サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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これであなたも大阪人 
若い頃東京で暮らしてみたことがある。
ある日関西から知人が訪ねてきて、「駅で感動した」と言う。
「ホームで電車を待つのに、東京の人はきっちり整列して待っている、
大阪とはえらい違いだ」と。

たしかに客観的に見て、その形式のあまりの違いに感動する、ということは
ありえる。だけどその知人も東京に住めばきっちり列に並ぶだろう。
どこかのんびりした地方から大阪に出てきても、人の流れに乗るために
急ぎ足にもなるだろう。いつしか、大きなあげのきつねうどんを
立ち食いのカウンターでかっ込み、青信号に変わるまでのたった数分が
待てないせっかちな大阪人になっていくことだろう。

もっとも、そう変わることを許さない意志が
自分のなかで抵抗していれば、のんびりした雰囲気は残るだろうけど。

そこに生きるにはそこでの流派に従う必要がある。
東京流もあれば、大阪流もありだ。
ただホームの雑然とした列に代表される無秩序は、
「はずれ者」を紛れ込みやすくする。
生きるか死ぬかのライブ感覚で生きている者にとっては
あちこちに「さあどうぞ」と言わんばかりの隙があるのだろう。

大阪のダウンタウンは人種のるつぼだ。
彼らがまた独特の文化を形成している。
日本人にしろ外国人にしろ、むしろ「はずれ者」に慣れている者の方が、
これからは生きやすいのかもしれない。
すぐに原点に立ち直ることができるからだ。


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東京あっての大阪 
「負けたモンが勝ち」…その言葉に私は大阪を感じた。
それはきっと東京に対しての大阪、である。
彼らはいつも東京を意識していたのだ。
だから独自の文化もしぶとく発展していった。

アホ、チビ、デブ、ハゲ、ビンボー…大阪発祥のギャグは、
人の弱点を大っぴらにし、丸裸にする。
それも東京に対してのアンチテーゼだったのかもしれない。

弱点をいざ大っぴらに日の下にさらされてみると、
すでにあるもの自体は恥ずかしいことじゃないと気づく。
じゃあ恥ずかしいことって何だ?
本当に恥ずかしいことは他にあるんじゃないかと。

そうやって、大阪は負の役柄を引き受けてきたのだ。
だから本来、大阪が幅をきかせて主流になるのはおかしい。
だからといって最初から「主流を目指していない」というのではウソがある。
目指してなければ意識もしないし、またそうでなければ進歩もないだろう。
もっと発展したい、それはあたりまえだ。
「日陰でいい」なんて目を伏せていたら、だんだんいじけてくるに違いない。

ただ、大阪の文化は「いい人」を目指さなくていいと教えてくれる。
「負けるが勝ち」もありか、と発想の転換をさせてくれる。
いい人を目指したら、空気読みすぎの「いい日本人」になってしまうだけ、
なのかもしれない、じゃあ「悪い人」を目指してみようか、などと。
そうすれば「抜け道」も見えて来るのではないか。

自分は純粋でも何でもないのに、ひたすら純粋さを求める「求道の人」ほど、
実はその方が生きやすいのかもしれない。
なぜなら、それを言うなら「悪」のほうがまだしも純粋だから。
純粋な善など人間にはないから。

「いい人が救われるのに、悪い人が救われない、なんてことがあろうか」と
親鸞も言っていたじゃないか。

役割を認識したとき初めて、「日陰がいい」と思えるのではないだろうか。


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下の息子ももう小2なのだが、親の欲目か、いまだに赤ちゃんのような
顔をしているのだ。彼に意地悪な目を向けることの多い上の子も、
「こうやって寝てるとかわいいねー」なんて親みたいなことを言う。

そうだ、きっと母性本能などありはしない。
あるいは、みんなが持っている。
たとえば「かわいい!」という胸締め付けられる思いは、大人であれ、
子供であれ、男性であれ、日本人であれ、外国人であれ同じように持つし、
普遍的な熱さをともなって、自分の子や、時によその子に対しても感じるものだ。

