サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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昨日少し触れたアルバム「A WONDERFUL TIME」のなかの
「氷づめのハニー」は、沢田研二自身が作詞も手がけている。

「だからハニー氷づめ、ハニー、ひとりじめ」みたいな歌だったが
これは明らかに、当時熱烈恋愛中の、田中裕子に送ったものだと
感じられた。

私は昔、ルックスが好みの女優をビデオに
とりためていたが、そのひとつの田中裕子は当時
誰よりも輝いていたと思しい。しかしジュリーに目をつけられ、
いつしかすっかり「彼のもの」になってしまった。
「氷づめ」「ひとりじめ」って、しゃれにならないだろう。

この詞は、ストーンズの「She's So Cold」がモチーフになって
いる気がするが、それよりもっと「現実の誰かがいるとしか
思えない」感情のほとばしりがある。

彼の「作曲はいいが、作詞となると、「自分」が出そうで
二の足を踏む」という発言から、なんとなく内容が下世話になっ
てしまう自分への照れがほの見える。

でも、人間なんて、切った貼ったや、惚れた晴れたが本性だ。
自分をわかって欲しい、お友達が欲しい…
みんなそうなんじゃないだろうか。
それを隠そうとするから、いざ作詞となると、
「好きで好きでたまらない」という感情をぶちまけるしか
なくなるという、かえって墓穴を掘る結果になりはしないだろうか。

もうひとつ、ジュリーの作曲にこだわる理由として
私が好きだったアルバム「ジュエル・ジュリー」の
「書きかけのメロディー」に、
「僕がピアノとたわむれて奏で出すメロディーに
君が言葉を散りばめていた、夢見るような毎日」という詞があって、
これはもう、小坂明子の「あなた」の世界そのものだ。

作詞はどうも…という裏には、冷静になりえない
自分の心の底が透けて見えることへのテレが濃厚にある。

それにしても、加山雄三の「君といつまでも」を歌う
男たちの瞳は、なぜあんなにキラキラしているのか?
だめだこりゃ、としか言えない。

しかし理想を想定し、夢見るのはいいが、それを現実の個人に
あてはめようとすると、相手は息ができなくなってしまう。
コンクリートづめならぬ、まさしく氷づめだ。
(よし、なんとかまとまった。)

さてその後、ピーナッツを捨てて裕子に走ってしまったジュリーは
最初は夢の中にいたのだろうが、しばらくして裕子と
「派手なけんかをしている」と、語っていたこともあるくらいだから、
そこそこ現実には目覚めたのだと思う。
実際の女性は神でも仏でもないからだ。

彼のことだから、京都弁丸出しで、相手が女性なんてことは関係なく
真剣に戦っているのだろうと、想像をふくらませることができた。

地に足の着いた生活の中で、もう一度仕切りなおして
夢を見れば、理想の女性はきっとそこにいるだろう。
彼の崇める「押忍」の精神は、女性の「自由」を得てこそ
無理なく発揮されるのかもしれないから。


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沢田研二は歌謡界に初めて「男の化粧」を持ち込んだ。
「男の長髪」に関しては既にグループ・サウンズ時代、
お決まりの「猫も杓子も」状態になった経緯があり、
(それでもまだ紅白歌合戦などにはワイルド・ワンズの
ような、品行方正バンド?しか出られないという事情が
れっきとしてあったようだ)。

みんながやれば、それはもうロックでもGSでもないだろう、
みたいなところまで一般化されていたが、彼らもさすがに
当時、化粧までは思いつかなかったし、またできなかっただろう。

「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」でひとつのピークを極めたとも
言える沢田の化粧顔に、「やられた!」という女性は
多かっただろう。「男性が本気出せば、私たちより
綺麗になるのかもしれない」といった、今では周知の認識
をいち早く迫ってきた。

これもジュリーの変身願望にもとづいたファッションの一環とも
とれるが、それでもその割には「女っぽく」まではならないところ
に、彼の骨太さ、野太さがある。

それは、ナヨナヨしてられるか!という「ニッポン男児ここにあり」
的テレに基づいた、格好なら何とでも変えられるけど、中身までは
変えないぜという、頑固さだ。

映画「太陽を盗んだ男」で、原爆をお腹に隠した妊婦を演じた彼も
おかま的シナは作りながらも、「女性」にはなりきっていなかった。
そこでの彼が演じた女性像というのは
見かけはメガネをかけた、トッツィーのようでいて、
理屈をぶちまけて相手を言い負かして
溜飲を下げているような、骨ばった女性だ。
その「骨」は、そうした「潤いのない女性」を語るとともに、
彼の「男性」を語っている。

彼がかつて「だからハニー、氷づめ」と歌ったように、
彼の中の「理想の女性」というのは、とても自分ごときには
再現できない、手の届かないものとして、取っておきたいのだ。

だからジュリーのは、玉三郎や、梅沢富雄のように、女そのもの
になりきって彼女たちの領域を侵す芸とは、まったく逆に位置する
女装だ。

男の願望をそこへ投影する仕方は同じでも、
彼の表現は、そこでもう一段屈折している。
つまり彼の演じるのは、女性の振りをしているけれど
女性ではない、あくまで別物だ。
その別物は、「とうてい到達できないもの」の存在をほのめかす
役割をし、自分はそれに「あえて挑んでいるのだ」
ということの表現ではないだろうか。
そこに彼の変身願望にも通じる、ある思いがある。

それはロックっぽい音楽スタイルを追求しながらも、
歌謡曲性は死守したいといった「沢田研二らしさ」であると、
その、どうしても涼しげにはなりえない「歌いっぷり」を
見ながら感じたりする。

その重さ、暑苦しさを、自分に許すのは
「カルさ、上手さは、嫌味でもあるのだ」という、
アイドル出身の彼ならではの信念でもある。
彼は「聴きなさい、上手でしょう」と言っているようなのは
「意外と売れないものだ」と、そしてまた「僕は頑張ってるな、と
思ってもらわないと気がすまないのだ」と語っている。

だから女装についても、
「僕を見て御覧なさい、きれいでしょう」
ではないのだ。
女性のほうも、それではみじめになってしまう。

彼はやはり、侵しがたい架空のイノセンスを想定し、
それを守りたいのではないのだろうか。




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アイドルとして活躍していた山口百恵は、コンサートに
おける「アンコール」を、「しらじらしい」と断じ、
いっさいしようとせず、せいぜいカーテンコールにとどめた
という話を読んだことがある。

たしかに「しらじらしい」と言われてしまえば、
「その通り!」だし、そこで「私はイヤなんです」と
言い切ることのできる強さが、彼女の、「人気絶頂ですっぱりと
姿を消す」、カッコよさにもつながっていると言える。
だってそんなもったいないこと、普通出来るだろうか。
まったくもって彼女には恐れ入る。
その、日本人好みともいう潔さが、彼女を神話にまでしたのだろう。

まあ見方を変えれば、我らが百恵ちゃんも、
「一人の男性に終生尽くす」という、誰が描いたかわからない
「美しい人生」に自分を捧げてしまったのね、とも言うことが
できるかもしれないが。

日本の観客というのは、キース・リチャーズという
外タレにもストレンジにうつったらしく、
武道館公演について彼は、「自分たちストーンズとの間には
見えないロープのごとき仕切りがしっかりと設置されていて、
オーディエンスはその後ろで、演奏が終わるたびに
決まりきったような拍手をして…」
のようなことを、「まったくしようがねえな」とでも
言いたげに語っていた。

そして最後に一言、「ここは俺たちがどうすべきか教えてあげた
方がいいのかもしれないな」みたいに付け加えていた。

前後左右の行動を確認してから、おずおずと拍手をする
我々日本人の姿が浮かんで、こっぱずかしくもあり、
だからこそ開き直って「余計なお世話ってもんだ」と
かぶりを振ることもできそうだが、
その「ご教授」を実際にステージ上からたれたのが、
そう、沢田研二だ。

彼が「ファンに厳しい」ことは、わたしたちファンの間では
もう周知のことだが、(私は彼に厳しくされたことはない
背中に触ったことはあるのが自慢だ。もし変なことを言われたら
言い返すつもり。)
彼のそれはまた、「大衆の厳しさ」の映し鏡なのかもしれない。

