サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
page top
スポンサーサイト 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
不快な組体操 
小学校の運動会、6年生の組体操は、なぜか毎年感動するので
最後まで残って見る。だが今年のそれは解せない思いだけが残った。

組み体操は例年どおりの動作と、新たな動作で構成されている。
たとえば最後の巨大ピラミッドや、5,6人ずつが前に出て
挨拶がわりのワザを披露するような部分は変わらないし、
逆にその年のテーマによって曲や内容を一新する部分もあり、
それら新旧が組み合わさって見ごたえのある出し物になる。

今回は途中でガラガラとトランポリンを中央にひっぱってきたので
離れ業でも見せてくれるのかと期待したら、ひとりの障害者学級の
女子生徒が先生か親かに付き添われ、おぼつかない足取りで
トランポリンに向かって客席から歩き出した。

生徒たちはいっせいにトランポリンを囲んで両手をさしのべる。
障害児は介添えされながらピョンピョンと飛び跳ねる。
えっ?もしかしてこの子が飛ぶだけ?
何だかよくわからないなーという思いから、それを通り越して
だんだんと気分が悪くなってきた。

このテーマはなんだろう。障害者に手をさしのべる優しい私たち、
だろうか。向こう側とこちら側はきれいに分かれていますよという
ことの証明だろうか。この組体操に出ることが人として当然で、
出られないなら出なくてもいいという選択はできないのだろうか。

客席にいるならいる、出場するなら団体の一員となる、
どちらかだろう。
客席から歩くところを演出されるなんて見世物だし、
差別にうるさい学校が、こんな差別をしていいの?
無邪気に飛び跳ねる子を囲んで、みんなでウェーブなんか
してる場合じゃないだろう。

この子はわかりやすい障害者だから特別扱いされるけど
この分だと、分かりにくい障害者は「なかったこと」にされる
んだろうな。
いったい何人がこの出し物に感動するのだろう。


スポンサーサイト
スポンサーサイト
page top
2005年から始まった「ア・ビガー・バン・ツアー」の模様を
おさめたもの。このツアーは約2年と長い長いものだった。
私はナゴヤドームでBステかぶりつきの幸せを味わった。
(映像のように靴やブラジャーは投げ込まなかった)

ステージはオースティンとリオ・デ・ジャネイロ。
前回の「リックス・ツアー」から全然ふけていないメンバー登場。
裏では木から落ちて頭打ったりアル中で入院を繰り返していたのが
嘘のよう。
「今度こそ」最後のツアーかという声もあるが、こういう人たちは
やめたとたんガクッと老け込みそうだ。

ミックでいえばジェリーホールと別れた辺りから肉体がますます
絞り込まれ、むしろ若返っている。それとも何かいい薬でもあるのか。
もちろん若い頃の映像よりは息が続かないし、動きも老人用のものに
さりげなく変わっていたりするが、もうあとがないようなハングリー
さをここまで発揮する人も、世界的金持ちにはめずらしいのでは。

そんな彼は、いつからかステージでは黒いパンツのみを着用。
なぜなのかは88年のソロのステージ映像を見ればわかるかな?
いや足が短かろうがなんだろうが、ミックの奈良岡朋子ばりの笑顔
にはいつも癒される。

カメラワークは今回は上から下から後ろから、
次々切り替わって忙しい。
「リックス」のDVDではバックステージを映す試みをしていたが。

バックスクリーンのベロマークには前回は日本のアニメの女の子が
またがってヘロヘロになっていたが、今回はピンがささってる。
どっちにしろ、ベロが痛めつけられることに変わりはない。

同じくスクリーンには懐かしのPVの数々が流れる。
私はこれらを1年ですべて集め、何度も見直した。

「次は懐かしい曲です」とミック。
キホンすべて懐かしい曲でしょ?と思ったが、
それは60年代の「ひとりぼっちの世界」だった。

ほかにはあのイントロがかっこいい「アンダー・マイ・サム」も
今回リストに加えたようだ。「タンブリン・ダイス」のイントロも
何度聴いてもグッと来る。

逆に「シンパシー」や「ホンキートンク」「ミスユー」など
毎ツアー入れすぎか?と思うものもある。サティスファクションは
テーマソングだからしかたないにしても。
(余談だがザ・タイガースのサティスファクションは最高である)

最新アルバムの曲では「レインフォールダウン」はステージむきなのかとてもよい。「ストリーツオブラブ」は逆にCDがいいのではないか。

DVDの日本語字幕は相変わらずトホホな感じで、
無理しても英語で聴こうと思ってしまう。

それにしても、ジュリーにしろミックにしろ、あそこまで精力的
なのは、彼らの父親たちが90いくつまで生きたことと無関係では
ない気がするこの頃だ(ジュリー父は94で健在)。
90のミックでいいから会ってみたいなあ。
そうすると私は68か…うーん。

page top
2002年作品。韓国のコメディー映画を日本のミュージカルに
リメイクしたものらしい。にもかかわらずジュリーの言葉の発し方が
新劇の役者みたいで、それがまた笑いを誘う。

デパートをリストラされたジュリー扮する主人が、何をトチ狂ったか
家族を道連れにペンションを開くが客が来ない。
「お客さんきっと来る。ほら、こんなに気持ちいいじゃないか」
と、ブランコをこぎまくる初老のジュリーが、とってもセクシー。

ある日訪れた客にすがりつくように、家族総出でもてなす涙ぐましさ。
しかしその客は謎の死をとげ、泊まる客、泊まる客みんな死んでしまうというブラックジョークホラーが始まる。

彼らは何とかことを荒立てまいと死体を始末しようとする。
途中で警官が見に来るが、彼は私がこの間シートベルトで捕まった
時のような気味の悪いほど腰の低い警官で、一家はまぬがれる。

