしてください」とよっていったことに羨望の目を向けていた。
「どうしてそんな、単なるカッコいいおじさんとして扱えるのか!」みたいに。

自身も日本のメジャーシーンで活躍している鮎川がイジイジと、指と指を合わせた
ひとりETのような格好で悩んだ挙句、すごすごとひきあげる場面を想像すると
とっても可愛らしいけれど、別にサインぐらいしてもらえばいいじゃないか。

鮎川がそのとき目にしたのは、足の悪いドアマンが座った姿勢でギブスだか
包帯だかにミックジャガーにサインしてもらっていた、という場面。
ミックはごく自然にサインしていて、それがとってもよかったらしい。
この自然というのがミソだ。

ジュリーがタイガース時代ミックにサインをもらったときも(鮎川よりは大胆なのは
さすが両性具有か?)、「自然な感じで、嫌がるでもなく、もちろん嬉しそうでもなく」
応じてくれたという。
この感じというのは出せるようで出せないから、彼らの記憶に刻印されたのだ。

「TO JULIEと書いてもらって、そのあとTOタイガースと書いてもらったけど
タイガーのスペルをTYGERか何かで書いてくれて、これまた、らしいと思うてね。
知らんわけやないやろに。あとネクタイにもしてもらった。うん家宝です、
ウッハハハッハッ」。

ジュリーはその場面を心で再現するたびに、悦びが押さえ切れないのは
京都弁まるだしになっていることでもわかるだろう。
熱い語りがしまいには変な笑いとなってほとばしり出てしまってる。

こんな男たちの憧れ力は、しょうがねえな、とも思う反面、
何か学ぶところも大きいと思うのだ。



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新刊続報です 
『沢田研二という生き方』

青弓社のHPに詳細が出ております。
ぜひご覧ください。

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ミックジャガーのなかにも昨日書いた「中村久子」が潜んでいたことを
知っていただろうか。

ローリングストーンズはデビュー前、ロンドンのクラブをかけもちし
20分のステージを雨の日も風の日も1日に何度もこなしていた。
そのクラブというのはとても狭い、すなわち見世物小屋を想像することもできる
ごちゃごちゃした場所だろう。

そうした場所で大衆に支持されてデビューして、世界のストーンズに
なった。日本にくれば東京ドーム、大阪ドームでコンサートをするのが当たり前。
もっと豊かに、もっと繁栄をと夢見ることは人間にとって自然だ、
それが会場のばかでかさに反映されている。
ここまでになったのだ、ということの証明にもなる。

そんな彼らは近年、何度も採算度外視で小さなクラブやシアターでライブを
行っている。ひとつには彼らの身体がそれを求めるのだろう。

実際そうしたハコでは、観客の息吹がすぐそこから熱く伝わって
ビンビンに生きたコミュニケーションが可能になる。
病み付きにもなるというものだろう。デビュー当時のそれは一生
身体にしみついてしまう。

しかしストーンズほどビッグになってしまえば、かえってそれを実行することが
難しくなる、そこをあえて実行するところがポイントなのだ。
身体の求めに従うだけでなく、それは恩に報いるといったような
ほとんど義理人情の世界なのである。
そしてその実践のためには、可能となる自由を、まずは獲得しなければならない。

ジュリーも今年はドームでやりたい、みたいなことを言ってるというが
もしかしたらそれは、こうしたポイントを際立たせる目的もあるのかな、
などと思ってみたりもする。
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中村久子という人 
過去に泣けた番組をもうひとつ。
「知ってるつもり?」という番組があったのを覚えているだろうか。
白髪の塊のようなメッシュのはいった、ソツなさ過ぎ?の司会者関口宏に
コメントもぼっちゃんめいた加山雄三らがわきをかためていた。

さまざまな分野の有名人、といってもやはり芸能人が多かったが
一人ひとりにスポットをあてて、その生涯をドキュメンタリータッチで描くもの。
そのなかでもっとも感銘を受けた人は中村久子という芸人だった。

