サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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CMで流れている「カサブランカ・ダンディ」いいですね。
キリン・ビバレッジだったかな。
あれは下に「沢田研二」なり、曲名なりを入れることはできないんだろうな。

ジュリーの「黄金期」のヒットパレードで好きなのは、
たとえば「憎みきれないろくでなし」とか「TOKIO」になるだろうか。
編曲がかっこいい、ってことになるのだけど。
船山さんと後藤さんか。

その意味で、その前なら「追憶」「危険なふたり」も好き。
古き良きハリウッド映画(?)のようなイントロの「君をのせて」もいいけれど。

このシリーズでこれらをどんどん流してみたらどうか。
ファンではない一般の人々もだんだんと「これ沢田研二じゃない?」と
わかるしくみだが、どうだろう。

いや、ファンだけがひそかにわかるってとこがミソなのかもしれないな。




おしらせ;年末年始、帰省などのためにブログを休みます。

今年もたくさん見に来ていただいてありがとうございました。
9月に50000アクセスを達成したと喜んでいたら、もう90000に
届きそうないきおいでホントにうれしいです。


良いお年を!
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関西系の番組「せやねん!」で、フランスのサルコジ大統領の新恋人は
ミック師匠の元恋人だった!と伝えていた。
カーラ・ブルー二という彼女で、「若い恋人」というが、39歳じゃないか。

ミック師匠との噂などもう何年前の話だ?
確かに当時のミックにとっては性懲りもなくの「若い恋人」だったが。
しかしそれについて誰も疑問をはさまないところを見ると
若いイメージというのは年齢じゃないのだろう。

カーラについては「セレブだ」ともよく報道されている。
ミックはたしかにセレブが好きらしいというのは、マリアンヌ・フェイスフル始め
オノ・ヨーコを追いかけたというケースからも推測できるが、彼は外側じゃなくて
そのなかのひとかけらの「貴族性」を尊ぶのだ、ということが
彼を調べて見えてきたのだけれど。

同番組ではまた、ミック師匠は「新しい恋人」との間に
8人目の子供が欲しいと言っているらしいとも伝えていた。
彼には確か5年越しの恋人がいたはずだ。

ミックは現在の彼女との子供が欲しいため、
精力・生殖力を高めるアボガドを毎日飲んでいるとかで
「これこそアンチ・エイジングだ!」と紹介していたが、
ミックは、何より反逆者ということをお忘れなく。

女あさりのアボガドおやじだろうが何だろうが、
年をとってまで若者のイメージを保つのは大変なのだ。
彼のアンチは、その先の、理想のためにある。

若い者が、志なかばで倒れたらヒーローになれるかもしれないけれど
彼らが老いた権力者になってどうなったかなんて誰にもわからない。
偉さが問われるのはそれからじゃないか。
アンチでい続けるのは難しいのだから。


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河原町のジュリーという人がいた。
ホームレス、昔で言う乞食だが、主に河原町周辺に出没し、
いつも気がついたらそこにいた、という現れ方をするのが特徴のおっさん。

もちろん頭を洗ったことなど遠い忘却のかなただろうから、
汚れが固まりまくって髪がコテコテになっていたが、
そこまでになるとかえって悪臭もしないことを思わせた。

「ほら、ジュリー」と小突かれて、振り向くとそこにいる。
今思えばあれほど邪魔にならない人はいないだろう。
あの外見だからもちろん目立つのだが、存在感がないというか、
清々しいとまで言えるほど。

きっと宮沢賢治が「なりたい人物」に挙げそうな、
よくできた、超越した人間だったんじゃないだろうか。
「本当は金持ちだ」などの、人々の好きな類のウワサも、いやというほどあったけど。

ゴミあさりはするが物乞いをしないし、小銭を投げつけても毅然としていたという話もある。
そういうことの積み重ねが、外見を超えたその人の像を作っていくのだろう。

「ジュリー」というのは地元出身のスターにひっかけたシャレだと思っていたが
ひょっとすると、その辺りのエピソードから来ているのかもしれないなと気づく。
いや、やっぱりシャレだろうけど、シャレも捨てたもんじゃない、と。