しかし息子、武田真治は「隠す方向かよ」と反発し始める。
「幸福のスイッチ」同様この映画でも
何かあるとどなりちらすようなオヤジ、ジュリーとの
ぶつかり合いは、寺内勘太郎一家の小林亜星と西城秀樹の昔から
もう何度繰り返されてきたか知れない親子のひとコマだ。
にしても、武田の若い肉体とジュリーの緩みきった肉体の対比が
痛い痛すぎる。

客が来ないわりに豪勢な家族の食卓や、ジュリーと妻の松坂慶子との
「勝手にしやがれ」と「愛の水中花」をドッキングさせたような
デュエットも見もの。

彼らには出戻りの娘もいて、忌野清志郎の詐欺師にひっかかる。
このリチャードという人物はたしか実在していたな。
イギリス王室と親戚であるアメリカ空軍のパイロットだと言い
結婚するためには一度イギリスへ帰る交通費が欲しいというもの。
実物は、どう見ても日本人のおじさんだったが、
実際に何人もの女性がだまされたのだ。

とにかくそういう関係者は次々死んでいき、エンディングは
カタクリ家のメンバーだけが、草原のなかで歌い踊るという
サウンドオブミュージックばりのさわやかさと、
おじい役の故丹波哲郎の持論「死んだらどうなる」的世界の
組み合わさったシュールなものだった。
展開が速くあきさせないので、もういっぺん見てみたい。
page top
PYGといえば豚の絵(誰が描いたんだろう)のジャケットを
思い出す。彼らはGSの残党とも夢のスーパーグループともいわれ
「商業主義は帰れ」と野次られ、皮肉にも商業的にぱっとしなかった。

彼らの「自由に歩いて愛して」「花・太陽・雨」は今じゃ
名曲なんていわれているが、後者など岸部一徳が、カミュの世界を
描いた歌だとか。パッとしなかった理由もなんとなくわかる。
バンドのコンセプトがわかりにくかったのかもしれない。

失礼ながら一徳とカミュが結びつかないのだが、
岸部一徳は、弟のシローのような自由人風ではなく、
今でも地道に地味ながら息長く活動している印象で
人知れず、もう名わき役の座ぐらいには着いていそう。
そんな彼の生き方のベースにはもしかするとカミュが
居たりなんかするのだろうか。

カミュといえばたしか中学時代に「異邦人」を読んだだけだ。
だいたいの知識を得ようと思えばすぐに得られるし、ああ
なんとなくそういう世界だったな、くらいの感覚は得られるが、
それでいっぱしの顔をしなければ生きていけないような錯覚を
起こしがちの世の中で、ジュリーの姿勢は一貫して
「分かったような顔はしたくない」というものだ。

彼のイメージは一人歩きしていろいろな場で広がりを見せる。
そんな自由さや夢の一方で、いかなるときも変わらぬ彼がいる。
それはたとえばカミュを語ろうとせず、
誰もがわかる話しかしない等身大のジュリーだ。
だけどその一貫した姿勢こそが、みんなが語るに値する
のではないだろうか。



page top
いまやテッチャンと言えば鉄道ファンだが、
その昔はちくわとかまぼこを売っている可愛いぼうやだった。
てっちゃんてっちゃんかねてっちゃん、のCMは
関西だけかもしれないがおなじみだった。

当時はかねてつ食品だったカネテツデリカフーズの
「啓蒙かまぼこ新聞」を連載していた
中島らもは、広告代理店のコピーライターで、
その後小説やエッセイを書き、バンド活動などもして、という
大活躍の影で、うつ病やアル中で苦しんでいたという。

だから、なのかどうかローリングストーンズのなかで
キースは好きだけどミックは大嫌いだと『異人伝』に
書いている。

何を持って「大嫌い」とまで彼を激しく反発させたのかは
わからないが、ミックはひたすら強い者のイメージがあるんだろうな。
キースやブライアンは同じ天才肌ジャンキーとして、
わかってくれそうなんだろう。
その弱さ、純粋さを。

昨日触れた景山民夫のことを、「幸福の科学に入った。
だからピュアな人なんだろう」みたいに書いていたが、
しかし宗教にはまる人が純粋なんだろうか。
逆に「強い」人のなかにも思いがけない弱さ純粋さはある。

彼がキースを好きな理由と思われるものとして、
「権力に噛み付くタイプが好きだ」とあった。
でもそんなの無責任とはいえないだろうか。

権力に噛み付いた挙句、ぽしゃってしまったら
結局はプールに沈むしか術はない、ということもある。
それではその「純粋さ」みたいなものが活かせない。
ストーンズがここまで続いてきたのも、ミックがセコかったから
かもしれない。

純粋さにこだわり、それを後生大事にしたい点では、中島らもも
ミックも、もしかしたら同じなんじゃないだろうか。

ただ「嫌い」というだけなら「ふうん」と思うだけだが、
「大嫌い」となっていると「おっ」と注目してしまう。
あの人とこの人は、案外おんなじ場所にいるんじゃないかと。

page top
沢田研二と高田文夫 
3日前かに自分の書いた記事を見直してびっくりした。
イケメンってイケてる顔の略か?とか書いてある。
メンって男のことに決まってるやんか。
時々自分が信じられなくなるが、がんばろう。

さて高田文夫は昔から「ジュリーと生年月日が一緒」という
ことをひとつのウリにしている。

「だから占いは信じない」そうだ。ジュリーのような
比較対象がいれば、生年月日で今年はいい年かどうか
性格はどうか判断できないと実感できるということだろう。

さらに細かいことを言えば、一見いい年のように見えても
本人の内情というのは本人でないとわからないものだ。

高田文夫は、ビートたけしのとりまきという印象だ。
いまならダウンタウンの松本と男たち、みたいな感じでたけしの
かたわらで口を手で覆ってクスクス笑っている放送作家の
姿を思い浮かべることができる。