幼いときに凍傷で両手両足を失って、だるま状態になった人。
しかしその一生を鑑賞した後、さわやかな風が吹いた。

どんな偉人もタレントも、人間の生涯というのはひとつの「悲劇」といえそうだ、
という感想を持っていたところに、彼女のそれは唯一明るい印象だったのだ。

彼女の若い頃は苦労の連続で、母の再婚相手の身売りした見世物小屋に
興行芸人として出演することしか生きる術がなかったという。
まさに手も足も出ない状態で、裁縫などの手芸をして、人々を喜ばせていたのだ。

彼女は人々を勇気づけたい思いから、そこを足場に全国行脚しさまざまな
活動をして、障害者ひいては健常者に尽くした。
そんな彼女を生涯支えた親友は、もっと重度の、死ぬまで寝たきりの生活を
強いられていたという。

活躍の場を広げたにも関わらず彼女はその後も
「私の帰る場所はここだ」と、見世物小屋に戻ったというのだ。
もう涙が止まらなかった。
そしてその時さわやかな風が吹いたのだ。人々の前で芸をする彼女は
していることは同じでも、円を書くように一周してみずからそれをしたい思いで、
舞台に立っている。それは若い頃のつらい気持ちとは、まったく違うんだろうなと。

彼女が口で縫った人形を贈ったヘレンケラーは来日の際、それを涙で受け取り
「私より不幸な人、でも私より偉大な人」などと称えた。

中村久子の座右の銘は、「人生に絶望なし」、だったかと思う。
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本ができました 
『沢田研二という生き方』
できあがったという連絡が入りました。

ジュンク堂、紀伊国屋、旭屋といった大型書店に
19日ごろから入るということです。

コンサートのお帰りにでも近くにあったら、
立ち寄ってみてください
(本当にあるのでしょうか、なんて)。

先日は「もよりの書店に」などと書きましたが…
お取り寄せの方がいらっしゃいましたら
出版社に直接ご注文されたほうが届くのは
早いのではないか、と思われます。


どんな本が出来上がってくるか、楽しみにしているところです。


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小1の息子は学校のある日は朝ギリギリまで寝ているくせに、
休みになると誰よりも早く起きてゲームをする。
ほっておけば1日中することにはまちがいない。

やはり私ののろわれた(?)血をひいてしまっているようだ。
しかし「いいかげんやめないと廃人になるよ!」といったって
彼には何のことかわからないしむなしいだけだ。
自分で思わなければ。

私は結婚直後ゲームばかりする幸せな日々を手に入れて
文字通り1日中していたことがあった。
ほら、大人だからやめられるというものじゃないのだ。

私が生き証人なのだから「言っても仕方ない」ことがわかる。
でもやってやってやり尽くしたある日、自分で
「このままじゃいけない」と思った。
それからごく自然に自制するようになったのだ。
やりつくしたと思うまでにどれくらいかかるのかは、
人それぞれなのだけれど…

それに1日中していることがゲームだからとっちめられるだけで
「有益なこと」ならいいというのだろう。
だけどその「有益」っていうのも疑問だ。
どこで誰にとって有益なのかわからないじゃないか。

先日「探偵ナイトスクープ」の総集編を見て泣けた。
お涙頂戴ものではないから余計に変なところでグッと来る。

食べても食べても満足できない赤ちゃんというもの。
さすがにドスコイ級の体格だったが、食事のときお皿をさげようとすると
「あっあっ」と切羽詰った、まるで愛しい人と末期の別れをするような
悲しい顔をするのだ。

そんな赤ちゃんに途方にくれた母が投書して、
番組ではその赤ちゃんをフレンチレストランに連れて行った。

ベビー用フルコースだ。
前菜から始まり…ってやつ。
次々運ばれてくる皿を次々カラにして、下げられるときは悲しそうな別れを
繰り返し、そして最後のデザートを食べ終えた赤ちゃんは…

自分でその皿を手に取り、スタッフに渡して「ごちそうさま」をしていた。
「ごっつぁんでした」って感じだったけど。
彼は心から堪能したのだろう。


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ジュリーが「好きなタイプ」にあげていたのを覚えているのは、
ソフィー・マルソーと中森明菜だろうか。
ソフィーマルソー、「ラ・ブーム」など学園ものの映画で有名な人。
ジュリーはどんな顔でこの映画を見たのか。