そんな息子の筆箱を見ると、なんと中の鉛筆がすべて両端ともに
削られているではないか。
「これはなに?」とたずねると、その赤ちゃんキャラにはあまりに似合わない
「びんぼう削り」という言葉が勝ち誇ったように返ってきたので唖然とした。

ビンボーけずり…いったいどこで覚えてくるのか、しかし言いえて妙な言葉だ。
この削り方は、たしかに一見合理的ではあるのだが、すぐにチビてくるために、
手が滑って、かえって使いにくさが生じるのだ。
そこで、真ん中に輪ゴムをぐるぐる巻きにすると、ほらしっかり持てるというわけ。

って、私も妙にくわしいじゃないか。
やっぱり私の子供の頃から伝わっていた削り方なのだ。
昔からそうやってゴムをつけたり、工夫して使っていた。
もっとも、物のない時代ではなかったから、わざとそうしていたのだが、
それを関西流に身も蓋もない名前をつけて嬉々としていたのだろう。
そのうち、もっと小さくなれば、側面を削ってサイコロとして使うこともできるはず。
いつの時代も子供の考えることは同じなのか。
たくましく生き抜く力を秘めた彼らは、どこかでそれを使いたくてうずうずしている。

もうひとつ最近聞いたものに「大阪じゃんけん」というのがある。
子供たちが「おおさかじゃんけん、じゃんけんホイ!」と勢いよく
ジャンケンしているので、勝ったらどうなるのか聞いてみると
たいして意味もなく、ただジャンケンがしたかったということ。

それは普通のジャンケンとどう違うのかたずねると、
「負けたほうが勝ち」という。
プッ、ここがいかにも大阪らしい発想だな、と笑ってしまった。
さて、何がどう大阪らしいのだろうか。


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ご存知ナニワのモーツアルト、キダ・タロー作曲の「アホの坂田」という歌があった。
アホと言われることには慣れている坂田も、フッと素に戻れば
「そんなアホアホ言うの、やめてよ!」と寂しくなったこともあっただろうが、
同じアホの連呼でもこのように、「とーれとーれピーチピチカニ料理ー」と
同じ扱いで、「アホ!アホ!アホのさーかーたー」と、真面目くさった力強い男声
コーラスと大がかりなオーケストラに看板を彩られたら本望だろう。
「やっててよかった」、と思い直したのではないか。
今では舞台などの登場シーンにこの曲をちゃっかり使っているようだ。

ハイヒールモモコに似ているとか、鈴木宗男だとか、いや「ダメオヤジ」だ、
はたまたaikoだと言われてきたところから、坂田の顔というのは日本人に多い
のだと知ったが、いくらでも出てくるそうした人名をこれも「~でございます」と
食いついたら離さないハゼのように舞台で使用する。

そんな彼が、その全盛期、着物姿で高座にすわり、ベーンベン!と落語の
大喜利の真似事をやっていた番組があった。
まず出演者が全員揃って三味線をならすフリをして「ベーンベン」と声をそろえ、
次に「~のようで~でない、ベンベン!」と前フリをしたら、
「それは何かと尋ねたらー」と落ちがつく、目玉のコーナーだった。

坂田が、コメディーNO1の相方である一筋縄ではいかない前田五郎以下の
出演者にことごとく順番を妨害されたりしていじられるのだ。
挙句の果てにみずからエッチなお題をふっては
「あら言われん言われん言われんー」と、落語にしてはあまりに投げやりな
落ちをつけていたのを覚えている。

他には当時アイドル歌手のようなかっこよさだった木村進らと出ていた
「あっちこっち丁稚」や、「モーレツしごき教室」がなつかしい。
「結婚したくてもできない」というのも売りにしていたし、
「イエス、アイドゥー」などの、これも投げやりなネタが持ち味だった。