しかし彼はただのとりまきじゃなかった。
たけしの「フライデー襲撃事件」は許されない
という意見だったそうで、側近にあるまじき発言などと言われたが、
都合のいいことしか言わない側近というのもどうなのだろう。

たしかにたとえばジュリーも「暴行事件」経験者だが、
その「暴行」の内容はたけしとまったく違う。
ジュリーの場合は相手と真剣に関わりたかったゆえの行為であって、
侵略という暴力ではない。

高田文夫は、故景山民夫の「幸福の科学」入信にも
反対していたらしいが、そんな硬派さや目の大きさなども含めて、
やっぱりジュリーにそっくりなのかもと一瞬思ってしまえる。

ジュリーと違うのは、大きな目の落ち着きのなさだ。
腰の浮いたような椅子の座り方に加え、そのキョロキョロ泳ぐ目は、
人一倍大きいがゆえによけい
「小心者なんだろうか」と思わせる落ち着きのなさを露呈する。
でもその目は見るとこ見てたのかな、と思った。
page top
森且行 
元スマップでオートレーサーに転向した森且行を
荒木経惟が激写した、とかいう動画を見た。
あの人気絶頂期のスマップを脱退して、ここに向かわせた
のは、彼のなかの「少年」だったんだろう。

そういう少年っぽさを全開にしたところがスマップのコンセプト
だったなら、森こそが最大のスマップらしいメンバーだった。
もともとスマップのSとMは、スポーツ、ミュージックらしいから。
その意味で理想的な肉体と運動神経をもち、たしか歌もうまかった
彼は、たとえば稲垣吾郎よりもスマップにふさわしい。

彼にはお笑い芸人的おもろさも感じられなかったし、
吾郎のように芸術を語れそうでもなかったが、
そんなこと別に「スマップ」には関係ねえ。

不倫に疲れた女性などは、自分がそういう相手に向いているか
どうかは抜きに、彼のフツーっぽさを志向してしまいそう。
はちきれそうな若さをもったフツーの男の子ってなんて素晴らしい
んだと目覚めてしまいそうだ。

ところが彼はその実誰よりも芯が強く、フツーじゃなかった。
早々と自分の好きなオートレースの道に入る実行力、推進力。
今も着実にその世界で生きている。
そして「どこまでも男の子っぽさ追求してます」みたいな
変わらぬ姿勢を、たまに私たちに確認させてくれる。

だんだん化粧顔になって、一瞬「おばさん?」と見まごうばかりの
木村さんより、一生森くんでいてね!なんて、すがすがしい気持ちに
なる今日この頃だ。
page top
中森明菜と百恵 
中森明菜は私と同い年で、デビューしたてのベビーフェイスが
大好きだったので注目してきた。
彼女の側面をひとつあげるとすれば、山口百恵にならおうとして
人生あやまったということだ。

三浦友和と7年愛をはぐくんで結婚した百恵(私たちの時代の
小学生はマジで七夕の短冊に「二人が結ばれますように」と
書いていた)と同じ人生を歩みたかったのに、どうしたのマッチ
振り向いてよ、こんなはずじゃないわ…

まあ、憧れるわな。歌謡賞をもらっても、いつも落ち着き払っている
百恵が、友和からのお祝いの電話が入ったとたん大粒の真珠のような
涙を流し、しどろもどろになるのだから。

明菜もアイドルとして絶頂の頃に「近藤真彦さんのお嫁さんになり
ます」と言ってみたかったのだろう。
だけど、何かとお騒がせタレントになってしまった明菜が人間らしい
とすれば、百恵はそもそも「別もの」だった。

あんなにしっかりした10代自体、そもそもいないだろう。
どこか寂しそうで、根本的な哀しみを抱えた表情と、
思いつめたようなまなざしで歌う百恵は、あの歌詞の一言一句を
大切に、語るように歌う生き方で、一瞬一瞬を全力投球した
からこそ、すっぱりと引退した。
明菜のように結婚に憧れてなどいなかったのではないか。

彼女がいまだにモノマネされてしまう、あの妙に抑制のきいた
受け答えも百恵を意識したものだったろう。
だけどその「モノマネされる」不自然さで、結婚を追い求めて
生きてしまった明菜。危なっかしくて目が離せなかった。
page top
いまちまたでは「イケメン」が大人気だそうだ。
イケメンって、いけてる面(つら)の略だろうか?
彼らの定義の裾野は広がっているらしいが、
厳密に言えば、ドラマ版「花より男子」の面々を指すのだろう。

とすると彼らは、宝塚の男役をまんま男にしたと定義できそうだ。
男っぽい女と、男じゃ全然違うからな。
ザ・タイガースの歌うローリング・ストーンズしか知らなかった私が
10代のある日、彼らのベスト版を初めて聴いたときの衝撃と
似ているのではないだろうか。

たとえばずっと女子校で過ごしてきて、男の兄弟もいない、
という場合、少女マンガの乙女チックな世界観で男性を捉えていて
現実に彼氏ができたとき、実物のかもし出す立体的なリアルな
コクを充分に堪能したいと思うだろう。
それか、急に逃げ出したくなるかのどっちかだろう。