あともうひとり、何とか言う、これも外人さんで、若手の女優
(ここまで出ているので、思い出したらさりげなく書いときます)。
いずれにしろ、間違いないのはそろって童顔、ベビーフェイスということ。

これは私の好みもそうだからよくわかる。
宝塚に入ったら女役しか考えられなさそうな、はかない女顔、よろしおすなあ。
そしてなるべくなら若いのが好き、ということも仕方のないことだ。

しかし以前、雑誌の特集で好きな女優ベスト3を聞かれた彼は、
当時まだ結婚していなかった田中裕子を筆頭に、長山藍子、奈良岡朋子を
あげていたのが興味深い。
さきほどあげた、「いい娘見積もってきやしたぜ」といわれてニヤニヤしている
どうしようもねえオヤジのようなジュリーはいずこ?

いや言いたいのはそういうことじゃなくて、からだの求めるものと意志的なものとは
これほどの隔たりがあるのだということ。

下手するとみな年上で、いや年齢に関わらず「お姉さん」タイプのような彼女たち。
ジュリーはここで、熟女の魅力もわかってくれるフランスのムッシュにでも変身したかのよう。
そう、たとえニヤニヤ、ハアハア(?)が本性であっても、あえて「選び直す」ものが美しい。

そしてここで気づくことがある。
女性ファンにとって残念なことには、田中裕子はさすがに
そのどちらもクリアしているよう気がしてしまうのは私だけ?

…もうよしましょうかね、この話は。





<その後>
例のジュリー本、いよいよ今週(19日ごろ?)発売となります。
たくさんの温かいお言葉お寄せいただき、
心よりお礼申し上げます。

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えっと、おしらせです 
ジュリーファンのみなさま、唐突ですが…
沢田研二本、出します!

実はこつこつと裏で作業を進めていたのですが、
この場で言いそびれて、今日になりました。
もう来週末から販売、始まるようです。

つらつらと書いてきたことはいったい何だったのかと、
大幅に加筆修正して、ちゃんとまとめたものです。
もちろんブログにはないことも多数書いております。

最寄の書店に尋ねてみていただければ幸いです!

『沢田研二という生き方』
青弓社
著者 佐藤明子(私です)
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私がここでジュリーのことを語りだしてから、ユーチューブを見る機会も
あり、ついに齢9歳の娘が「TOKIO」をふりつきで歌いだしてしまった。

少し大きくなった、しかしまだモミジのような両の手を目の前でパッとひらき、
「トーキーオッ」とご満悦の彼女を見て、「こんな小学生おらんやろう」と
夫は不憫そうに言う。

いいじゃないか、いいものは時代を超えるのだ!
ジュリーのフリはなんたって子供にもわかりやすいところがいい。


大阪フェスティバルのコンサートは今回は平日だったので見送った。
こんな娘を残して行くのはやはり不憫だ。

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保護者に無理難題を押し付けられ、追いつめられて心の病にかかる先生が
多いとかいう話題を最近よく耳にする。

過酷な労働条件で心身が蝕まれていくというが、
しかしそれなら先生ばかりじゃなくたとえばサラリーマンでもそうだろう。

同じ条件で心の病になる人もいればならない人もいるのは
原因は千差万別で特定できないということだ。
誰にでも起こりえることだし、暇だからこそ、そうなることもある。

ひとつ思いあたるのは、境界線を設けようということ。
意識して、「ここから先はできません」ということを、
それが無理な状況であっても少しずつでも何らかの形で示していくしかない。
自分の命が一番大切なのだから。
あるラインを越えたら収拾つかなくなる人間の無力さを思い知ればこそ
あらかじめ境界線を設けておく必要を思う。

だけど、その基準がよくわからないというのが、すべてのもとにあるのではないか。
それが高じれば、命さえ大切かどうかもわからなくなる。

たとえばうるさい親でも、「ここまで言うのはどうか」という基準がわかれば自制も
するだろう。現代人には難しいけれど、じゃあどうしたらいいのかというと
試行錯誤しながら努力を重ねるしかないのではないだろうか。

実際メディアで叫ばれているような「あつかましい親」などあまり多くはないと思う。
さっき述べたような基準がわからないから、何でも受け入れる相手にはあつかましく
なってしまうだけだ。