ある冬の日に凍死していたらしい。
それを聞いた多くの京都の人々が「ついに逝ってしまったか」と
いたずらに泣くこともない、本当の意味での黙祷を一瞬ささげたことだろう。
誰に教えられたわけでもなく。
彼はいつのまにか市民の誇りになっていたのか。
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京都のこと 
「そうだ、京都行こう」とかいった宣伝文をよく見かける。
意外と京都の人間というのは、わざわざどこかに行くのは
かったるいと思ってしまうタイプが多いと思うのだが、
京都が好きでよく訪れてくる、いわゆる「よそさん」に
あちこち案内してもらって、あらためてその良さを認識するという
逆転現象をみることにもなる。

私など、それに加えて生来の「天然」が入っているので
よけいに「今どこを歩いているのか、そして何という名前の神社仏閣を
訪れているのか」さえ、よくわかっていないという状態に陥りがちだ。

これはよくびっくりされる独自の性質としか言いようがないけれど、
最近、私のこれは「何も考えていない」からというより、
「どうでもいいこと」を絶え間なく考えているせいなのかとも思うようになった。
胸を張れることでもないな。

まあそれはいいとして。
この年になってやっと思うのは、今まで何の気なしに見ていた風景も
これだけの人を惹きつける魅力のあふれるものだということ。
それを贅沢にも身近に見て、当たり前のようになっていたのは
ちょっともったいなかったような気もする。

だからこれからはもっと認識を持って京都を堪能したい。
一人でいろいろ出かけてみるのも乙なものだろう。
せっかくだからオフシーズンに出かけたいと思う。
人ごみに紛れに行ったのか何なのかわからないようでは
本当に鑑賞したとはいえないのではないだろうか。

静けさのなかで鑑賞するのが基本でも、たとえばロックを携帯して
異質な世界の組み合わせを楽しむというのもひとつ。
案外しっくりくるかもしれないじゃないか。
いよいよどこを歩いているかわからなくなりそうだが、なんとか
帰ってはこれるだろう。

少しずつ、初めて訪れた者の感動を持って
レポートできたらどうか、と思う。
次はいつの日のことやら、私にもわからないけれど。
(やっぱりちょっと面倒だな…)
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この間少し「アップダウンクイズ」の話をしたら懐かしかったので
今日も「なつかし番組」を語ってみたい。
「パンチDEデート」だ。

カーテンで仕切られた両側に男と女。
介添え人の桂三枝と西川きよしが話を聞く。
そのなかの「好きなタレントは?」というところに
ジュリーが出てこないかと期待したものだ。

そこでたとえば沢田研二と言ったとすると、
「わかりました、沢田研二ですね」みたいに司会者は言って
カーテンにあいた小窓から、相手側を初めて見る。

そして「沢田研二というよりも!」と必ず言う。
「~という感じ」みたいなオチをつけるわけだ。

小窓から相手を見たときの三枝の第一声「オヨヨ!」などは
ほとんど流行語のようにすらなったはず。

そして「ごたーいめーん」とカーテンがあき、椅子を対面させる。
ここで相手を見定めて、つきあっていけそうだと判断したら
手元のボタンを押す。
2人とも押して、背後のハートマークが完成したら
よかったね、片割れだけなら残念、となるわけだ。

なかには両方つかない、サミシー!ということもあるが
どちらかと言えば男の方が、雰囲気を重視してなのか、
「どんな相手でもとりあえずその場ではボタンを押す」
ことをしていたように思う。
たしかに、こんなところでマジになっても、というケースはあるな。

同じように「ラブ・アタック」(関西系?)では、
女性が「かぐや姫」になって、高いところに座り
彼女を獲得するために5人くらいの男たちがしゃかりきになって
競うわけだが、それに値するような外見エトセトラの女性なのかどうかは
ともかく、もう「そういうもの」として彼らは必死でフルコース料理を早食いしたり
床を這いずり回ったシモベを演じるのだ。
そうして勝ち上がってもかぐや姫に「ふん!」されることもあるわけで、
またそれがなければドラマにもならないでしょう。

(ボタンを押すかぐや姫に会場から「つけたって」と大声援がとぶことも
あれば「落ちろー」の大合唱もあった。後者は三枚目の出場者か)