さてジュリーならどんなイケメンになっただろうか。
最初に述べた広義のイケメンなら、充分いいツラしているのだが、
たとえば20代の彼が制服を着たところを想像しても、
いまいち「イケメン」という感じがない。
少しシャープさにかけるというか
温かみさえ感じられるのだ。
タイガースの彼はきっと「宝塚」度が低いのだな。
そういうタイプの化粧顔じゃないのだ。




page top
「8時だよ!全員集合」のDVDが出ていたので借りてみた。
ジュリーと志村の懐かしいコントが炸裂していた。
だけどこれは、大笑いするような類のものではない。
「ジュリーがするなら何でも楽しい」ってことだ。
女性ファンの黄色い声が飛び交う。

この「売り子」のコントはよく覚えている。
ジュリーがオーバーオールを着ているのも定番だったような。
そして志村にさんざんつっこまれる、と。

「順番がちがう!」「そんなやりかたじゃだめだ!」
鬼コーチのようだが、まあそこは志村けんなので
あんな感じだが、売り子の先輩志村から指導を受けるジュリーは
もと体育会系のせいか、心から従順そうだ。

この8時だよ!全員集合は、義祖父に見ることを禁じられていた。
加藤茶の「ちょっとだけよ」など、もってのほかだと。
夫も母親に「こんなくだらないもの見るな」と言われていたと
かたわらでつぶやいた。
我々にそんな共通の過去があったとは。
そんな規制の網目をかいくぐっても子供は見るものだということも
わかった。

うちの子供も大爆笑。
くだらなくて何が悪いと言わんばかりだ。
(ジュリーのコントは「ふんっ」と鼻で笑っただけだったけど)
私も立派ではないが一応大人なので「くだらないのも
ほどほどに」と言いたくなるときもあるが、
あまりの馬鹿馬鹿しさについ笑ってしまう。
ドリフの「どんぐりの背比べ」みたいなずんぐりむっくりぶりも
すでにおかしい。

page top
沢田研二の夢二 
ジュリー出演の鈴木清順監督の映画は他に
ショーケン、田中裕子との「カポネ大いに泣く」、
山口小夜子との「ピストルオペラ」があるが
これは「ツィゴイネルワイゼン」など監督の
大正浪漫三部作のひとつだそうだ。

とことん飲み込みの悪い私は、
こういうわけのわからない映画は苦手だが
(映像の美しさを楽しむ、など目的をもつならいいが)
とりあえずジュリーが主役で、多く見られるから
まあ、眠らずにすむ。

ポマードをなでつけた彼のショートカットは、あの評判悪かった
「きめこん」のものよりは、しっくりといっている。
しもぶくれに見えないだけよい。
(まあジュリーはなんてったって長髪だ)

夢二が描く女性はみな、漢方薬でいえば「当帰芍薬散」がぴったり
合うだろう、なで肩ですらりとしたベジタリアンタイプで、
肉食系の私とは大違い。
この映画の広田玲央名ほかの女優陣ともちょーっと違う気がする。
彼女たち、宵待ち草のイメージじゃないのだ。
こっちからどんどんおしかけて行きそう。
ついでにジュリーの夢二まで線が太くみえてくる。

そういえば夢二が通った「かさぎ屋」というしるこ屋が、
たしか清水寺周辺にあるはずだと、
先日思い立って記憶を頼りに行ってみたが、忽然と消えていた。
場所を間違えたのだろうか。あんな老舗がなくなるはずないのに。
といらんことばっかり考えさせる映画だった。


page top
いつのまにか50000ヒットを記録していた。
キリの方は、やはりジュリーファンなのだろうか。
粗品でよかったら、差し上げたい思いだ。
(自分だったりして)
誰かが見に来てくれているというだけで励みになる。
ぼちぼち続けていきたいな、と思います。

和田アキ子に対して、昔インタビュアーが「失言」したのか
「歌うたいの」という形容をしたら、
「歌うたい」ってなんだと
和田は怒り出した。
えっなんだと思ってたんだろう。
歌を歌う人だから、それでいいんじゃないのだろうか。
とくに失礼にはあたらないような…

たとえば美容師ならなんていえばいいんだろう。
大工ならどう言うのか。
なんか無理やりに違う名前をくっつけるほうが
かっこ悪いと思うけど。

ジュリーならそんなことは言わないだろう(と思う)。
なんせ「俺は見せものでっせ」だから。
そういう人にはかえって言い方に失礼はなかっただろうかと
こっちが気にするもんだ。




page top
ダン池田とニューブリードなど、歌謡曲のバックバンドというか
オーケストラは、いつごろまで存在していたのだろう。
昔はあれが定番スタイルだった。

ダン池田は、歌謡界についての暴露本を発表し、そのため芸能界
から追放されてしまったのか、姿を消した。
ちょうどその頃からだろうか。

現代は、ほとんどの音がシンセサイザーでフォローできるので
ある意味、もう必然性がなくなったのかもしれないが。

沢田研二の場合も、曲にもよるが、
井上バンドの後ろにオーケストラがいる
というのが昔は見慣れた風景だった。
オケのメンバーはせいぜいギターくらいしか参加できず、
あとは静まりかえって座っているだけ。
指揮者だけがノリノリで身体を動かしていたりして、
それが妙に浮いていたりした…

でもそんな違和感がそのまんま放置されていたのが、
いわゆる「歌謡ロック」の怪しいけれどいいところだったのかも、
と今思う。

page top
沢田研二、美しい残像 
私はとくにメンクイではないが、メンクイになろうとすれば
とことんメンクイになってしまえる。

沢田研二のコンサート後、出待ちをしたことが2回ある。
どちらもすぐ目の前を通っていった。
1度目に見たときの彼は、もうこの世のものとは思えない
美しさだった。
「この世のものとは思えない」という形容を使える人に
初めて会ったのだ。
昨日述べた「少女マンガ」など、目じゃない目じゃない。