でもこの世はあつかましい人だらけなのだろうか。
私には逆に映るのだけれど。
身を縮こませて…
あやまってばかりいて…
わけもわからず無理をしていれば、なにかのひょうしに
反動であつかましくもなるだろう。

だから現代は変な親が多いと思わせられているのじゃないかと、
むしろ作為を感じてしまうのだ。
親が言うべきこともいえずシュンとなってしまったら、今度はどうなるのか。
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虫唾が走るというと、またきつい言い方になるが
何と言えばいいのだろう、とにかく「いや!」と思うのだ。
それはあの「結婚できない男」阿部寛の生命保険のもの。
近頃めでたく結婚したという本人には何のうらみもないし、
何を考えているかわからないような飄々とした持ち味が好きだ。

だけどあのコマーシャルは…
まだ子供もいなさそうな若い夫婦の夫の部屋に妻が絵をもって入ってくる。
「あなた、お義母さんの部屋を整理していたらこんなものが…」

人の部屋を勝手にあさるなよ!

とまずここで言いたくなるのだ。
しかし阿部はまんざらでもなさそうに、どれどれと絵を見ると
子供のときに描いた母の絵で、彼はそれを見て
久しぶりに電話でもしてみるか、と思う。

ああ、お母さんと一緒に暮らしてはいないのか。
電話しようか、まあそういうこともあるだろう。
別にいいか、とちょっと「ガルルル…」とうなり始めた自分を
抑えることはできる。

しかしこのコマーシャルには案の定続編があったのだ。
これでシリーズ化していくつもりかおい。

阿部がある夜仕事から帰るとテーブルにバースデーケーキ。
かたわらで妻はつっぷして寝ている。
作ってくれたのか、疲れて寝ちゃったんだな、可愛い奴。
ドラマでもよくある光景だ。
臭い、とは言ってもここで彼女が眠くなったからといって自室にこもってしまっては
どうにもならないし、こんな大きいケーキふたりでどうするんだ、と突っ込んでみても
視聴者に伝わらなければ始まらないこともある。

だからいいじゃないか、素直に受け取れば、とも思うのだが
何だか男に都合のいい女性像がこれでもかと語られていると
警戒してしまうのだ。女性がここをまず目指してしまうとおかしいことになると思って。
バースデーケーキを作らなきゃ女じゃないわけでもないだろう。

ケーキのひとつも作りたくなったり、
夫が帰ってこなくても文句ひとつ言う気はしない
そうした心境に至ることが自然なことならば、
何もいうことはないし大歓迎だけれど。

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年末年始はいろんなバラエティ番組があったが
ひとつ途中から見た、昔の「目撃ドキュン!」という番組に似た、
さまざまな問題を抱えても強く生きてます!のような女性にスポットを
当てた番組があって、それにジュリーの「カサブランカダンディー」が今度は
「本人歌唱版」で使われていたが、許可したのかなんなのか。

それとか「石田さん一家が大変だ!」みたいな番組も久しぶりに見た。
なんだなんだ、なにが大変なんだ?
よくある大家族ものだが、あまり掃除をしないのでとっちらかって
収拾つかないらしい。
そこで今回は番組の企画で大掃除をしようということになった。

子供が2歳くらいまではこういう育児ものが新鮮でよく見たから
いつも登場する大家族はだいたい押さえているし、
途中で家族崩壊したり、大黒柱が亡くなったりして
ひっそりとお茶の間から消えていった家族も見てきたが、
なかでもこの「石田さんち」は長続きしているようだ。

ひとつには家族のキャラクターがあるだろう。
お父さんと子供たちの言うことなすことが突拍子もなくて
おかしいのだ。それをドンとおおらかに支えるお母さん。

おおらか過ぎて家が汚いとか誰に何を言われようと
びくともしないんだろうな。
それはいいのだが、このお父さんがユーモラスなべらんめえ口調で
何か言うたびにその10倍もお母さんが突っ込んでいるのが気になった。
コテンパンという言葉はこの場面のためにあったのか、と思うほど。
だから子供たちも同じ調子でオヤジは形無しだ。

