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サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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昨日の政治家と歌手の死に驚かされ、あらためて人間の孤独を
思った。一世を風靡した坂井泉水の闘病は
ファンさえも知らず、彼女らしく死因も謎のベール
に包まれたまま「神話」になってしまった。

それでも、誰しもいつかは死ぬことが決まっているならば
それが自殺であろうと事故であろうと、
一人ひとりにそれぞれの「死因」は必要なのだし、
生きている私たちがそれをどう捉えるかが弔いという気がする。

ZARDで「最後まで走り抜けて」と生の応援ソングを
歌っていた彼女は、もしかすると病に負けて
走り抜けなくなったのかもしれないけれど、
彼女の歌に救われたたくさんの人々は、
生きているからこそ救われたのだ。
死んでしまったらどうにもならない。

しかし実際の世の中には、「耐えろ、生き抜け」と
口では言えるけどね…ということや、
人のことだから言えるけど…ということが
あふれているのだろう。

農水大臣も、彼は疑惑のオンパレードのように言われている
けれど、ひょっとすると汚れきった政治の世界で、ほんの少しの
純粋な信念があったからこそ、かえってそれが「悪」の形で
浮上したものなのかもしれない。本当に悪ければ浮上さえ
しなかったりするんじゃないだろうか。

政治家としてトップになりたいという思いと、
同じように初心を貫きたいという願いとが、
何の矛盾もなく両立してしまう人もいるけれど、
命をかけてそのジレンマ自体をを表現することだって
あるかもしれない。

安倍総理は彼の死体を目の前にして「慙愧に耐えない」と
言ったそうだけど、生々しいものを見て初めて人間らしさが
蘇ることもあるとせめて信じたい。

「ロックは死んだよ」とミック・ジャガーが語るとき
それはジレンマを生むロックという抵抗力の敗北宣言なのか、
ロックミュージックの流行すたりなのか、たいして
掴もうともしないままに、記者は「彼は遠い目をして
寂しそうに語った」などと、簡単にまとめてしまう。

そのようにムードだけで書かれることをミックは
たいへんに嫌うが、それは、その
「何が何でも体裁を整えようとする」こと自体が
ロックの精神と反しているからではないか。

そのように思えば、このような自殺を安易に「無責任」
と片付けることもどうなんだろう。
生に対しては無責任かもしれないけれど、
人間存在自体混沌としたものだから、
人間らしく苦しみ悩んで死んでいくのは
涼しい顔をした人よりその意味で立派だと思うけれど。

涼しい顔をした人が悩んでいないともこれまたわからないし
悩めばいいってものでもない。
ロックは抵抗力であると共に生命力でなければ
嘘だ。生命力に転換しないままで敗北するのは
あまりに悔しい。

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