ジュリーは「アンコール」の習慣が日本にまだない頃、
それを観客にどう教えたのか。

幕を下ろすとき、最後のほうをちょっと開けておいて
それをまたスーッと開けて、その間隔を少しずつ長くして、
「こういうものがあるよ」と、毎回ほのめかしたらしい。

なんという遠まわしのやり方だろう!
何のことかわからなくて、気が遠くなりそうだ…

でも75,6年の時点で、日本ではまだこういう状況だったのだ。
彼としては、何とかその「アンコール」という海外伝来の習慣を
知らしめようと必死だったわけだ。

その涙ぐましい努力は、どれもこれも
ひとえに、「アンコールというのがありますからと、
口で言うわけにいかないでしょう」という
たったひとつの理由ゆえだというのだ。

書籍の中で彼は、
「終わっても、これは終わりじゃないんです
拍手してくれたら、またカーテン開けて一曲やりますから
といったら、それはたしかにやってくれるだろうけど、
それじゃ本当のアンコールじゃない。だけど、そうやって
うまくいくようになると、今度はアンコールするというのが
だんだん形式的になってきてね。拍手をしていればもう一曲
やるんだと思うようになってくると僕はまた逆らって(笑)
わざとやらなくなったりしてね。」(『我が名は、ジュリー』)
と語る。

彼はとにかく、心ない形式主義がイヤなのだろう。
だけど、百恵ちゃんのような潔さもない変わりに、
「イヤになったからあんたたちのことは知らない」と、
ファンをあっさり捨てることもなさそうな
暑苦しい熱気と、重苦しい葛藤の残る沢田研二に
やはり今日も一票だ。


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沢田研二は、ミック・ジャガーや高倉健の
どこに憧れるのか。
男の惚れる男とはなにか。

私は昔よく、高倉健の「網走番外地」などを聴いたし、
「義理と人情をはかりにかけりゃ、義理が重たい男の世界」
と言った歌詞を少しはそらんじもしたので、
本当は情け深いあの人やこの人の、背中の唐獅子牡丹は
泣いているのだろうなあということを、ぼんやりと
理解しているわけだが、
そこで主に歌われている「仁義」のベースには、
「腹が立ったからやっちまった」という
安易な暴力行為とは、真逆に位置する「武士道」の
思想があることを思う。

ミック・ジャガーについても、その高齢にもかかわらぬ、
ハードなステージングから、生き方に至るまでの
エネルギッシュさに、彼の祖国イギリスのジェントルマンシップ
と同質の、だからこそ日本固有のものではない「武士道」をみた。

そんな彼らに惚れる沢田研二という側面から見れば、
雑誌「JUNE」のボーイズラブや、「きゃは!」という
乙女ちっくな笑いの聞こえそうな、中島梓の小説の
「ジョニー」的男色とジュリーのそれは全く違うのでは、
という話にもなる。
もちろんそうした伝説に彩られての彼ということはあるが、
むしろ運動部の、ミックや高倉といった先輩を前に
「押忍!」をしているジュリーの姿がイメージできる。
憧れに導かれてこそ、成長もあるというものだ。

沢田研二は、たとえばファンが「応援してあげてるのよ」という
態度をとれば、反射的に「応援してと頼んだ覚えはないわい」と
応答してしまうし、新幹線車内において「いもジュリー」
としつこくからんでくる男性に思わず手が出てしまうし、という
短気さはどこからくるのかを、彼自身分析しかねているようにも
見受けられた。

彼はきっと「卑屈を嫌う」「相手に真剣に向き合う」
「自己保身をかなぐりすてる」
といった自分のなかの「純潔」を守りたいのだろう。

そうした、いつでもゼロに戻れる潔さをベースに持ちつつも、
すべきことを続けていた彼に、暴力を誘発した「潔癖さ」という
激しい感情を、「グググッ」と抑制できる点が、
高倉やミックに見られる「男」であると言ったらいいだろうか。

それは保身ではなく、しかし一時の感情で身を滅ぼすことのない
ための「押忍」の精神であり、「暴力事件」に発展するかどうか
の違いなのだ。
身を滅ぼさないことが、ひいては「純潔」を守ることになる。

さて高倉健は、江利チエミとの離婚後、二度と結婚はしようと
しなかった。もちろん「自分は、これは許せるけど、
これは許せない」といった考え方は人それぞれ違ってしかるべきで、
それを認めて初めてその違いを生かすことが出来るのだが、
そうした自分なりの哲学というのは一朝一夕でできるものではない。

暴力事件に対して、自らけじめの「謹慎」を申し出たり、
「メジャーになって初めて、自分の言いたいこともいえるのだ」と
最大手の渡辺プロに「仁義」を尽くしたジュリーは、
だからこそ、円満な関係を保ちながら独立を果たし、
地味ながらも自分の思い通りの活動をしているかに見える。

芸能界の日の当たる場所にあって、だからこそ「ググッ」と
こらえてきたあらゆる欺瞞を背中に隠して、今こそ、
ジュリーならではの「任侠」を実践して欲しい。
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沢田研二の時代の最先端に対する目配りは
特筆すべきものがある。
ファッションはもとより、「これから出てくる人」への
目利きに意外な才能を発揮していた。

かつて「沢田研二ショー」というバラエティーがあった。
「テレビの枠を超えた俺だけのショー」をするとの
触れ込みで、ファンとしては、「俺だけのショー」って
なんだろう、色んな彼の側面が見られるのか?
と楽しみだったが、実際そこで彼のしたことは、
自分が表舞台に立つのではなく、
芸能界における様々なジャンルの、旬な人々の紹介だった。
いや旬というより、まだ「はしり」の人々だ。

もちろんサザンや中森明菜など、彼の個人的趣味?に
もとづいた人選での、旬な相手との共演という回もあったが、
それはむしろ余興のようなもので、目的は別にあるのでは
と思わせるものがあった。

「君は沢田研二ショーを見たか!」と威勢のいいタイトルを
つけながら、あまり細かいところが再現できなくて恐縮だが、
(「だますつもりはなかったんです! でも…」)

言い訳をさせてもらえば、ジュリー自身のその威勢のいい
触れ込みの割には、特に何ということもない、地味な番組だった。

ただ、私はこの番組から、お笑いの「とんねるず」や、
サンディー&・ザ・サンセッツといった人々を知り、
「へーなかなかいいじゃん」と認識した。

まだ世に知られていなかった銀色夏生に、自分の歌の
詞を書かせたのもジュリーだ。
当時のファンクラブの会報で、彼女のことを聞かれ
「彼女まだ若いんですよ。19歳かな?
おかしい人です。何って、アタマが」と答えている。
銀色にとっては最高の褒め言葉だったんじゃないだろうか。

これは、マジで才能であろう。
彼はプロデューサーになってもよかったんじゃないだろうか。
ポイントはゼロから何かを作るのではなく、既にある人物なり
アイデアなりを、推進していくことに長けている点だ。

81年の、タイガース再結成の際も、誰かがした発案を
実際の活動へと具現化したのが、彼だ。
「復活タイガースをするとしたらコマーシャルは
取れますか?」などと、スタッフに根回しをしたらしい。
それは沢田の地位だからこその自信に裏付けられた
行動でもあったのだろうが、そのパワーの源は

「タイガースのおかげで今の僕がある」という、
日頃はふてぶてしい彼の「仁義」なのだ。
だから、若手の紹介も、ただの才能の発揮のみならず
なにか崇高な使命に裏付けられたものともいえる。

黒人のブルースをコピーしてデビューしたミック・ジャガーが
その後、「ブルースを世に伝える」信念で、今もなお活動して
いるのにも似ている。
「志を決めたら、何が何でもその経験を人に伝える。
人生でずっと大切にしている言葉だ。
ブルースというルーツに忠実なのは当然なんだ」
と、ミックは「日本経済新聞」に語っている。

ミック・ジャガーそして高倉健は、ジュリーにとって
触れそうで触れられない、しかしいつまでも
挑むべき、心の2大スターなのである。


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この際(どの際だ?)もう少し一昨日の「スマスマ」ネタを
未練がましく引きずってみたいと思うが、
沢田研二の前では、さしものスマップも硬くなっている
という現象は興味深くもあった。

スマップのなかでは一番ふてぶてしいキャラの木村も、
料理の説明をしたり、「関西人の発音と彼らのつくる音楽の
関連性について」うんちくを語ってみたりしている顔に、
「キンチョー感!」とでかでかと描いてあるようで、
その辺も見所にしようと思えばできた。