いや投げやりであれ、どうであれ、要はその言葉をどのシチュエーションや
タイミングで使うか、なのだろう。ダテにアホを名乗っていない坂田は
そうしたタイミングも、いじられ役という役柄も、ちゃんと心得ていた。
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吉本王国をバックにお笑いブームはとどまるところを知らないごとしだが、
そのせいか一般の関西人までが、芸人のように期待に応えようとし、
無理がたたって気の重い人が実際あとをたたないらしい。

だけど大阪人だからといってハジけなければいけないなんてヘンだろう。
柏原よしえがいる、河合奈保子がいる(いつの時代の話だ?)、
彼女たちは大阪を代表するアイドルだったが冗談などついぞ聞かれなかった。
目立ちたいなら浜村淳を見よ!
彼はたとえば「シークレットブーツをはいているらしい」という
まことしやかなウワサひとつで、存在感をアピールしているではないか。

熱心に映画その他を解説はするし、本業は司会(?)なのだろうが
例えば私には「ありがとう、浜村淳です」という決まり文句ひとつでもう何十年、
謎の人物としてお茶の間に定位置を保っているように記憶される。しかし
その「ありがとう、浜村淳です」の一言には幾千語を費やしても追いつかぬ
説得力があるじゃないか。昨日の「三波春夫でございます」と同じだ。

映画の解説といえば、彼は見る前に映画の筋をバラしてしまうことでも
知られるが、筋が知りたくない人は一度で懲りて、次からは浜村の顔が映ったら
「おそろしや」とペタッとお札を貼るようにして、チャンネルを変えればいい。

そんな彼には意外と、「オラオラ(彼はけっしてそんな言い方はしないが)
ボーとしとったラ、スジ言うてまうでー」という、「そのスジの人」が潜んでいる
気もするのだが、顔はどこまでもシラーとしていて、まゆひとつ動かさない
(「言うてまうでー」は「いてまうでー」にも似ているな…)。
俗に言う「しらこいオジサン」とは彼のことだったのだろうか。

しゃべり口調もどこまでも一本調子だ。
「おんち食品」という、うどんのコマーシャルで一言、「あーおんちかった」と
言っていたが全く抑揚がなく、「ありがとう浜村淳です」となんら変わりなかった。
おんちかったって言われても…浜村淳が記憶に残るばかりだ。

彼は関西弁とも何ともつかない不思議ななまりの入った発音をするために
(京都出身らしいのだが?)、その抑揚のなさの中に、ヘンな抑揚だけが
浮き上がってくるという仕組みのアピールをも可能にする。

お笑いで目立たなければならないことはない、印象に残る方法
はいくらでもある、逆に主張のないのも主張だ、その筋の人になるのも一つだ(?)
…いろんなことを、彼はシレーっとして教えてくれるかのようだ。


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「世界の国からこんにちは」だが、三波春夫の民謡調、着流し、
白塗り眉毛くっきりメイクの三つ巴と、そして子供たちというのは
今思うとシュールな組み合わせだ。

「ズビズバー」が口癖のおじいさんと子供たち、に通じるものがあって
ちょっと怖いが(「老人と子供のポルカ」だったか)、はるおが「こんにちはー」と
呼びかければ、子供たちが可愛くもしっかりと、「こんにちはー」と返してくれて、
とりあえずはホッとした(ズビズバーなら、パパパヤーだな)。

さて三波春夫と同じ着流しスタイルをしていた人は他にもいた。
水前寺清子だ。
ここでの「大阪を語る」という、いつからできたかわからないカテゴリー
からは外れるが、少し触れてみよう。

彼女と言えば、山岡久乃がおかあさん役、石坂浩二が恋人役だったという
「さんわやかにー、夢を見てー」が主題歌の「ありがとう」というドラマを
毎週欠かさず見ていたが、歌については、代表作が何なのかさえ自信がない。
「幸せは歩いてこない、だーから歩いていくんだね!」という歌だったはずだ。
これについては、タイトルがすぐには出てこないが、逆に歌は知らないのに、
「水前寺清子と言えば、一本どっこの歌ですね!」と言い切りたくなる、
根拠のない自信がある。
なんだ?一本どっこって。だけどその潔い語感こそが、らしいじゃないか。

