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サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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「俺がディズニー映画に出るなんてゾッとするぜ」と
出演を断っていたキース・リチャーズが、
現在公開中の「パイレーツ・オブ・カリビアン3」に登場。

もともとジョニー・デップはキースの大ファンで
海賊も最初から彼をモチーフとしていたのだという。

そこでキースは、どんな演技を見せてくれるのか。
ここまでひっぱって悪いが、見ていない。
しかし、おそらくそれは「演技」というほどのものでは
ないだろうことが想像できる。
彼はどこに登場しても「居ながら」でオーケーで、
演技などできなくていいのである。
よく言えば演技を超えた存在感があるのだ。

ストーンズのメインであるミック・ジャガーは、
残念ながらそういうわけにはいかない。
演技ができなければ許してもらえないのだ。

というか、本人が自ら「許されない」
シチュエーションにしたいのだと思われる。
ファンは「いい音」だけでなく映像も欲しいはずだ、
そしてやるならちゃんとしなくちゃ…みたいな。

彼は俳優はだしの演技派として、映画やドラマにも
出演してきたが、置物のように鎮座ましましていたのは
ドラマ「ナイチンゲール」の中国の皇帝くらいか。

あとは細かい、実に細かい、重箱の隅をつつくような
表情のひとつひとつにまでこだわった演技を見せていた。
彼の荒削りなボーカルは見せかけで、ハーモニカの演奏に
見られるように実は「技巧派」なのではと思わせる要素が
こういうところにもある。
あれにはネチッコイ、たとえば舌のレロレロした動きが
要求されるだろうからな。

逆にキースのギターは、「実は技巧派ではない」と言われる
ところにも、鎮座まします要素がある。
チマチマしていない、スケールが大きいということで。
「昔かたぎの職人」という言い方もできる。
「べらんめえ、新しいワザなんか取り入れなくていいんだよ」。
悪く言えば殿堂に入っていて
現在進行形であることが伝わりにくい感じ。

そういえばかつてストーンズは、文字通り「ロックの殿堂入り」
をアメリカで授賞しているが、そのときミック・ジャガーは、
「ジャン・コクトーはこう言った。アメリカ人は不思議だ。
まず仰天する。次に博物館に入れたがる」
と感謝を述べていた。

(スピーチの途中で彼は「しまった。俺なんだか一般受けしない
難しい話をしてないか?」とうろたえた顔をしてしまったが、
そこをすかさずキースが「止まるな、どんどん行け!」とけしかけて
ミックは我に返っていた。やっぱりゴールデンコンビだ!)

さてミックは、その技巧派が泣くほどに、多くの映画には
出ようとしなかった。
あくまでメインはストーンズのツアーであり、
その合間をぬって、メンバー一人ひとりが独自の行動を
長年してきたのである。

ドラムのチャーリー・ワッツは玄人はだしのジャズ・マンでもあり、
ツアーのないときは、「ブルーノート」出演のために来日した
ほどだというが、いざ「召集!」がかかると、
それらの仕事はまさにほっぽり出して、ミックの下へ
いそいそと集まるのだ。

だからキースの映画出演も、何度か同じ話を断って
やっと実現したというのは本当だろう。

それにしても、人一倍働きながらも神話になれない
(ならない?)男ミック・ジャガーと、
オフは南の島でデローンと過ごし
時には椰子の実から落ちて頭を打ち、再起不能かと
メンバーやファンををハラハラさせる「粗忽者」ながらも
(いや、だからこそ、か?)神話になる男、
キース・リチャーズの差をもう一度考えさせられた。

助かったから良かったものの、死んでしまったら
「そういえば彼はフワフワした、
地上に舞い降りた天使のようだったね」
なんて言ったところでもう何も始まらない。

だからアーティストとしてのミックは、
さらにクリスチャンの彼は、
本当の神が迎えに来るまで、ゾッとするほど生々しい
「死と隣り合わせの生」を生身で表現しようとする。
しようとする、だけで状況次第でどうなるのか
それこそ神じゃないとわからないが。

「ローリングストーンズの最後はどうなるか
誰にもわからない」と言うのは、誰の生も
最後はどうなるかわからないというのと同じだ。

チマチマした技巧派であろうが何であろうが、
神話になれない男であろうがなかろうが、
しゃれにならない生を自分の足で、
ひたすらかっこ悪く生きていくことしかないと
彼は言っているかのようだ。
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