沢田はその話題には少し興味を示したようだったが、
実際には「ほー、なるほど」とか言うだけで、
勇気ある長い語りを終えた木村はかわいそうに、
一回り小さくなってしまったようにも見えた。

香取も、クサナギも、打ち合わせしたような
かしこまった姿勢で物申している。
かつて木村拓哉が「男はどうしてこのカッコをするのだろう」
と素朴な疑問を呈した、そのカッコだ。
もちろんこのような「先輩を立てる姿勢」も心得ている
からこそ、今の彼らがいるのだろう。

そんなこんなでビストロスマップの現場にノビノビした空気が
薄くなったためか、こちらが覚えていられるほどの会話も
特になかったような30分のうちに、
クサナギが沢田の持ち歌である「TOKIO」の振りをして見せて、
ジュリーが、「何それ?」と笑ったのが印象的だった。
「それ、西城くんのフリやん」、
「俺、それヤバイと思うよー」。
これこそ、沢田らしい、「まるで、ひとごと」の手法だ。

このように彼は、いつでも自分を無にすることのできる
強みがある。

それは目に見える、恰幅のよくなった体型に貫禄を
にじませる沢田、芸能界でスターとしての数々の
実績を築いてきた彼は、ただのおっさんとして扱われるのも
ありだよ、ということだ。

だから、スマップがどうかしこまろうと、むしろ我々視聴者
は、沢田にどう接してもそれは自由だ、と気づくのだ。
自分にとって実体のないものに、必要以上に怯える必要はない。
沢田にへりくだるファンは、彼に冷たくされるだろう。

沢田のキャリアだったり、先輩であるという外側の条件が、
目に見えない怪物のように
実体以上に大きくなって覆いかぶさってくる現象に対して、
我々素人が、「王様は裸じゃないか!」
と騒いでしまうことも、しようと思えば出来るのだ。

だからって、そんなことをしたって仕方ないことにも
同時に気づかされる。
彼に馴れ馴れしく接する素人もまた、彼に冷たくされるだろう。
「いもジュリー」とからんだ人は何かいいことがあっただろうか。

そのうえで、昨日のべた彼の「ひたすら目の前の料理を
味わうことに集中する」態度は、
沢田の目に見えぬキャリアに裏打ちされたものでもあると、
彼は、無言で、威圧感なく、証明しようとしている。

イケズであったり、暴力的だったりする彼をも
是認しているのではない。
そのなかには途方もない試行錯誤がひそんでいると思うだけだ。


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昨日、何年かぶりにジュリーの顔をテレビで拝んだとき、
その変貌振りに「今の彼ではなく、私の青春時代の彼を語れば
いいじゃないか、そう、それでいい」
と、静かに自分に言い聞かせた。

ここ最近なのだろうか、また彼がけっこう注目されていて、
だからこのような番組にも出るようになったのだろうか。
私は2Ch系サイトも嫌いじゃないので
覗いてみたりもするが、3,4年前のジュリーについては
まさしく罵詈雑言が飛び交っていた。

よくもそこまで、と思いながらもついついアクセスするのは
ファンならではのマゾ的心理があるのだろうか、
それとも彼らもジュリーを求めているからこそ
「おい、どうしちゃったんだ」という思いを
このような仕方で表現するしかない、というのが
これもファンだから共感できるのか、
よくつかめないままに貪り読んだものだ。

しばらく自分の昔の映像を封印していた彼は
2001年から「またテレビに出ます」と宣言し
少しの間は昔のように、バラエティーにも露出し始めたが、
それはグルメ番組など、自分が楽しんでるんじゃないの?
というものだったような覚えがある。

とにかく食べることの大好きなジュリーは、
今回も満足そうに、フカヒレなど豪華な食材を使った
ビストロ・スマップの料理を平らげていた。

しかしなんと幸せそうなのだろう、
ロックのハングリーさはみじんも感じられないかもしれないが、
藤山直美や、スマップにしゃべるだけしゃべらせて、
自分は黙々と味わっている。

いや、そうじゃない。
話に夢中になって、食べ物を2の次にするほうがおかしい。
今この瞬間のおいしさを味わわなくて、なんのために
生きているんだ。
おいしいものの食べられる人生、これほどの幸せがあろうか。
歓喜じゃないか!
だから、あれでいいのだ、と思った。
これが彼流ロックのハングリーかもしれないのだ。
それでいて、むさぼる様子のみじんもない
その綺麗な食べ方こそが、沢田研二である。


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沢田研二の、「一等賞!」を連呼する、開き直りの気迫さえ
感じさせる話題づくりや、これでもかというヴィジュアル重視の
パフォーマンスに、井上堯之バンドは「これ以上ついていけない」
と離れていったと伝えられているが、

セールス、ヴィジュアルといった、それ以上ごまかしのきかない
目に見える「リアル」で勝負するというのは、ラクじゃないのだ。

沢田の「歌謡ロック」というのは、そうした意味で、
ロックよりロックらしい、ある強固な「信念」を貫いた
よりマクロなパフォーマンスだったとも言える。
アルバム「ノンポリシー」を発表したこともある彼だが
行動そのものが、何よりポリシーを示している。

その「リアル」をキーワードにしたとき、彼と
ミック・ジャガーとの類似点も容易に発見できる。
ミックはマイケル・ジャクソンがデビューして、
ポール・マッカートニーとデュエットしたなどと聞けば
あせりまくり、「あれはヒットなのか、どうなんだ」
としつこいくらいこだわっていた、なんていう逸話を思い出す。

ミック・ジャガーというキャラクターが、なかなか「伝説化」
「神話化」されない一因ともいえそうな、人間くさい
がむしゃらさなのだが、むしろミックは「神話化」を避けようと
して、自分の「せこさ」を前面に出してくるような面がある。

そこには「夢ばかり食べて生きているわけにはいかないだろう」
という、身体を張ったアピールさえ感じられるのだ。
言葉にすれば嘘になりそうなことも、身をもって示せば伝わる。
だけど示している側はラクじゃないのだ。

しかし夢と現実のバランスをとって生きていくためには、
「あえて」ラクじゃないことをしてみる姿勢も大事なんじゃ
ないだろうか。

ロックは、夢であり理想であるけれども、
じゃあそのロックっていったい何なんだ?
テレビに露出してあんなことしたり、こんなことしてみる
なかで、なんとなく見えてくるものじゃないか。
その「実際のところ」を、誰かが証明してくれなければ始まらない。

沢田の、形而上的なものを日常のリアルにオトス示し方は、
言ってみれば「吉永小百合もうんこする」に近い、
身もフタもないトリックスター的あざとさもあって、興味深い。

それは戦後日本の混乱期を生き抜く柔軟性であったり、
小さな島国の閉鎖的なゴシップ文化にも関連してくる。

しかし実際ヴィジュアルの彼は、文句なしにかっこいいじゃないか。
カッコいいに定義はない。
お母さんの言うことを聞くのが、自分的にカッコいいと思えば
そうすればいいだけのことだ。




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私は昔から「学校」にはいわれのない不信感があるし、
役員などもできるだけ逃げ切りたい方だが、今回子供の学校で
文化委員に立候補した。シャに構えていても仕方ないし
御託を並べるには、まず実地から、とも思うからだ。

委員会で「ところで、これは何の会ですか?」のような
バカな質問をすると、(だから委員会だって)みんなの
力がいい具合に抜けて、意見も活発に飛び交うようになる
気がする。

なにより、そんな自分を勇気付けてくれるのは、
「一等賞」を合言葉にしていた沢田研二だ。
懐かしの歌謡番組「ザ・ベストテン」では、「マッチが
わしのライバル」と言い切り、ピンク・レディーや山口百恵との
一位争いに、他愛なく一喜一憂していた。

ここにも沢田のオヤジ振りが現れていて、ご指名を受けた
マッチも、上司にからまれた新入社員のように
困惑の表情を浮かべて微笑むしかなかったが、
それでも沢田のような大スターが、
「一等賞になってナンボ」という姿勢を貫き、
歌謡界に寄り添っていたのは、あっぱれ!と言っていい。