そんな卵子を取り囲む精子そのものの悲しい男たちの真実を見ることもあれば
「プロポーズ大作戦!」の5対5のように、もう自由に身の程知らずに相手を
選ぶことの許される番組もある。
それもやはり同じように、気に入った相手につながるボタンを押すのだが
マッチングの妙、類友の法則、人間の身の程知らずブリなどが楽しめるのだ。

相手は5人だから気楽だが、逆に誰にも選ばれなかった者の悲哀は、
「ねるとん紅鯨団」のタレント大会のお見合いで
誰にも指名されなかった杉田かおるを髣髴とさせる。
あの時の屈辱がバネになって彼女は今でも活躍しているのでは、という気がするほど。

「anan」の有名モデルが誰にも選ばれない、というケースも覚えている。
どうも女の好む女が男に通用するとは限らないらしい。
その時フランス人形のような彼女の顔は能面になり、ショックを隠せなかったようだ。

そんな狂騒をよそに、パッとしないもの同志、地味に早々にカップルを作っている
という、枯れた世渡り上手もいた。
身のほど知ってるからっていいわけじゃない。彼らからは「挑戦」という
ロックな響きが何も感じられないじゃないか!みたいな。

そういった悲喜こもごもの人間模様を、これらのオチャラケ番組は教えてくれたように思う。

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沢田研二、妻の血液型 
私の母はザ・ピーナッツと同じ生年月日のはずだ。
母がみずから何度か言っていたから覚えているのだけど。

一度じゃあ血液型はなんだろう、と渡辺プロまで問い合わせたことがある。
どこにも出ていなかったからだ。
血液型にはまっていた16歳の私は大胆だった。
いきなり「ピーナッツ何型ですか?」みたいに問い合わせたら、
即答で「B型です」と教えてくれたっけ。
打てば響くリアクション、ナイス!

その後一緒になる田中裕子もB型…
A型のジュリーはどうも自分にないものを求めるようだ。

いや私の母もA型だが、血液型は違っても、同世代の形作るキャラのほうがより強い。
ジュリーとピーナッツの会話などを分析すると、まるで私が母をうるさがっていたような
「専業主婦かくあるべし」みたいな良妻賢母伝統(?)死守のノリを
エミこと日出代さんに感じる。
そして母もそうだ。
自分たちは戦後のどさくさで野趣あふれて育ちながらも、
言ってることはきれいごと?みたいな。

自分の、その型にはまりたくなくて逃げていたような感覚が、
(逃げ回りすぎて、もっと野趣あふれて育ってしまったけれど)、
ひょっとしてジュリーにもあったのかも、と感じてしまう。

また変なところで彼に親近感を持ってしまったものだ。
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沢田研二の書き文字 
沢田研二の書いた文字は、大人っぽい感じ。
男性にしては繊細さのある、シャープな、素直な字だ。

(素直な字を説明するとしたら、素直じゃない字は、私には松田聖子だ。
今はどうか知らないが、デビュー時の「ぶりっこ」と呼ばれていた頃の
技巧的なまでの丸文字。字までぶりっこで統一していたのならプロ根性か)。

可愛らしい丸文字が女らしく、男性は大雑把でオーケーみたいな
無意識の性差別があるとすれば、ジュリーの字はそれさえ超越している
といったら大げさか。

整っていて、面長なところが顔と同じ。
「下手だ」と謙遜するが、それほど下手ではない、どころか
うまいじゃん、というのは歌と同じ。

きっと負けず嫌いだから「下手だ」とは絶対に言われたくなくて
もし下手だったら密かに練習するタイプだろう。

一般人だったら、カラオケで「いやだいやだ」というそぶりを見せつつも
いったんマイクをにぎったら、周りの注目を集めずにはいられないタイプにちがいない。

たとえばタイガース時代のボー読み演技と現在の演技、同じくタイガース時代の
荒けずりな歌唱と後年の、のどぼとけをコロコロ振るわせた熱唱を比べてみよう。
40年経っているとはいえ、あれほどの違いは、努力しなかったとは言わせない。

だけど彼は努力の跡は見せたくなくて、人には「変な努力は身体に悪いよ」
とか釘をさしそう。(だから僕を見てごらん、体型も自然な感じだろう?とまでは
言わなくてもいいが)