私は思わず彼の背中を触った。
(また迷惑なファンだ)
彼の身体はガッチリ系でもなんでもなかった。
どちらかといえば、はかない印象。
というのは、触れたときにジュリーが少しよろけたような
感触がしたから。
軽くふれたつもりだったのだが、熱い念がこもっていたのか
背中にヒビでも入ってしまっただろうか。

2度目は、それから何年もたってなかったと思うが
あれ?というほど、フツーだった。
テレビで見るのと同じ感じ。
1度目でもう目が慣れてしまったのか、
それとも1度目のインパクトがあまりに強すぎたのか。
1度目があれなら、やはり2度目もなにより
「美しさ」を要求してしまう。

私は最初の残像だけを後生大事に胸に秘め
ときどき取り出して、ねぶってしゃぶって
反芻することに決めた。
page top
沢田研二のホクロ 
 今のジュリーがどんな風体だろうと、多くのファンの彼のイメージは
あの、少女マンガの美少年なんだろうなと思う。
実際女性ファンが多いわけだから、自分でそういう絵を描くのも
お手の物という人も多いだろう。

どれもが同じに見えてしまう「美少年」の絵を長髪にして
頬のほくろを入れればジュリーというわけだ。
あとは少し目をたれ目に三白眼気味にすればもっといい。
(マユはつりあげ気味にね。
なんていってたら、どれもが同じなんて、全然違うじゃん)

そうだホクロの話だ。
このホクロは彼の特徴として大事にされてきた。
キラキラ光るスパンコールをつけられてみたり、
マンガにも忘れずに入れられて。
実際はそれほど濃いホクロじゃないのに、まるで
上からぐりぐりと黒く強調されたような扱いを受けてきた。

比べて鼻の脇のホクロは、実際はでかいものなのにも
かかわらず、まるでないもののような扱いを受けてきた。
そう、あれはなかったんだよ…
どこがどう違うのか。
あれを強調するわけにいかない理由はなんだろう。

場所がまずいのだろうか。
あの「イボ」のような体裁もよくなかっただろうか。
だけどあのホクロがいてくれてよかった。
なんだかほっとする。
そう、血が通っているのだ。
飾り立てられたほうのホクロが薄くなっていった理由も
わかる気がする。
page top
 沢田研二はコンサートで今年はデビュー40周年だということを
「ほのめかして」いた。「まあ節目節目になにかしていただきましたけれども」みたいに。

そりゃ彼だって人間だから、何かお祝いしてもらったら嬉しいだろう。
だけどそういう話にとどめたということは、こちらからはとくに何もしないということだ。

考えてみたらそうだ。イベントなどあくまで向こうの「気持ち」であって、こっちから要求するものでもないし、まして自分でイベントを企画するものではない。それが本来の考え方だろう。

それでもマスコミは華々しく、たとえば「40周年記念ツアー」などと
勝手にタイトルする。それは案外本人にとっては恥ずかしいことなのかもしれない。「そんなこと言ってねえよー」みたいな。

だからかどうか、彼はそうしたマスコミの操作からは逃れた場所にいる。私たちの見て感じることがすべてだ。
page top
沢田研二と泉谷しげる 
突然やめちゃった安倍さんではないが、沢田研二は長年二枚目で売ってきて、「顔ではもう売ってません」という後年になって三枚目役もハングリーにこなしてきたが、彼にはたとえば泉谷しげる的、べらんめえの天衣無縫ぶりだけは、演技でも難しいのではないか。

 彼とはドラマでは「恋人よ我に帰れ」で共演していたが、どうしてもジュリーが彼を「まあまあ」と羽交い絞めしているような関係になる。
ほかにはドラマ版「源氏物語」で共演した武田鉄矢ともそうだろう。

 彼らのような味を出そうと、もしジュリーがかんばっても、
うーん、なんていうかさ、ちょっと自然な感じじゃないんだよねーと、
どこにそんなプロデューサーがいるんだというようなコメントをするしかない。まあジュリーはそんな「羽交い絞め」されるような性格じゃないんだろうし、それでこそ彼だ。

若竹のピンとした「硬さ」が彼の気質や体型には出ていた。
(もちろん体型については事情が変わってきたが)
若竹はしないはするけれど、ボールのような弾力まではない。
しかし彼はその硬さをしっかり守ってきた。シナってもすぐ元に戻るのだ。どこに行ってしまうか分からない泉谷的キャラを「いいねー」としながらも「自分は自分」と本気で思える、それが彼のもとからもっている強さだった。
page top
ファンの間では沢田研二が阪神ファンというのはよく知られている。
2003年の「明日は晴れる」には「六甲おろし」の替え歌
「ROCK黄WIND」を挿入したほど。

この間のコンサートでは、阪神の話題は出てこなかった。
願をかけていたのだろうか。
かわりに「世界陸上があるのにこっちに来てもらって」みたいな
フリから、いちおうその旬の話題をひとくさりした、という
感じかな。

そこで私が印象に残ったのは「唐十郎のおっさん、開会式で
世界に映ろうと思って、そんな長いことしゃべらんでええのに
と思ってたら途中でカットされよった、ほら見てみい」
みたいなことを言ってたこと。

彼らはどんな仲なんだろう。
「唐版 滝の白糸」からだろうか。
と、調べてみたがわからなかった。

唐十郎と言えば、三田佳子の放蕩息子を劇団に入れたって
ことを覚えている。しかしほどなく「やっぱりあいつは
だめだ」とコメントしていたような。
ダメってことわかってて拾ったんじゃないのだろうか。
むずかしいなあ。
page top
沢田研二のメジャー主演映画といえば「太陽を盗んだ男」と
これだろう。どちらも公開されたときの印象と違い、DVDなどの
ジャケットには、フィギュアのような彼がサイケなバックとともに
表現されている。まさしくこの「魔界転生」でも人形作家
辻村ジュサブローの衣装を身につけ、ロック、尺八、太鼓の
あいまったBGMとともに妖しさをいやでもかもしだしていた。