偉そうなことを言っても、現実に売れていなければ何も
ならない。自分は、この世界で一等賞になって
初めて生き残っていけるんだ、そこに、沢田研二の厳しさがある。

「レコード大賞」を、2年連続で取る!
と宣言したのも、記憶に生々しい。
そんなことを言われると、次の年末には
こちらも手に汗をにぎり、「ああ、取れなかった~」
などと、一緒になって悔しがる。
そんなドラマ作りにも、彼は長けていたのかもしれない。
歌謡界に大きな貢献をしたのは言うまでもないだろう。

歌謡曲出身だから、とロック畑から白い目で見られたことも
ある彼が、だからこそロック畑に色目を使うことをせず、
歌謡界で開き直ったように活躍し、一矢報いたことは
「さすが岡中の不良」と、我ら後輩の誇りである。

私も文化委員会で、誰もしたことのないバカな意見を
嫌がらせのようにこれからも投げかけていこうと思う。
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沢田研二はかつて宇崎竜堂との対談で、「ミック・ジャガー
なんていつも10キロ、走ってますからね」と、自分には
とてもまねができない、といったように語っていた。

スリムな体型を維持するにはどうしたらいいのか、
ロックをやるには、まず足を衰えさせてはいけない、
でもジョギングなどはあきるから、そうだテニスをしようと、
のちに考え付いたようだ。

私も、「意味のない」散歩ができなくて、無理にでも
用事を作って歩くという、本末転倒なことをする者なので
ジュリーのテニスはいい考えだと思うが、
本当のところ、ミックはどうなんだろう。
そんなに走りこんでいるのだろうか。

ミックがソロで来日した際、インタビューでそのことを聞かれると
「そんなことはない。たくさん走ると身体に悪いから走るなよ」と
答えている。
そこには「自分はそんな怪物ではないのだ。誤解しないでくれ」
という思いと、「だから、下手に真似をすると
あんたが大変なことになる」と、相手を気づかう思いがある。

スターというのは虚像ばかりがふくらんで一人歩きしてしまうところ
があって、それは我々の想像以上に深刻な問題なのかもしれない。
ミックがことさらに自分を「怠け者だ」というのも、
「自分はそんな悲壮感を漂わせてがんばっているわけじゃなく
これはただの習慣なのだ」と訴えたいからだろう。

頑張りを、すぐに「我慢」「悲壮」に持って行ってしまう
のは違うぞ、それは本来の努力ではないから、
反動でおかしなことになるぞ、とミックは言いたいのだ。

だけど、実際どこが怠け者なんだ? 
あんなに根性のある人はいないじゃないか。
数々のトレーニングも着実にこなしている。

でもミック本人の意識ではそれは「特別」なことではない。
「我々には出来ないこと」ではけっしてないのだ。
西洋人だからって万能じゃない、ただの頑張りやなのだ。
だからジュリーも、ミックを神棚に祭り上げることはない。
ファンに自分の神輿をかつがせて、その上で誰かを祭るのではなく
ミックみたいに、「お客様は神様です」でもいいじゃないか。
あるいはショーケンみたいに、「ミック?いつでも共演しますよ」
と言ってみたらいいのだ。

その企業戦士のような、「俺がいないと立ち行かないんだ」
「俺の替わりはいないんだ」(そんなことないんだけど)
という「モーレツお父さん」ぶりにおいては、
ミックもジュリーもなんら変わりはない。

そのオヤジ性は、彼らのステージで時折見せる「走り方」に
現れている。それは、短めの足によくマッチする、
少しおどけの混じった小走りだ。
手を小さく脇で構えて、姿勢をそり気味にし、
足を「エッサホイサ」のように、がに股気味にすればいい線行く。

彼らはなぜ申し合わせたようにこうした動作をするのか。
オヤジだから、としか言えない。
ギャグのセンスなども似てたりするのだろうか。
ポンと肩を叩きたくなるような「小心者」もそこには
あらわれていて、私は好きだ。

オヤジ走り、それは、「こんなことしてスキ見せてるけど、
やるときはやりまっせー」と、
まだまだもうひと頑張り見せてくれそうな「底力」の象徴
だったりもするのだろうか。


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沢田研二は、早川タケジデザインの斬新な
コスチュームや小道具で話題をさらった。
「憎みきれないろくでなし」のナチスの腕章、
「サムライ」の刀、「Oh!ギャル」のカラーコンタクト。

そんな彼は、書籍の中でこう語る。
「日本の店というのは、入りにくい店が多いですね。
メガネなんかかけたりして、ボサッと入っていくと、
あんたには合わない店よ、みたいな顔をする。(略)
まあ、沢田研二ですと名乗れば態度が変わるかもしれないけど、
それもイヤだしね」(『我が名は、ジュリー』)

この、「イヤだしね」には、なんだかわからないものに
強硬に反対したいという意志が集約されていて、
これがジュリーのロック魂の源ということもできそうだ。

「イヤ」の2文字には、言葉にしたら何ページにもなりそうな
泣き叫びたくなるような思いが込められているに違いない。

しかしたしかに普段着の彼は、ボサーっとしていそうだ。
ミック・ジャガーのように、オフの日にもピンクの帽子を
頭に載せてみる、なんてことはしない。
ピンクの帽子なんていかにもヨーロッパという感じで
それはそれで素敵だし、ヨーロッパかぶれの私の祖母などは、
80代になってもお出かけに赤のハイヒールを選んでみる
なんていうことを平気でしていた。

しかしスター、沢田研二においては、
「ピンク?わしゃ、考えられん」と言い切りそうだ。

その言いようは、頑固オヤジそのものではないか。
彼のは、外部から来たものに槍を持って立ち向かう、
農耕民族のロックだ。
だからこそ、歯が立たないものに対してはとたんに
卑屈になる態度に敏感に反応し、反発するのかもしれない。

彼はタイガース時代初めてミック・ジャガーに会った日のことを
こう語る。「ドキドキしてね。背広なんかラフに着て、
ネクタイしてたのをはずして、マフラーみたいにピューッと巻いて、
カッコよかった。」

ネクタイをピューッと巻く、そんなことが
できるのは、「よそさん」だけ。
彼は、大衆に迎合するのでもなんでもなく、
本気で常に野暮ったい者の側にいるのだろう。

それはハレとケを分ける「日本人性」であり、
コツコツ地味に生きる日常を脱したい願望からこその
スパンコールであり、セーラー服であり、パラシュートであったのだ。

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反逆の電子オルガン 
「ここはピアノでしょう」という祖母の意見を押し切り、
新し物好きの両親は、私にエレクトーンを習わせた。
なにしろ、近所に住んでいたというジュリーのことを
「あラ、不良や」の一言で切り捨てる祖母だ。

「エレクトーン」が、当時のヤマハの社長が名づけた
エレクトロニック・トーンの略だというのも
ちょっぴり笑かせる話だが、
エレキ・ギターのバンドなどやっている若者は
みんな「不良」だと断ずる者からすれば
顔をしかめたくもなる代物だったのかもしれない。
そこには「古典に帰れ」という願いと
「あんなものは信用できない」という疑念が同居する。

右手は上の鍵盤でメロディー、左手は下の鍵盤で伴奏を弾き、
右足でボリュームを調整し、左足でベースを弾くという形態も、
怪しまれる要因だろう。
両手両足を駆使してこんなんなって弾くわけだから。

たしか幼稚園から小学校4年まで習っていた。
ちょうどエレクトーンが、初代のものから
シンセサイザー的に改良される直前にやめているわけだ。
だから私にとって「リカちゃん」はあれだし、エレクトーンは
あれなのだ。

そのせいか、私はあの独特の電子音に敏感に反応する。
いろんな意味でとても懐かしい調べだ。
60年代後半から、70年後半にかけてのストーンズの
曲にも、あの音が登場する。
その頃のベトナム反戦運動などともリンクしてくるわけだ。

「悪魔を憐れむ歌」のメーキングフィルムでもある、
ゴダールの「ワン・プラス・ワン」を見直すと
おお、あの初代エレクトーンがスタジオにあり
ニッキー・ホプキンスが、神経質そうに奏でているじゃないか。
やっぱりあの音はあれだったか。