結論は、彼は素直を装った、ええかっこしいってことになるだろうか。

ごめんなさい、今日もさんざんでしたね…

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沢田研二のシルエット 
自分のなかのスター、たとえばミックもジュリーも偉大さは
同じだとしても、ライブをする会場の大きさはだいぶ違う。
ストーンズは日本ではドーム級でしかしないから、
よけいにミックが遠い存在に思えてくる。

きっとミックを捕まえて目の前で見れば、小柄なやせっぽちの
おじいさんだと思うのだが。
まあ放つオーラは神様級だと誰かが言っていたけれど。

ホテルで待っていても会えなかったからなおさらだ。
あとから通用口から出入りしていると知り、
「一人ひとりにハグぐらいしてくれても減るもんじゃなし」
と思わずブー垂れたが、これも神様級に思わせるテクだろうか。

そんなスターに比べるとジュリーのハコは小さいし身近に感じる。
特に、歌っている姿のシルエットが、サイドの壁に浮かんでいるのを見ると。
「私は誰でしょう?」
キツネさんでもハトでもなく、ジュリーさんだ!
身近に感じるあまり、メガネをかけてシルエットをつかもうとするような
マヌケな真似までしてしまいそう。

そういえば昔、アップダウンクイズという番組があったなあ。
シルエットクイズはどうでもよかった…
「私は誰でしょう?」誰でもいい…
だけど何かいい感じに浮かれたお祭り気分が漂っていて
素直に「ハワイに行けてよかったね」と思えたのだった。
ルールールルー、とタラップが10段アップしたゴンドラに寄ってきて
レイをかけた優勝者が「この世の春」みたいな顔で降りてくるのだ。
平和だったなあ。

ロート製薬の提供でお送りしました。


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沢田研二の目鼻口手 
ちょっと危ない人に思われそうだが、今日はフェッチっぽく攻めてみよう。
まず目である。
さんざん、ジュリーの顔はやる気がなさそうだとか書いたが
あれは垂れ目にも原因がありそうだ。
それが時には親しみやすさ、時には哀愁さえ演出する。
大きいから目で語ることなどお手の物。
特に上をむいた目などは少女マンガの王子そのもの。
まつげの長さが強調され、瞳がキラキラと輝いてとても綺麗。
そしてあの目は意地悪そうな眉毛があるから相乗効果で
引き締まりもし、絵的にもよくなるわけだ。

語ると長くなりそうなのでバランスをとるために鼻に移ろう。
タイガースはみんな独特の似たような高い鼻をしていた。
それがヌーボーとした雰囲気をかもし出していたのかもしれない。
単独ではわかりづらいが、彼らが並ぶと、特にサリー、タロー、ジュリーの
横顔の雰囲気が似ていると思うのだがどうだろう。
哀願するように歌うとき、鼻腔がぺコンとひっこむのもジュリーの特徴。
あの鼻にかかった声もここに要因ありか?

口は何も主張していない、お品のいい感じ?
ただ歯はちょっと変わっている。
スターというのは、歯や唇がキラキラしていなければならないのだが、
たとえば興奮のあまりのけぞったスターの歯のウラ真っ黒だったら
ファンはちょっと幻滅してしまうものだろう。
その点、ジュリーの場合、両脇の歯がうまい具合にせり出しているため
裏が見えにくくなっている。
歯を点検するなどの人間らしいスナップを平気で載せるわりに
こういうとこ実に抜かりがない(?)。

話すとき口を歪めるのも少し気になる。
しかしこれは、慎重に言葉を選んで、斟酌して発している
ためだろう。内省的な性格がよくあらわれているではないか。

さて手だ。
これはまた、パントマイムにこれほど適したものはないだろう。
誰かについて修行したわけでもなさそうなのに、
なんとうまいこと壁を演出することだろう。
「勝手にしやがれ」の「あーああー」には、
その辺が活きていたのではないか。
あまり骨ばっていない女性的な手ともいえるが
あれがたまらない人も多いだろう。
あまりスナップの効かなそうな、硬い手首が
彼の性格まであらわしているようだ。

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僕は君のために重い罪を犯し鎖つながれてもかまいはしない~