歌うときは必ず、へこ帯を腰の辺りまで下げた着流し姿。
その着物にまた、スパーっと未練もなく刈り上げたショートカットがよく似合って。
これはアイドル小泉今日子が似合うショートカットとは似て非なるものだ。
竹を割ったような性格を思わせる、着物の腕をたくしあげてにぎりこぶしを鼻の辺りで
クイクイっとねじっている姿は、小泉今日子にゃ似合わない。
それにしてもこのポーズはどういうときに使えばいいのかな。

さがらなおみとの同性愛がささやかれたのは、この人じゃなかったっけ?
さあ、そうなると疑問はどちらが女?ということだ、と、
「いいじゃないの、幸せならば」と低音で歌うパンタロン姿のさがらを
思い浮かべていると、「いや、やっぱり相手は水前寺じゃない」という
強い確信が襲ってきたが、さがらは二度とひっこんではくれない。

と、そこにピーターが「よると、朝の間にひとりーのわたし」と低音で歌いながら
まぎれこんできたりして、ますますわけがわからなくなってしまった。

いやピーターじゃない、チータだ。
それだけはたしかだ。
これがほんとの三つ巴だ。

…とにかくいなせだったのだ、水前寺清子は。今思えばこんな人も他にいない。



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夢の集大成、大阪万博 
万博と言えば岡本太郎の「太陽の塔」だったり、「コンニチハーコンニチハー」
と着流しで歌う三波春夫が思い浮かぶが、私はまだ5歳だったので実際は
よく覚えていない。母が、「お父さんがすぐに消えてしまう」とボヤいていたのを
記憶しているくらいだ。そう、アメリカ館だの中国館だのと、
一度の来場ではとうてい見きれないほどのたくさんのパビリオンがあって
父はきっと私たちの存在を忘れ、目を輝かせて次々と見て回っていたのだろう。

広島出身の夫もそういう思い出を語っているほどだから、きっと全国の
ちびっ子もそこに集結していて、私たち夫婦も会場ですれ違っていたかもしれない。

その、耳にこびりついたっきり離れない「1970年の、こんにーちはー」は、
吉永小百合や坂本九、あげくには「てなもんや三度笠」までが
歌ったというが、やはり頭の中を何度もめぐるのは、あの歌声以外ありえない。

展示物のなかには現在普及しているものもあるが、してないものも多い。
たとえばサンヨー館では、「人間洗濯機」というのが展示されていたらしい。
さらし首のように顔だけマヌケに出したら、あとは洗濯機が全部洗ってくれ、
乾燥までしてくれるなんて、人間どこまで怠けたら気がすむねん!ってハナシだが
これも普及しそうにない。せいぜい食器洗い乾燥機があるくらいだ。

きっと「テレビ電話」あたりも出ていたのではないか。子供の頃こういうものを
試して、誰もがこうした機械を使う時代はもうすぐそこに迫っているような
気にもなったものだが、どうしてなかなか、その通りには変わらないのだ。
第一、機械が小さくなっていくことはあれ、そんな大きな電話
ウサギ小屋のどこにも置くところはない。だけど誰もが浮かれた気分だった
ので、そんなことはどうでもよかった。

手塚治虫などのマンガで描かれていた近未来と今とを比べても
「待てよ?西暦からすると、もうとっくに過ぎてるはずなのに
話が違うじゃないか」と、大して変わっていないことを思い知らされる。

あのモノレールみたいな車はどこを走っているんだ。
かえって大人たちは揃って昔を懐古しちゃっているじゃないか。

だけど何か「人間はここまで夢が見られる」というスケールを
あのとき見たんじゃないかな、と思う。夢見る力はどこの国の人間も同じ。
そして博覧会は跡形もなく消え、太陽の塔だけが今もそびえている。




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