アルバム「イッツ・オンリー・ロックンロール」のなかの
「If You Really Want To Be My Friend」にもあの音はある。

これにはストーンズらしい(?)男尊女卑ソングに
分類できそうな歌詞がついている。

「お前が本当に男になりたいのなら、その爪をたてるな、
俺を利用するな」

こんなこと人に言われるのはごめんだが、
歌だと「そうか」と納得できるところがあったりする。

本当はミックも女性に爪を立てられて、
リアルな痛みを悦びに変えていることもあるだろうに、
などとツッコミを入れながらも、
その「トーン」には問答無用に酔いしれてしまう。

「私立!」「ピアノ!」という祖母になんとなく
あらがってくれた両親のおかげで、
公立、エレクトーン育ちの私は、立派な不良になれた。
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ショーケン! 
マーク・ボランと萩原健一の声は
聴けば聴くほどそっくりだ。
だからT.レックスを聴いて
ショーケンへと思いを馳せることにもなる。
どこへ行ってしまったのか、彼は。

最後に彼を見たのは瀬戸内寂聴との対談だった。
ちょうどバンドを従えて全国ツアーをしている
最中の出演で、「足を骨折した」とか言う話をしていた。
瀬戸内は、老年にさしかかった男性がこうしてツアーをしている
そのことだけでもう胸が一杯だと、
「かわいそうじゃないの、けなげじゃないの」と語っていた。

人間好き、男好きの「業の深さ」から仏門に入ったと思われる
瀬戸内ならではの情念豊かなコメントに、ショーケンは
「グッ」ときていたが、そのあと間もなく「お縄」になってしまった。

ホリエモンも細木数子におこられたあとの
逮捕だったし、(それは関係ないか)
女性にあやされたあとの男性にはもろいものがあり、
「女は魔性」と言われる一因にもなるのかとも思わせる。

「傷だらけの天使」のショーケンを見てしまったら、
今の若い俳優などみんな砂利に見えて仕方がないが、
彼は結局グループ・サウンズ出身の自分が帰るところは、
「この形」だと認識していたのか。
映画界にも「お騒がせ」に入っただけだったのか。

どうしても肉のついてしまう身体にムチを入れながら
全国ツアーを細々と展開しているジュリーといい、
彼らは未だに「ロック」つながりで存在している
としか言いようがない。
そういえば、ひょっとしてPYGはまだ解散していないのか?

逮捕のときの「僕は反逆のカリスマですから」という
わけのわからない捨て台詞も、それの一環と思えば
なんとなく納得できる。
とにかく日本のマーク・ボランは彼だけだ。

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沢田研二については、『贅沢貧乏』の森茉莉、
この間亡くなった演出家の久世光彦といった名だたる人々が、
すっかりでれでれになって思い入れを語っている。

2年前の大晦日だったかに、
作詞家阿久悠のスペシャル番組を見ていたら、
(私が小さい頃、初めてファンレターを出したのはこの阿久らしい。
親というのは変なことを覚えていて、
しかもそればかり語り草にするが、
「だからあんたは、あの頃から変わった子だったよ」と
言われても、
私は「ファンレター」というものを出してみたくて
たまたま「アの行」にいた彼に出したのだ)

その番組収録時、まだ生きていた久世が
ジュリーのことを「彼は実に男っぽい」と熱く語っていた。
しかし彼こそ、沢田研二を実に様々に演出した男だ。
ドラマ「時間ですよ!」で、その頃まだ違う名だった
樹木希林に「ジュリー!」ともだえさせたのも
久世だったはずだ。
あれは彼の叫びだったのだ。

死ぬ何日か前にも沢田・田中夫妻と食事が出来て
とても幸せそうだったという。
あの「遺影」の、タバコをくわえたポーズが物語るカッコマンが
すっかり舞い上がってもいたというのだ。

彼はきっとジュリーに自分を投影していたのだろう。
とびきりスペシャルな、自分の中のスーパースターを。
久世さん!あんたこそスターなんだよ。

だって沢田研二はいつもヌーボーとしてそこにいるだけだもの。
玉村豊男との対談を綴った書籍のなかで
「こっちがしゃべらないと、自然にみんながしゃべってくれるんです」
と、もらしていた。
ずるい奴っちゃとも思うが、考えようでは面白い。
いつでも無になれる、それがジュリーのしたたかさだ。
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ザ・タイガースファイナルライブという「動画」を、
パンドラの箱をあけるように恐る恐る覗いてみた。
子供の頃、このライブレコードを何度も聴いた私は、
こんな映像がどんなにか欲しかっただろう。
もし、当時ドラえもんと知り合いだったら
真っ先にポケットから出すことを迫ったと思われる。

それに比べて今は何という時代になったのだろう。
こうなると有り難味が薄れてくるから不思議なものだ。

京都のボンボンらしいヌーボーとした面々が並んで
涙をためてファンにお別れのあいさつをしている。
初々しい岸辺一徳が、リーダーらしく、しっかりと
話をまとめに入っている。

彼らが憧れた異国のロックバンドなら、軽くサンキュー、
バーイと手を振るところを、深々と頭を何度も下げる、
演歌歌手のようなジュリーたち。
そのメロディーといい、つくづくGSというのは独特の
無国籍的ポジションを持っていた。
約3年という短い、しかし誰よりも濃い時間を彼らは駆け抜けた。

彼らがさんざんコピーをしてくれたおかげで
私はかなりのストーンズの曲を知ったし、
後に原曲を聴いたとき、その素晴らしさにびっくりもした。

「アズ・ティアーズ・ゴーバイ」や、「タイムイズ・オン・マイサイド」
が、タイガースのものだと思っていた人間が、
本物を聴いたらそりゃぶっ飛びもするだろう。

「君だけに愛を」の、ファンへの指差しポーズも
ミックがやっていたポーズをアレンジしたものだと今ならわかる。
「ユー、ユー、ユー」って指差している映像が手元にある。
日本人のアレンジ能力の高さだろうか。

いやストーンズだって結局は、黒人のブルースや
R&Bを焼き直ししているのだ。
そしてすっかり自分たちのものにしてしまっている。
それが個性じゃないか。

ミック・ジャガーは、自分から見た「いいもの」、
「フレッシュなもの」に目を輝かせ
常に取り入れようと努力している人だ。

その証拠に今ストーンズは、ステージで客に深々と礼を
しているではないか。

この事実は、ぜひとも沢田研二に伝えたい。



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68年制作のこの映像はストーンズの意向で長くお蔵入りに
なっていて、5,6年前だろうか、一般に公開されるように
なり、ビデオも手に入れることが出来た。

出演者のなかでも、フーが圧倒されるようなパワフルな
パフォーマンスを見せており、ミックがこれを見て自信をなくした
のがお蔵入りの一因ではないかという説にもうなづけるものがある。

主催者のストーンズは、撮影のために何日か徹夜した
らしく、ラストのオールキャストシーンでは、ミック、キース、
ブライアンはそれと気付かせないが、チャーリーとビルは
半分寝てしまっている。

最後の舞台を務めるミックは、そう言われるとあまり声もよく
出ていないが、そんな悪条件に必死であらがう、彼ならではの
ど根性ガエルのような精神力に裏づけられた「悪魔を憐れむ歌」
のパフォーマンスが見られる。

「おっ、今なんかスイッチ入ったな」という感じで、気味の悪い
刺青を見せつけながら踊りまくるミック。
それは観客席の、ジョン・レノンのラリラリの踊りとは
見かけは同じでも、内実はまったく違うものだ。
要はジョンなど何も考えてはいない。

恍惚の表情について、ついでに言えば、この演奏でマラカスを
担当するブライアン・ジョーンズを、「なんで彼のような人に
あんな楽器を…やっぱり干されているんだな」とかわいそうがる声
が多かったようだが、一心にそれを振る彼の表情を見れば、
そんな楽器の「優劣」など、まったく超えてしまっていることが
わかるだろう。

ミックは撮影が終わるといっきに気が抜けたに違いない。
しかし出演者のみんなに挨拶をしなくっちゃと、彼らの乗った
バスを追いかけたらしい。これもまた泣かせる話だ。

そんな真面目なミックは、まだ撮影中にもかかわらず、
「地の塩」の合唱に加わらずに彼の前で寝そべっている彼女、
マリアンヌ・フェイスフルの姿に、さぞイラだったことだろう。