魔界に蘇った天草四郎こと沢田は、細川ガラシャ、宮本武蔵らの
霊をそそのかしてチームを組み、幕府に対して島原の乱の復讐を
はかるのだが、このチームに入る条件は「生前抱いたしたたかな
無念」というもの。細川ガラシャなど、クリスチャンで清廉潔白
を装ってはいるものの、実は夫の性癖への激しい嫉妬や、
生きたいという欲求の強い女性。自害をしたということになっている
が、実はそんなことできっこなくて、「きれいごとばかり
いいやがって」という夫の陰謀で殺害されていたのだった。

しかし強烈な生の欲求と信仰は両立しないというのもおかしい話だ。
天草ら魔界人は、悪に徹してそうした矛盾をやり玉に挙げ、
志をもって弱者の味方であろうとした、本当の正義の味方かも
しれない。

最後のシーンで、この映画の「文太」であるかのような
柳生十兵衛こと千葉真一から、ジュリーは首を落とされるのだが
そこのシーンはあまりに漫画チックで、苦笑をさそう。
首を持つ手もジュリーのものではない。
どうでもいいところに注目してる者もいるんだからちゃんとしてよ。
でもそのジャケットに似たキッチュな妖しさが
これまたいいのかもしれない。

page top
沢田研二の「黄金期」でもある阿久悠の歌詞のころは、
ちょうど彼の歌い方も力強いものになってきていた。
阿久の詞を歌いこなす、つまり気障な男を演じてみたり、
女のホホを張り倒したりするのには、
このような野太い声が必要だっただろう。
同じ阿久でも「時の過ぎゆくままに」あたりの
センの細い声じゃ、逆に張り倒されそうだから。

沢田の声の質はその後も変わっていないが、
作詞者に女性を多く採用するようになったようだ。
それらの特徴として、結論をあまり断定口調にはせず、
ぼかすようなところがあり、沢田もそれが気に入っていたという。

それは彼本人が、ほら、なんていうのか「頑固じじい」
みたいなところがあるからではないだろうか。
自分が硬なら柔を求めるってとこありますよね、人間って。

阿久のころはそれでもその「男のやせ我慢」的世界観が
沢田の滲み出すものとぴったりマッチしていて見ているほうは
楽しめたが、本人は少々「もう疲れた…」みたいなところが
あったのではないか。
だからまた、野太い声はそのままにある種センの細い世界に
戻ろうとしたのだろう。(もちろん阿久さんの詞も色々です)
同時にもう変な力の入らない自作の詞も多く発表するように
なったと。
ひたすらに癒しを求めて…

page top
それにしても最近のジュリーの詞は、素直な心情をそのまま
あらわしていてわかりやすい。まあ昔からひねったところは
あまりなかった気がするが、それでも一時の
「裕子ちゃん大好き」みたいな、こっちまで照れるものが
なくなったから、安心して聴ける。

古くはタイガースの花、愛、星から、ソロになって年上の女や
ニーナにジュテームをささげ、阿久悠の男のロマンをやったあと、
今のように希望、平和に祈りをこめるようになった、
と言った感じかな。

そして彼がしたかったことはそれなんだろう。
独立後、自分の足で手ごたえを感じながら、
伝えたいものをストレートに発信すること。
彼はいま、PYGからソロになった頃に語っていた
「自主制作のレコードをつくる」という夢をかなえているんだ。

「CDをつくるために僕はCMにも出、芝居もする」と
語る彼は、もちろんそれら余興のどれにも全力投球するのだが
あくまで帰るところはMUSIC。
だからそのためには何でもするというほどの強い意志があるのだ。
そんなに強い意志が出てくるなんて、もともとやる気のない
人間であったという彼にすれば夢のようなことかもしれない。

「ジュリーのどこがやる気がないんだ」と言われるだろう。
しかし彼は「自分の意志でしたことは野球だけ」と語っている。
そんな彼が流されながら、どんな風も受け止めながら
「もう一度やろう」としたこと。
それが今のMUSICなのだ。

page top
ジュリーはコンサート会場で、前方の席に「いつもの顔ぶれ」が
占めていると、あまり機嫌がよくないという話を聞いたことがある。
「地方のお客さんに前で見て欲しい」と。
私の行ったときの前方はどうだったのだろう。

一度は「徹夜してチケット買うエネルギーで何かできるだろう」と
いったとか。それは余計なお世話なのだろうが、この言葉と
彼作詞の「希望」(コンサートのこの歌のときは
みなさんピースサインを忘れずに)はどこかでつながってくる。

「金持ち喧嘩せずと幸せそうなそこのあなた」みたいに呼びかけ、
困っている一人のために、命を捨てない方法を教えてくれというもの。

そうか、私たちに呼びかけているんだ。
でもそれはなかなか難しい。
自分が「幸せそう」になるところまでは比較的容易なのだけど。
ちまたにはココロを健康に保つための方法本などたくさん出ているし
ファッションや身の回りのことを整えて、気分転換する知恵も
たくさんたくさん持っている。(それが金持ちって意味か)

だけどそこから何をするんだろう。
何のために自分を幸せにしてあげるんだろう。
それを「人のために」にいきなり持っていってしまうと
間違う気がする。
自分を幸せにする延長でそれができれば一番いい。