だけどあのお父さんが働いてくれているからこそ、大家族なのに裕福そうだし、
(あの家が汚いのは、物が多すぎなのがまず原因だろう)
だからというわけじゃないが、もう少し、優しく接してあげて欲しいなあ。

まああんなふうに奥さんにきつく突っ込まれるのも本人は「やめられない」
ことなのかもしれないし、言わないとわからないこともある。
特に「バーサス男性」においては、「言ってみたら通じた!」「怒ってみたら伝わった!」
ということが多いもの。うそでしょ?と拍子抜けするくらい。

何より、よその家の事情などとやかく言うことじゃない。
それぞれの家にはやり方があり、それで回っているのなら口を挟む余地はない。
夫婦も大きい目で見れば、うまく補い合っているなと、他人だから気づくこともある。

だけど「お父さんはあんな言い方しかできない人なんだ」とほんの少し認識できたら。
おそらく多くの場合、女性の方が正しいことを言っているんだけど、
だからと言って男を完膚なきまでに叩きのめすのはどうなのか、
と、私も思うようになった。

何より女は声も高いのだから、いいこと言っていても、はたからは「きゃんきゃん」
あるいは「ぎゃんぎゃん」吠えているようにしか聞こえなくなるのだ。
それでは損じゃないか。

ある夏の日お父さんは居たたまれなくなったのか、そうでなくても散らかった家から
出て外に涼みに行った。半日ぐらい帰ってこなかったのだろうか、しかしそれだけで
番組では「お父さんが家出!」と大騒ぎ。ほっといてやれよ。

だけどお父さんはやっぱり寂しかったらしく、娘からの電話にすっとんで帰って
「嬉しかった」と言っていた…
こういう生活に慣れていれば、これだけでも寂しくなるのだろう。
いいじゃないか、お父さんは家族が大好きなのだから、
かまってほしいのだから。
解放されたいのは実はお母さんのほうだったりして。

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あけてからだいぶたってますが、おめでとうございます。

友人などに会うと、「最近ブログがジュリーネタばっかりだ」
などと勝手なことを言われるので、今日は身辺雑記なぞ。

年末年始は恒例により夫のホームタウンに帰省した。
広島市だ。
今回の見所は100メートル道路のライトアップだったかな
(ここ毎年やっているようだ)。

「札幌のホワイトイルミネーションを見に来ているのだろうか」と一瞬錯覚するほど
趣向を凝らした数々のオブジェが色とりどりのライトで照らされる。
「火の鳥」あり、「氷の女王」あり、「夢の機関車」、「メリーゴーランド」、
「光のトンネル」「おとぎの国のお城」…あとなんだったかな。

まあ、あとは家族と延々テレビを見たり。
これがまた、「どうしてそんな番組見るかなー」というものに付き合わされる。
間に入るコマーシャルもやたら多くていらいらするのだ。
だけど見ているうちに、違う角度からの楽しみ方が見つかったりして
我慢が悦びに変わるというものだ。

いつもの自分なら「見るわけがない」番組だからこそ
よけいに独自の世界がどこまでも広がっていくことがある。
新発見や発想もあるだろう。
そして大笑いをしている自分がいる。

だから私はあえて抵抗しないのだ。
どんな番組でもドンと来い!
私なりの楽しみ方をあみだしてやる!

これは苦手な人とのおつきあいにも似ている。
接点をみいだして、そこで仲良くすればいい。
家事能力うんぬんというよりむしろ
主婦は案外こういう知恵こそ問われるのではないだろうか。
(あと、どこででも寝られる能力…とか?)

「よく1週間もいられるね」という人もいる。
何の因果か同じく広島に嫁いだ妹も、年末年始は帰省しているはずだが
一週間も旦那の家にいると必ず便秘になると言う。
ところが私はデトックスかというほど、行くたびに「出る」のだ。

こういう「お付き合い」がそれほどストレスにならないせいかもしれない。
それとも単なる食いすぎか?

もちろんこういう場所では「気を使うべき」とは思うし、
空気次第では私がチャンネル権をにぎることもある。
さすがに息苦しくなって、一人静かに個室にこもることもある。

とにかく、今年も日常の出来事に翻弄されつつ、確かな自分をつくっていこうと思う。




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