しまいには「そこ!」と、ピッピッと笛を吹く警官のように、
マリアンヌの帽子をはぎとり、力ずくで身を起こさせている。
ここでついに彼の学級委員性があらわになる。

しかし「自由」に憧れるミックにとって、そんなふうに
よくシツケられた自分が、重荷になることもあるだろう。

ジョン・レノンと軽く会話する場面には、
そんな実情もからんでいるような、
花も恥らうミックが現れてしまっている。
憧れのジョンを前にして「もじもじして、どうした」と
私まで身が硬くなるほど、
ハニカミ屋の彼があらわになっている。

ジョンみたいなポーカーフェイスでは、心中がわからないが、
ミックという人は、その点とてもわかりやすい。
彼はマリアンヌという現実の彼女よりも、ラリラリのジョンに恋して
いたのではないだろうか。

と、妄想させる映像だ。



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「ウィスパー・ヴォイス」の効いたクロディーヌ・ロンジェや
ジェーン・バーキンのフレンチ・ポップは、
私のような危ないロリコンには垂涎モノだが、
「想い出のロックンローラー」を歌う
ジェーン・バーキンは、実はイギリス人だ。

だからこの歌には、日本人が聞いてもわからない
たどたどしさが潜んでいるのだろう。
グジュグジュしたフランス語なら何でもフレンチポップかと
思っていたが、「歌謡ロック」同様の、ノンジャンルの個性が
そこにはある。

彼女はこの歌で、自身が青春を過ごした60年代に活躍した
ロックアーティストたちの名前を一人一人
丁寧に、かみしめるように連ねている。

ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、
エディ・コクラン、バディ・ホリー…

ジミ・ヘンドリックス、オーティス・レディング
ジャニス・ジョプリン、T.レックス、エルヴィス…

その名前には、彼ら一人一人への愛と共に、60年代イギリス
の若者ムーブメント、「スウィンギング・ロンドン」
への熱い思いと、彼女自身の郷愁が込められている。
ふるさとは、遠くにありて思うもの。

その愛しい彼らに、「どこへ行ってしまったの」と、
切ない問いを投げかける彼女の言葉は
あくまでもフランス語だ。

それは、ひとえにあの、ゲンズブールに恋をして、
フランスを死に場所として選び取ったからだ。
ゲンズブール自身、生粋のフランス人ではない。
自分で居場所を選ぶしかない「はぐれ者」同士が結びつき、
「想い出のロックンローラー」は生まれた。
彼は曲作りと演出を担当した。

松任谷由実と、そのうしろで黙々とキーボードを弾く
松任谷正隆のようなそんな関係性は、ぐっと来るものがある。

「恋する思い」は、人に故郷を捨てさせ
目に見える国境を超えさせるのか。




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ミックが日本に来るたびに使う、たどたどしい「ニホンゴ」を
「何じゃありゃ?」という人は多い。「ミック、そこまでするな」と。
その裏には、「そんな迎合は、ロックじゃない」といった
心理が見え隠れしている場合もあるだろう。
でも、行った先の言葉で話すのは、当然と言えば当然の礼儀だ。

英語が世界共通語だとかいう理屈以前に、たとえば日本に来た
欧米の観光客が、つたない日本語を必死で駆使して話しかけてきたら
その心がけに感動するだろう。
そんないじらしい欧米人はいるだろうか、いやめったにいない。

誰がやっているから、じゃなく、ミックは自分のやるべきことを
ただやっている。「平等な世界」がいつか実現すればいいなどと
絵空事は言わず、黙って、こうあって欲しい世界を今ここで
自らが示して、瞬間を生きているだけだ。
たとえ子供の頃のそんな夢想を後生大事に抱えていたとしても。

日本人が、たとえば自分のアイデンティティーを欧米側に置いている
のか、アジアに置いているのかにもよるだろうが、
私たちから見てスケールのでかい、イギリスから来たミックだからこそ、
彼がそんな外側の条件をとっぱらった姿で理想を示しているのに
心を動かされる。それは、お世辞や感嘆を言うでもなく、「笑えるよね、
今なんて言ったの?」と彼を指さしながら、でも静かに何かが動いている、
といった性質のものだ。

そこには「政府の期待する人間像」ではない、彼自身の歴史に
裏付けられた血の通った判断が見られる。

そんなライブ感覚で毎日を精一杯生きている者は
自然と用意周到にもなるだろうし、「礼」を尽くせば、
たとえばテロなど、何の怖いことがあるだろう。
不思議と心から「大丈夫だ」と思える。
かえって守りに入ってガチガチになれば、
見えない悪魔に脅かされっぱなしになる。

彼が『悪魔を憐れむ歌』でうたったように、
警官は犯人かもしれないし、罪人は聖者、頭はしっぽかも
しれないのだから。

ジーパンこと松田優作の手の平の血、
またはミック・ジャガーの日本語のように
「何じゃ、こりゃ!」と人をして言わせるのが、
かっこ悪くてもロックじゃないのだろうか。




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「歌謡ロック」のジレンマを語るとき(いつ語ったんだ?)
はずせないのは、よしだたくろうの「ある場面」だ。
昔、まだ紅白歌合戦やレコード大賞といった歌謡番組が
高視聴率を稼いでいた頃、「歌謡大賞」だったか何かに、
何を血迷ったのだろう、たくろうが出ていて、非常に所在無く
「聞いてないよー」みたいに唖然と立ち尽くしていた姿を覚えている。

居並ぶアイドル然とした受賞者の中でただ一人、そこだけ違う
空気を漂わせて、あるいは空気をそこで遮断して、これ以上ない
憮然とした表情で立っていたのだ。それを見た誰もが、
「あなたはどうしてここにいるの?」と聞かずにいられない、
という好例であった。

なぜ私のような子供にまで「あの人かわいそう」と気を使わせる
ようなことをしているのか、たくろー本人もわからなかったんだろう。
その「なぜなのか」という自分探しを続ける過程がロックなんだろう
が、彼の中には「俺はこんなところにいる人間じゃあない」という
意識があったことも、想像できる。

もちろん、そのような番組で彼を見たのはそれきりだ。
同じくユーミンが、何かの賞を取って不覚にも泣いてしまうという、
おそらく本人想定外の、ずるずるの姿を見せつけたというのもある。
本当は人一倍「純」な自分を、うっかりど忘れして出演して
しまったのだろうか。
そんな場面ばかり覚えているとは、私もつくづく悪趣味だが
まあ、スマートだったのは、紅白の中島みゆきぐらいか。
彼らがすぐ「辞退」するのは案外そんな事情もからんでいる
のかもしれないなんて、いらない邪推をしてしまう。

そんな、「全滅」といってもいいミュージシャンたちに
比べたら、さすがに我らがジュリーはさばけていた。
この、すかしていないのが、実は彼の一番いいところだ。
「俺はしょせんタイガースだ」から始まった彼に怖いものはない。
栄華を誇ったナベプロ所属タレントという条件を越えた、
彼自身のいいはじけっぷりが、あの頃は楽しめた。
「8時だよ!全員集合」他で志村けんらと見せるお調子者振りは、
「研二」という名が語る、次男坊のそれなのか、
あるいは意外と彼の世代である「団塊」が、そうなのか。

彼にとって目の上のたんこぶである兄は、
唾棄すべき「体制」の象徴であり、
越えるに越えられない「ロック」であり、
ふざけるなというほど、数の多い同級生たちは、
否応なく、自分を捨ててアピールする必要性を彼に与えただろう。
一人っ子の多そうな、気難しいイメージの「ニューミュージック」
系アーティストにはない、「サブ」ならではの屈折した生命力が
沢田研二にはあった。


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ミック・ジャガーのライブ映像は、自慢できるほどには
集めたが、今見直しても、なぜか90年のそれだけは
「早送り」したくなる衝動にかられる。
これ以上詮索しようがない、単なる好みの問題だ。

90年といえばまさにストーンズ初来日の年。
ミック自身は88年にもソロですでに来日しており、
私はその2度に渡って、熱狂的なミックファンの友人から
「一緒に行かない」と誘われたにもかかわらず、
なんと断ってしまっていた。その後こんなに燃えることになるとは
夢にも思わなかったのだ。

彼らは東京ドームで9回の連続講演を行ったが、
チケットは即座に完売。
「初来日」というのはこれほどの付加価値があるのか!と
今では信じられないほど、猫も杓子も、ビートルズと
ストーンズの区別のつかないような人々がわんさか押し寄せて
VIP席を分捕って行ったという。