だからジュリーは、「MUSIC」を届けようとしている
のだ。それぞれの「何か」が見つかればいい。
そして結果的に人のためになれば、本当に豊かになれるだろう。
page top
「生きてたらシアワセ」は、老後を二人で生きようとする
夫婦らしきカップルが登場するが、奥さんは
「干渉したくもされたくもない」という意見であり、
ご主人は「僕も自由でせいせいかな」といいつつ拗ねている、
男女の関係のある典型を歌っている。
それは男性の「濡れ落ち葉」になりかねない危うさである。

すねていたって仕方ない、ここは堂々と「感謝している」と形に
あらわしてみようよ、とジュリーは、
「君のすべてを受け入れたい」だとか、奥さんのかつて言われたかった
のだろうセリフを代弁しているかのようだ。

どこかで関係性を断ち切ることに割り切りの早いのは
一種の女性らしさなのかどうかはともかく
それもひとつの生きるための知恵だったかもしれないし
多くの心の傷によってかたくなにされた石の塊かもしれない。

「大人の程よい距離感」を提唱する住宅のCMもあるけれど
あまり無関心になるのも寂しいではないかという主張が
ジュリーの歌には込められているのではないか。

だって「生きてる」ってことは得がたい奇跡なのだから。
だからもっと触れ合おうよ、と言っているように聴こえるのだ。
ただ二人で同じところに寝て起きて顔もまともに見ない生活。
それって生をないがしろにしているんじゃないか。
生を活かさなければ生活じゃない。
まず始めは視界に入れてそれから見つめ合ってみれば
けっこういい感じの慈しみが出てくるかもしれない。

彼が口下手な男たちの代弁をするのは、
辛い結末だけはどうしてもさけたいからだろう。
同時にいつかの歌詞にもあった「野生の叫び」を忘れていない、
「幸せに照れてる」男の思いもわかるからだろう。

孤独に生まれて死んでいく、それは実は人間の宿命なのだけれど
だからこそ、最後まで誰かと微笑み合いたい、それは「これだけ」
の者たちのささやかな願いなのだ。

ここまでともに来たのだから、このようにしませんか
という、ジュリーからのワザの提案ではないか。
page top
「怪傑ジュリー」を見ると、サングラス姿の彼もいくつか
登場する。…それらは、思いきり丸顔だ。
馬面とまではいかないが、割と長めの顔立ちだと思っていたが
どういうことだろう。

高めの鼻も丸っこくなってしまっているのが残念だ。
唐突だが「横浜銀蠅」でいうと誰になるだろうか。
ジョニー、彼とは全然違う。
サングラスとは、彼のような鳥顔にのみ許されるものなのか。

ジュリーのサングラス姿は…
翔を通り越して、TAKUにいってしまいそう。
サングラスの顔へのフィット具合がそうだ。

TAKUといえば数年前、「元横浜銀蠅」として
余興で荒稼ぎした男性が名乗っていたメンバーだ。
詐欺の手口もほんとバラエティーに富んでいて
感心するばかりだが、このTAKUという微妙な
ポジションがまた、だまされてしまいそうだ。
ジュリーが詐欺師に見えてきた。

翔も大麻でつかまったが、志を持っていたグループだっただけに
残念だ。(TAKUは何もしてない。名前使われただけ)

話をどう戻していいかわからなくなったので
今日はこのへんで。

page top
DVD「怪傑ジュリーの冒険」を手に入れた。
76年の「コバルトの季節のなかで」から
87年の「CHANCE」まで
「クイズドレミファドン!」で収録した映像を集めたものだ。
ノスタルジック派のワタクシには必須アイテムといえる。
(ココロのまわしものではない)

そのなかの「憎みきれないろくでなし」の間奏で彼は
井上たかゆきの背後から、きわどいポーズで迫っていた。
そのジュリーの舌までへろへろさせた表情と、
ギターを弾く井上の、何されても知ったこっちゃない平然とした
表情の対比も、また趣を変えた角度での見所かもしれないが、

私にはいやでももうひとつ脳裏に浮かび上がる映像があった。
それは、それから約10年もあとに「六本木心中」において
アンルイスと吉川晃司が行った、同じようなパフォーマンスだ。

それは当時かなりセンセーショナルに受け止められたのだが
このきわどい3名は(ジュリーも含め)いずれも当時ナベプロ所属
だったというのがまた笑わせる(笑っちゃいけない)。

今でいうならジャニーズ所属みたいなものだろうか。
(今じゃなくてもフォーリーブス、ジャニーズとアイドルはいたが)
雑誌「アンアン」の好きな男ランキングには、
データをとりはじめた90年代から、1位の木村拓哉をはじめ
3位までほとんどジャニーズ事務所で占められている。
万年2位の福山雅治は別として。

どんなパフォーマンスも、大きな事務所が背後に
あると思うと、きわどさも半減だ。
何をしようが教科書に載せられてしまえばおしまい、みたいな
やりきれなさが残る。
私はまだ青い青いおばちゃんなのだろうか。
page top
沢田研二の「説教くさい」のは今に始まったことではない。
いつごろからなのか、まだかなり若い頃から、
そんなジジむささを、あえて前面に押し出していたところがある。

そこには人間のどうにもならないブルースも込められている
といったら、カッコよすぎるだろうか。
そうやってぼやくしかない、という表現だ。
だけど彼は、そんな彼なりのやり方で、
「無関心」とは対極にあるものを表現していたのだ。

人と触れ合いたい、愛し愛されたい、そんな思いを。
だからうっとうしがらずに聞いてあげることも応答だ。
音楽のみならず、トークも含めたそんな思いのやり取りが
ライブなのだろう。
page top
ジュリーの後輩であるワタクシとしては、出鼻の第一声が
「ヤッホー、岡中!」だったのは嬉しかった。