当時のティーンネージャーの、婦女子のハートをグッと掴んだであろう
この歌、いや私はまだこの世に生息して間もなかったので
一緒になって叫べはしなかったけれど、あのイントロが聴こえてくると
反射的に「キャー!」と言いたくなる気持ちはとてもよくわかる。
傷だらけのアイドルここにあり!
しかしこの歌詞をあらためて見直すと、
ジュリーのかもし出すものにピッタリはまっているなあ。

鎖につながれてみたり、びしょぬれになってトレンチコートの襟を立てて
震えてみたり、血を流してよろめきながらトボトボ歩いてみたり…

私たちが彼にああもして欲しい、こうもして欲しい、ということを
代表してやってくださったのが久世さんだったことはいいとして、
なぜ人はこうして欲しがるのか、ということに興味がわく。

どうしようもない生理的なものと言ってしまえばそれまでだが、
縛られているスターには、人間らしい哀愁がある。
解放だけではいけないことを示唆しているような。

縛られている者がいれば解いてあげたくなるのも人情だが、
自由奔放な者を縛り付けたくなるのもまた人情か。

実際、解放が当然になってしまえば、足下を見直せばいいだけの
シンプルなことに目が行かず、本末転倒なことを推し進めてしまったり、
しまいには死を志向するようなことになりかねないのではないだろうか。
だけど人間は命まで支配することができるのだろうか。

「美しき愛の掟」は、生かされて生きていることを
教えてくれる(私だけか!)。
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光実って名はいい名前だ~

アコースティックギターをバックに切々と歌う「天使に涙は似合わない」の一節。
この歌を聴いてジュリーは男を擁護するためなら、
親戚のおじさんにだって何だってなるんだな、と思った。
名前をつけた「おじさん」は、懸命にどうしようもない「パパ」のことを
「心で手を合わせてるんだよ」「言葉で言えないだけなんだよ」とかばっている。

「ゆるしてくれ」というフレーズは「生きてたらシアワセ」にも出てくるけど
いずれも男を「花園で眠れぬサムライ」になぞらえて、
わかってやって受け入れて欲しいと祈っているようだ。

男のほうにも、行ったきりにならず、最後には足元を見直す、
日常を見直すことがそれなのだよと言っているのかもしれない。

ミツミのパパだって志を持って精一杯やってきたんだけど、形にならず
娘にはうとんじられ、という有様なのかもしれない。

否定されたら立ち直れないような男の弱さを精一杯の強がりでくるんでいる
「阿久悠」的世界は、まだジュリーの歌詞にひっそりと息づいている。
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月1でグルメ・デートをしている82歳の義祖父と河原町丸太町の東洋亭で
血の滴るようなフィレステーキをほおばりながら、オノヨーコの話をした。

12月のジョンレノンの命日にちなんだ番組をたまたま見たところ
初めてオノヨーコという人の話を聞いたと振ってきたのだ。
「なかなかまともなことを言っていた」などというので
「おじいちゃんはロック歌手なのに、みたいな見下げたような言い方をするけど
オノヨーコは賢い人なのよ」と言っておいた。

今年はジョンのどんな番組があったのか知らないが、
生前の彼とヨーコが平和を訴えてどんどん胡散臭い方向へ行ったようだ
ということなら知っている。

女の言うがままになったらああなってしまう見本だ、とまでは言わないけど。
「女の先走り」みたいなものには、何だかなーと思ってしまう。
たとえば林家三平一家のみどりや泰葉。
(あ、女の、じゃなくて一家か?)
海老名みどりが「文筆家(?)宣言」だったかをマスコミを集めて金屏風の前で
したときは、「何でも勝手にやってくれ」としか思えなかった。

ミックジャガーは、そんなジョンたちを他人事として
冷めた目で見ていたのではないか、と思うことはある。

たとえばジョンとヨーコのやってたプライマル・スクリーム法、
ヨーコが金切り声で叫んでいた映像が脳裏に焼きついて離れないが
あれはセラピーの一種だそうで、あれとか、とことん怒りをぶつけようとする
ゲシュタルト法など、それらをもじったようなプログラムは、
私の一度参加した「自己啓発セミナー」にも使われていたことを覚えている。

それを「うさんくさい」とは言わないけれど、ヨーコのレコーディングに参加した際のことを
インタビュアーに「今回はヨーコは、叫ばないんですよ。歌ってるんですからね普通に!」
と言っていたミックは、ヨーコを茶化しているとしかいえない。