思えばミックのソロ来日というのは、それに比べたらずいぶん
地味なものだったが、偵察の意味もあったのかもしれない。
同時にキースとの方針の違いが表面化した、解散劇のひとコマとも
とれるが、結局どちらの意見が通ったのかは、この90年の
ショー化したステージを見れば明らかだろう。

これをミック色といわば言えだが、それは実は彼の大局観
のなせるワザで、あれもこれもストーンズの延命をはかればこそだ。
それこそビジネスマンミックの本領で、男らしー!ではないか。

と、わかっちゃいるのだが、どうも「早送り」する手は止まらない。
一体何がいやなのか、手に聞いてみるしかない。

ドーム級の大ステージを意識した、きびきびした機械的なアクション、
散髪の行き届いたヘアスタイルに、洗練されたいでたち。
その顔からは、セクシーさが消えている、と手は語る。
あのビョー気っぽさが消えている。

テノール歌手か?というような、はりのよい声は、
沢田研二との共通点みーつけた!だ。
その声は昨日のべた、沢田の嫌がっていた「自身の既に得たもの」
つまり「歌謡曲」に集約される、商業主義だったり、
メジャーだったり、ゴージャスさ、強さの象徴なのだ。
その中で、そこはかとない「沢田研二」(人間味?)が
それに抵抗することで、彼の魅力的な個性を生んでいた。

私はフィリオ・イグレシアスにも、ヨンジュンにも、
ハンケチ王子にも、興味がわかなかった。
そうだ、清潔感がきっとだめなのだろう。
まだ今のミックの方が、あの頃よりもヤモメらしい
じじむささがあって、色っぽいのだ。

強いミックなど、いらない。
だけどそれは、強いミックがあって初めて言えるのだろうか。


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沢田研二 
「ジュリー」はその昔、日本のミック・ジャガーとして、
いわゆる「歌謡ロック」なるジャンルをはからずも
成立させていたように記憶する。

私は、彼が田中裕子と一緒になる辺りまで
隠れファンであったのだが、(彼の妻の座を
狙っていたわけではもちろんないが)
別に隠れる必要などないのだ。(それを言うなら今はミックの
隠れファンか)

その頃のジュリーは、佐野元春に多くの曲を依頼していた。
しかしその曲調に合うような、人工的な歌唱が彼には
難しかったようで、どうしても熱のこもった、ある意味
泥臭い歌い方になってしまい、あの佐野の「軽さ」
(硬派なんだけど)が全然違ったものになってしまっていた。

それは、誰がなんと言おうと、沢田研二だった。
つまり、彼の憧れていたロックではなく、いやでも
身体にからみついてくる、「沢田研二」(=歌謡曲)とも
明言できない、新ジャンルなのだった。

それはだけど、他の誰にも真似のできない彼一級の個性だ。
私は歌謡曲もフォークも好きな何でもありなので、この間は
「俺たちのフォーク」という2枚組をいそいそと借りてきたが、
これが「俺たちのロック」あるいは「俺たちのジャズ」だったら、
「俺たち」は素直に容認できただろうか、と思った。

彼らの「ジャズだ」「ロックじゃない」と厳密に分けたい、
あるいはそんなに簡単にカテゴライズしないでくれという
「こだわり」はわかるようなわからないようなだが、
ジュリーには、そのようなこだわりは見られなかった。

そもそも、タイガースの人気も作られたものと彼は認識していて、
解散後は今度こそ我々のやりたかった「ロック」をやるんだと、
大野克夫らとピッグを結成したが、ロックファンの観客からは
「帰れ」の洗礼を受けてしまったという。

どうして西洋のロックミュージシャンは、あんなに自由に
ふるまえるんだろう、ああ、ミックがキースがうらやましい…
みずからの個性や成功をかえりみない、「ないものねだり」の
心の叫びが、いつもジュリーからは聞こえてきていた。
(ついでに言えば彼は、ファン(あるもの)にも厳しかった。
気に入らないラジオのリスナーへのイケズな応対は今でも
忘れられない)

次男坊でいつもお兄ちゃんについて回っていたという
おいたちも一因なんだろうか、そんな一種のハングリー精神は、
彼をスターダムにのしあげ、歌謡曲のジャンルにおさまらない
「こだわり」を形にした。

これこそロックだとも言える、不満足ぶりは今も健在で、
少し前は今度はさかんに「お笑い系」への憧れを語り、
そのためか藤山直美らとの舞台に進出していたようだ。

だけどそのキャラ自体が、彼の嫌がっていた
「日本人的」であり、沢田研二だったということに
彼はすでに気付いているだろうか。

「違い」への厳しい姿勢は、個性を認識する第一歩であり、
彼が「自由」を投影していたロックは、彼自身だったことを
知るためにあったのかもしれない。






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オヤジギャグを何回も連発するオヤジに
情け容赦なく冷たい視線を送っていたこともあったけど
彼らはもしかするとロケンローラーだったのかもしれない。

つまり「こんなはずじゃない」とくじけそうになる自分に
なんだか知らないけど静かに戦いをいどむもう一人の自分を
持っていたのかもしれない。
だってウケなかった事実は判明しているはずなのに、
なぜ何度も繰り返すのか。

きっと、あれ?何だっけと、ついさっきの物事を
一瞬で忘れてしまったり、何かを勘違いしていた自分に
ほとほと愛想が尽きる日常もあるんだろう。
私もこの年になると心からお察しできる。

挑戦こそが若さを維持することの秘訣だ。
どうせなら得意分野でがんばったら?というのとは
ちょっと違うし、若さを維持しなくていいじゃないという
のとは、まったく違うのだ。

何でも挑戦しなければ、身につかない。
身について初めて、たとえば本を読んで納得できる。
本に寄りかからなくても、
何度も挑戦してきたことでアレンジなんかもできる自分がいて、
はじめて物事を楽しむことが出来る。

ミック・ジャガーは、そのガリガリの身体について問われたとき
やっぱりロックンローラーは太っていては「ダメ」だと
断言した。

ロックするには、痩せた身体が資本ということだ。
「水を飲んでも太ってしまう」人には気の毒だが、
ちょっとぐらい「いいじゃない」というのがダメなのだ。
ここでもうロックから「ノォー!」をつきつけられてしまう。
そもそも「少しくらい」という言葉が辞書にないのだろう。
この過剰さが、究極である「無」への第一歩だ。

スリムな自分は、今ここにいなくてはおかしい。
今にピントを合わせなければ
「いつか」は永遠に来ない。

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「どけ!」と言わんばかりに、他の子の使っている遊具を
横から奪っていく子供がいるかと思うと、
「替わってください」とていねいな言葉に、
最大級の威圧感をにじませながら頼む子供もいる。

親のしつけってなんだろう。
おそろしくはきはきした、しっかりとしたご挨拶と、
それをご満悦そうに見ている親に、ただ圧倒されると
「えらいねー」としか言えないけれど、
心はちっとも動かない。
「可愛いなあ」という、もうたまらない心の動きは
かけらも感じられないのだ。

向こうの道路を、ベビーカーを押しているお母さんと、
そのかたわらに幼いお姉ちゃんが歩いているのが見える。
お母さんにつかまってただ無心に一生懸命
ついていこうとするその姿に、
ひとりでに目頭は熱くなる。
数年前の自分をそこに重ねているわけじゃない。
ただ、胸が熱くなるだけ。

あらためて入学式前日の自分の子を見やり、
「大きくなったなあ」と思ってみるけれど、
特別な感慨はない。
きっとあの時代を当事者として精一杯すごしたから
きれいに卒業できたのだろう。
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「利己的に生きる」については、しかしある種の資質が要るようだ。
私は、この前会ってきた甥の一人、そして自分の下の息子とともに
「自分のことしか考えていない」あるいは「何も考えていない」
人々として、はからずもひとつのユニットを結成しているが、
(本や音楽、ゲームに一日中でもひたれ、周囲が見えず、
そのため誰もが周知のことを何日もたってから
「あれどうなった?」というような特徴を持つ)

今回中学生になる甥は、そのことで親や祖母に注意を受けて、
さすがにそろそろどこかで「こんなことでいいのか」と気に
し始めていたようだが、もっと非国民的な私という叔母が、
それでも40年、意外とフツーに生き抜いていることに
安心したようだ。「あれでいいみたいだ」と。
思いがけず私は彼の希望の星となったわけで、よかった。