のっけからいきなり、「ワンピース率高し」のおばさまたちが
いっせいに立ち上がったのにはギョッとしたが、
なにしろ20年ぶりの彼のコンサートであり、ついていくのに精一杯。
席も7列めだと喜んでいたら、そうそう京都会館はなぜか後ろから
数えるんだった。そうだよな、そんな前のはずないと思った。

こんな後ろの席、ジュリーファンの風上にも置けやしない。
いいさ、これからさ…
さて、バックバンドを見渡すと、そこには懐かしい柴山和彦の
顔が。加瀬邦彦かこの人かというトッツァン坊やのいつも笑っている
ような顔が、さすがに少しふけていたのには涙がにじんだ。

「渚のラブレターバンド」からになるのだろうか、雨の日も風の日も
ジュリーの後ろでギターをかきならしてきたのかと思うと。
ドラムのGRACEって、女性だったんだ。
タイトル曲の「生きてたらシアワセ」は聴けば聴くほどドラムがいい。
またアルバム中何曲かの作詞は彼女だ。

規則正しすぎるステージの左右の往復、
一曲ごとの、全く同じあいさつ。
このオッサン、コミカルを装ってはいるが、
「これはこうだ!」という性格なのが、こういうところに現れる。

全く同じ挨拶というのは、一曲終わるたびに
手を片方ずつあげて、
「ありがとう」「さんきゅう」「ありがとうねー」と
いったあとで、「チャン」みたいに両手をあげて決めるというもの。

その最後の両手を挙げたポーズが、「ころころ熊ちゃん」に
見えてしかたがなかったのは、席が遠いせいか。
セットリストには懐かしい歌も数多く、
酔いしれながらも、「この人の魅力って、公立中学の
筋金入りの不良(ワル)のそれだな」などと邪念が入り込んできた。

「本人が、アンコールで着ます」と売店にあった、卓球選手の
ユニフォームみたいなシャツで、世界陸上のことや、
地元だからなのか、94歳になるという父親の話、母親の話、
友達の話(彼らはコンサートに来るもののすぐ寝てしまうとか)
などを面白おかしくトークして、うたった後はあっさりと退場。
いいなあ、ワルだなあ。

今回も「あんまり欲をかくな」「地道が一番」などと
コンコンと説教されて、ふぬけたようになって帰ってきた。
まあそれも彼のファンへの愛情表現だろう。
夜中にふと目が覚めて、彼の言葉の意味を噛み締めてしまう
私なのだった。
page top
沢田研二の名前 
ジュリーは自作の歌で「ミツミっていうのはいい名だ」と
いっていたけれど、じゃあ「研二ってのはどうよ」と
合いの手を入れたくなる。

研二…他にはちょっといないだろう。
いたらそれは熱狂的なジュリーファンがつけるのか。
熱狂的なジュリーファンは、少なくないと思えるのに、
いないということは、そこで躊躇させるものがあるのだ。

いやケンジのシャープさは、いまでも通用するカッコよさがある。
だけど漢字にすると…とくに意味のなさそうな「二」の文字がすごい。
ここに今の親はひっかかり「とんでもない」と思うんじゃないだろうか。意味がないなんてありえないと。
ウケねらいでつける以外考えられない。
いまどき親戚のおじさんだって、依頼されたら現代的なものを
意識するはずだ。

この「二」の意味はただ二番目に生まれた、それだけじゃないか。
もっとすごいのは三郎、四郎だ。
八郎ぐらいまで聞いたことある。
昔の子供って、こうやって名前付けられて、放ったらかされて
育ったんだろうな。
だからちょっとやそっとじゃくじけないたくましさが
あるのかもしれない。

父親が研究所に通っていたときの次男だって
そんな、おとーさん…
だけど、ごてごてと飾りながらかえってありふれた名前より
シンプルで新鮮じゃないか。他にはいないところが彼らしい。


page top
コンサートに行く前に予備知識を得ようと、遅ればせながら
「生きてたらシアワセ」を購入。
無批判になるつもりはないけど、ぜんぶいい曲じゃないか!

まずなにより、色と華のある声がいまも若々しいまま健在
なのがすばらしい。
そして退職後の団塊世代の夫婦を歌ったようにも聴こえる
(それとも相手は長年のファンか、田中裕子か)表題作が最高。

ジュリーらしいメロディーライン、そこに追い討ちをかける
ようなギターソロが泣かせる。
たびたび出てくる「OK」の言い方が、そそられポイント。
こういうポイントがどこに隠れているかわからないから、
聴いてみるしかない。
いっそココロ以降のアルバム、全部そろえようか。

個人的には、懐かしいロリポップ調の「God Bless you」の
可愛らしいアレンジがすき。
「~じゃん」で韻を踏んでいるのも面白い。
他にもバラード調、シンフォニー調とバラエティーに
富んでいるが、やっぱりロック系こそ彼だろう。
むせび泣くギターの印象的な「太陽」もいい。

ジュリーの作詞が大半を占めている。
ずいぶん饒舌になったんだな。
「天使に涙は似合わない」のミツミってなんだ?
今後の人生で子供ができるようなことがあったら、
ミツミにしたいのかと思った。
なんなら私が替わりに生んでみようか。

そして「希望」こそが彼の直接的なメッセージかな。
希望の後ろの「ピースマークの絵」こみでタイトルだ。
ピースサイン懐かしい…(私はいくつだ?)
「MUSIC」というところで、どうしても
「…民謡?」と思ってしまうのだが、
そういうちょっぴりのモタツキっぽさが、また彼だ。

大変けっこうなお味でした。





copyright © あんな人・こんな人ナナメ読み all rights reserved.
Powered by FC2ブログ
custamize&material by
http://flaw.blog80.fc2.com


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。