私は自分が自己啓発セミナーに行くような「危うさ」があるせいなのか
ジュリーやミックみたいな現実性を多分に備えた人に、ついていこうと思う。

ヨーコたちのしていることに「大丈夫ですかー」みたいな目をむけながらも
ジョンの目をかいくぐってヨーコとお近づきになろうとしていた
悪魔のようなミックもいい。

ヨーコがまた、その頃こんなことを言っていたそうだ。
「ミックが近くに住むようになったら、彼とはただの友達でいられなくなるかもしれない。
そうなったらジョンとの関係が危うくなるので怖い」。
彼女はミックに追われるたびに引っ越していたらしいが、
ジョンに勘付かれ、ミックは「中産階級のだぼら吹きが!」と追い出されたとか。

ミックの目的はなんだったのだろう。
彼の歌詞の「ペットのペキニーズ」はジョンのことみたいに思えるのだが。
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沢田研二の退廃と光 
昨日書いた「どことなくかったるい」感じの支配するジュリーに、
そういえば『太陽を盗んだ男』の役柄はぴったりだったなあと思う。

せつな的に生きる理科教師が、気分で原爆をつくってしまうが
使い道に苦慮するという…

虚無感が支配していれば、かえって何事も目の色変えずにできてしまったりする。
でもその死へ向かう気分に、人まで巻き添えにしては大変だ。

だからジュリーは、太陽のほうへ顔を向けようとするのだろう。
そのために自分の退廃的な雰囲気さえ役立てようとする。
闇にどっぷり浸りこんだあとは太陽が見たくなるはず。

彼が太陽に向こうとするとき、彼のもともとの「かったるさ」は、
セクシーな魅力となって活きるのではないだろうか。
そのとき私たちは彼の後ろに光を見出すのかもしれない。
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沢田研二の退廃 
ジュリーの色気、セクシーさの正体って、「けだるさ」じゃないだろうか。
たとえば「背中まで45分」などという、こっちまで途中で眠りそうになる歌を
歌うジュリーの、寝ぼけたようなしゃきっとしていない顔には、

「かったりーな…」
「どうでもええわ…」

という呟きが貼りついていたように思う。
最新アルバムにも「何もかもイヤになる悪い癖」という一節があるじゃないか。

海中の奥深く、子宮の奥深く潜って行きたい思い、それは死を恋する思いとも
そう遠くはないかもしれない。
だけどそこで、思い切り「生」の方向へ彼を引っ張る、反作用の働き、これが
彼のセクシーのもと、という気がする。

どうでもええわ、煮るなり焼くなりしてくれ…という感じを漂わせながら、
とっても活動的。

何が彼をしてそこまで頑張らせるのか、運動部でしごかれた根性なのか、
よくわからないけれど、滅びへの引力が強いからこそよけいに、
「生きよう」とする。そこにふっと匂う悲しさ、それが色香だ。

「俺はがんばってるな、と思われないと気がすまない」と彼は語っていたけれど
どことなく「だるい感じ」が彼からは常に伝わってきて、それがとても共感できるのだ。

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沢田研二の得意なこと、それは歌詞を忘れることだろう。
みごとに「ポッカリ」と忘れるさまは、見てて胸がすくほど。

というのは、昔からあれほど歌詞を忘れ、ごまかすのに苦労して、
ごまかし方にたくさんのパターンが生まれ、枝分かれしていくほどで、
自分の弱点だと自覚しているだろうに、
それをさして気をつけている様子も感じられないからだ。

「忘れないように気をつけなくちゃ」と慎重になって歌っているようには
まったくもって感じられない。

まあ、忘れないために事前に歌詞を見ておく、などの努力など
あまり意味もないのかもしれないけれど。

それにしてももうちょっと気をつけてくださいよ、という文句も
言えなくなる何かがある。

瞬間瞬間をまっさらな気持ちで全力投球しているから、
ポッカリと歌詞を忘れるのも、常にまた新しい一瞬のくりかえし。
だから間違えないかと身構えることもありえない。

そうだ、真剣勝負のまさに「ライブ」を生きるゆえなのだ!
かっこよすぎたか。




お知らせ:1週間ほどブログを休みます。
また見に来ていただきますようお願いします。



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