「戻ってこれない者は、タミフルを飲まないほうがいい」
と言われるほど何かに夢中になることの裏には
案外ペシミズムのようなものが巣食っているのかも知れず、
そう書くとなんだかカッコいいが、利己主義者なりに
ふと我に返ると辛いものはある。
行ったきりの安定を覚えると不安定とのギャップが激しいから。

宗教に逃げようとしたこともあった。
「ロハスな生き方」のようなものに癒されようともした
(それも残念ながら宗教だ)。
しかしいつしか不安定を生きる以外ないことを知った。

私もまだ発展途上だが、甥に伝えるとしたらそれだろう。
「人に伝える」ことは我が身をふりかえらせる。
たまには「戻る」ことを選択してみたくもなる。
そうすれば次に「行く」ときはもっと快感が得られるだろう。
えらそうに言うことじゃないが(充分えらそうだが)
利己主義ナニが悪いというメッセージにもなりえるかもしれない。
心の友よ、強く生きていこう。

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利己的な身体 
理想はやっつけられるのではない―それは凍え死んで行くだけだ……
とニーチェは『この人を見よ』で語る。
他に調子を合わせることで自己喪失に陥っていた彼を救ったのは、
病気がちの身体だったという。
だからこそ「暴力的で不快な手段」をとらずにすみ、
現実的に考えることを余儀なくされたのだと。

「病気から、わたしは、いやでも静かに寝ていること、何もしないで
いること、待つこと、忍耐づよくしていることという贈り物を受けた
……だがそれはつまり「考える」ということなのだ!」

私は、先頃インフルエンザの際タミフルを飲み、
熱が下がらないのですぐに「熱さまし」を飲みという、
無茶をしたためか悪夢にうなされた一人だが、
別にそんな性急に直そうとせずとも、じっと寝ていること、
身体が自力で治るのを待つこと、そしてその間、否応なく
さまざまなことを考えさせられることで、想像以上の贈り物
を得られたかもしれないのだ。病んだ身体というのは、
「何でも出来そうだ」とはつらつとした声を発する身体より、
もっと沢山のことを命じてくれるのだから。

高熱に苦しんでいるときは本も読めない。
これが思いがけなく心と身体をリセットしてくれる。
茶道のけいこで、我を通そうとしたために身体が素直に動かず、
次の動作がスムーズに出ない人に、「どうも教養が邪魔をして
いるようですな」とからかう常套句があるが、
知識でがんじがらめになることは人から柔軟な自己を奪う。

ニーチェは、病のためにしばらく本を読まずにいたことで
静かになっていた自我が、再びポツポツと語り始めたとき、
最高の幸せを感じたという。
それを彼は「最大級の快癒」と名づけた。
肉体の快癒はその結果に過ぎないと。
しかしこの悦びは、本をもとから読まない場合には
得られないのだろう。

たとえはっきりとした病や災害に襲われずとも、
「仮想敵」を常に設定したいという心理が人にはある。
神という言葉はニーチェの前で使っちゃいけないんだろうが
あえて言えば、「神の肢体」の1器官である私は、
精一杯利己的に生きることだけが務めであるのだ。
自分を一段高くして他を同情することこそが全体の退化だと
ニーチェは言う。
どんなに利己的に生きても何が起こるかわからないし、
何よりいつかは居なくなってしまうことが唯一の事実なのだ。

どんなに良くしてもらっても「知らないからってバカにしているな」
などと少しでも感じてしまうと、その人と話をしたくなくなる。
いくら「それは大人じゃないよ」と言われても。
身体とはそういうものなのだ。
しかしだからこそ身体には、「道徳」によって失っていた自己を
再び蘇らせる力がひそんでいる。

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先週、イギリス人英語講師の殺害事件のニュースが世間を騒がせた。動機についてさまざまに憶測されているが、美しい女性に対するストーカー行為もさることながら、私が気になったのは、日本に来たことも慈善事業の一環であるかのようなクリスチャン然とした被害者の人物像だった。彼女のちょっとした物言いなどに、哀れまれることに敏感な加害者を刺激するような要素が、もしかするとにじみ出ていたのかもしれない。

イギリスにも日本にもクリスチャンはいて、かもし出すオーラは良くも悪くも世界共通だが、逆にイギリスには日本にはない独特の趣向を持った観光スポットが存在する。私が昔行って一番ワクワクしたのは、「ロンドン・ダンジョン」だ。同じ人形館でもマダムタッソーのようにメジャーじゃなく、日本人も見当たらないそこは、どこよりもリアルなお化け屋敷だった。王室の血塗られた歴史、貴族たちの処刑シーンなどが蝋人形で再現されている。日本では考えられないことだが、このエグさが大変私の趣味に合った。

病気の流行や自然災害、残忍な事件の数々。こうした暗黒面ばかりこれでもかと表現されると、きれいな顔をして口をぬぐってまで守る日本の「伝統」なんて何ほどのものだろうと思わせられる。

犯罪者の拷問の方法、死刑の方法が細かく知らされ、スタッフの兄ちゃんに角で待ち伏せされて驚かされ、追いかけられ。裁判にかけられるとあの人もこの人も何を言おうが「有罪!」の判決をくだされ。やることなすこと子供じみていて面白かった。場内撮影も自由だが、断頭台の前で記念写真など撮ったらさいご心霊が映っていそうだ。

理想的なことを語ろうとするとき、だからこそおちゃらけたくなるような苦痛がともなう自分を、見えない誰かが、「何やってんだ!」とムチ打つ。意志がなければ理想は守れない、無責任はよくないと自分に言い聞かせ、いいかげん疲れたとき、こんなお化け屋敷が細胞を蘇らせてくれる。

そのリアルすぎる非日常の空間に、悪ふざけの過ぎるどうしようもない自分こそが、もっとも生き生きしているのだという現実をつきつけられ、妙に癒されるのだ。鼻水とよだれをたらし、「だまして悪かったよ」と、ヘラヘラしながら白旗をあげたくなる。

目に見える法律や、添うべき形式があろうがなかろうが、我々が何でも勝手に決めていいわけじゃないという限界を、暗闇の不安の中につかみ取ることで感じる安らぎが、そこにはあるのではないかと思う。できることは自分の足元を見すえて地を踏みしめ歩くことだけなのだ。


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若者を信じる 
2003年の大阪ドームに参戦したあと乗り込んだタクシーで興奮状態の私に、運転手は「ローリング・ストーンズ? それおっちゃんらの年代やん」と言った。私をいくつに見ているのか、明らかに若者として認識されている様子に気を良くしながらも、なおもミック・ジャガーがいかにパワフルであったかなどを熱く語ると、「そら、西洋人は我々とはもう身体がちゃうやろ」とのことだった。

たしかに彼らは草食動物のような日本人とはガタイからして違う。
石造りの街並みが象徴するようなイギリス人の頑強さに比べて日本は、地震を初めとする自然の脅威に常にさらされ翻弄されてきた。しかしそのためか日本人は、打ちのめされる都度ひょろひょろと立ち上がる負けじ魂を身につけた。

種類は違っても、63の老体にムチを入れながら平然とライブを続けるミックジャガーのしぶとさにも同じスピリットは確認でき、日本人に共感と希望を与えてくれる。身体はついていかなくても、その精神を意地でも見習うことは出来るのだ。

それはどんなものだろうか。
たとえば日本の憲法を作ったのは、まだ年若いアメリカ青年たちだったというが、そこには「失われたアメリカ」の自主独立の精神が込められた。この若者特有の青臭さと無茶なまでの理想主義を守るのは、ロックだましいを大切に育んできた大人だからこそできることだ。
彼らは倒れても倒れても、ファイティングポーズで起き上がってくる。

その「意地」は、逆に無常観を際立たせ、周りが見えない不安を吹き払う役割を担う。どんな脅威にもびくともしない、目に見えぬ石造りの頑強さがそのとき静かに再生する。

若者は無茶だから、危なっかしいからと阻害することはできない。差異の確認と否定を経て得られた慈しみで見つめれば、「彼らと私たち」という見えない境界がとっぱらわれた、哀れみではないただの共感へといざなわれる。錯綜する周囲の情報に盲目的に踊らされるのではない、島国の一歩引いた冷静さと、ロックの熱さで彼らを信じるのだ。




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