サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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文化委員をつとめて 
小学校の文化委員で作成した会報が出来上がってきた。
こうした小冊子を、ポイッと捨ててしまう人が多いようだけど
これでも苦労して作っているのだ。

終わりの方の印刷などには携われなかったけど
(本当はそういうことを見ておくべきなのだが)、原稿作成には
少し関わったので楽しみに見た。

私の自筆をそのままさらしたページがあって、内容は先生へのアンケート
などを書き写しただけだけど、周りにチョコチョコとイラストが飾ってあって、
いい感じに仕上がっていて感激した。
こういうの得意な人が、切ったり貼ったりして作っていたな。

こういう日本人の?コワザの見事さ、芸の細かさには感心を通り越して笑ってしまうが、
得意なことって人ぞれぞれで、それをしている人は生き生きしていて
見ているこちらも嬉しくなる。
世の中、みんなが自分の特性を知って生かせたら、もっと幸せになるのかな。

「読書をしよう」というのが、今年度のスローガンだったけど
(しかしバカみたいな標語だな、誰も手を上げないので私が提案したんだけど)
本を読みましょうと押し付けたって、それで本好きになるわけじゃない。
むしろ「誰だって本好きなわけじゃないよね。人それぞれだからいいんだよ」と
わかってあげるほうが、まだしも効果はあると思う。

あるいはその良さを、黙って遠まわしにアピールするとか。
「読み聞かせ」だけじゃないけど、そういう活動を地道にしている人たちもいる。
図書の先生は「子供たちの本を読んでいる目が素敵だ」と語っていた。
それぞれの役割をまっとうしている。

私も子供をなるべく図書館や書店へ連れて行ったり、
とっかかりはマンガでもいいじゃないかと与えたりしている。
何がきっかけになるかわからないし、何か興味をそそられることがあれば、
文献も当たってみようと思うものなのではないか。

それとはまったく別に、活字なら何でもジャンルを問わず
手当たり次第読みたい「本好き」もいるし、
逆に、冗談じゃなく「苦手なんだ!」という人も、思いのほか多いのだから。

本当に人ぞれぞれでだからこそ面白い。
進級にあたって子供たちには、早くどこかに転がっているであろう
自分ならではの好きなことを見つけて欲しいと願うばかりだ。

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大は小をかねない… 
季節の変わり目、娘が軽い喘息を発症したので、背中に貼る薬をもらおうと
病院へ行ったが、何軒回っても閉まっている。
しまった。木曜の午後はどこも休診だった。しばらく行かなかったから忘れてた…

それにしても申し合わせたように同じ曜日に休まなくても…
「内科はどうだ」と、総合病院に駆け込むと、「小児科は診られない」とのこと。
軽い「発作」だと伝えてもらったのが悪かったか、怖がられてしまったようだ。

あぜんとしていると、受付の人が他の病院にも問い合わせてくれた。
やはりどこも内科では診てくれないという。
「隣の市で小児科が一軒あいてますが」と言われたそこは、
以前私が取材に行った所だ。

一軒だけ、木曜日、土曜日も診療しているので、患者がそこに集中して、
先生は「体力的にもきついんです。かかりつけの病院に早めにかかるとか、
協力をお願いしたい」と言っていたっけ…
市の救急体制の不備や小児科の減少などの事情も重なって、
確かに土曜日の夜などは野戦病院さながらで、とても大変そうだった。
医者だって人間だから、こうなると誤診があっても不思議じゃない。

結局、他の総合病院の時間外救急で診てもらうことができたが、
救急車でたらいまわしにされている患者の気分を味わった。
私としてみれば、背中に貼るテープをひとつもらえればいいことで、
内科でも出せるはずだと踏んでいたが、そうはいかないんだろう。

「それぐらい!」とこちらは言いたくなるけれど、思い直せば内科が小児科を診るのは
その逆の小児科が内科を診るように軽くは考えられないこともわかる。

しかしそうした責任問題の根っこには、何かあればすぐ外国のように
訴訟を起こせば済むと反射的に考える人々の増加とか、そうした背景も
いろいろと関わってくるのかもしれない。などと、考えさせられたことだった。




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連ドラじゃなかった! 
「連ドラ鑑賞に挑戦!」などと昨日はりきって書いた番組は
なんと単発もので、昨日のうちに終わってしまった。
主題歌も「サティスファクション」でもなんでもなかった。
じゃあ「めざましテレビ」でBGM流し続けていたのはなんだったんだ
……間違った情報流してごめんなさい。

さてそれでは一応感想などを(聞きたい方はどうぞ)。

そもそも私はよくある「熱血教師」というのは苦手なんだった。
理想に燃えて熱くなって周りを巻き込んで、かえってぶち壊しにしかねない。
でもそういうのではなかったので良かった。

「自分の子だけ朝起こしてくれ」とかいう親の瑣末な要望に言いなりになる
教師はもちろんバカじゃないかと思う。
だけど一人の人間として、いじめは絶対に見過ごすことができなかったり、
行き場のない者をどうにかしてあげたいと、学校の規則とのはざまで揺れる
先生の「困った顔」がこのドラマにはあった。

それは理想を汚されないための、「教師の前に人間」という当たり前のこと。
だけどその当たり前のことさえ、何かで麻痺してしまっていることが問題だ。

印象的なセリフがあった。
いつも自分だけを見つめていてくれる「自分だけのアンタ」の存在は誰でも欲しいが
「それを学校で探そうとするから苦しいんや!」という言葉。
そうだな、ちょっと目線を変えれば、どこにあるかわからない。

このドラマにはアントニオという不登校児まで登場する。
不登校の理由はさまざまだろうけど、家にずっといて遊んでいればいいという問題じゃない。
人間たしかに家にこもっていると、居心地がよくなって、どこかに行くのも面倒になってきたりする。

だけど「家が好き!」なんてのんきに言ってられるのは、学校や会社に縛られていないからで
行くべきところや意識しているところがあれば、それが常に心に引っかかって辛いだろう。
なぜなら人間は社会的動物だから。

担任が家に訪ねてきたとき、隣の部屋からドアを細く開けて一部始終を覗く、
先生は何を話しているんだろうと気になって居ても立ってもいられない
アントニオの姿がそれを表していた。
主題歌は中島みゆきの「一人上手」でも良かったんじゃないだろうか。


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連ドラの宣伝を見た 
昨日の「めざましテレビ」に浜田雅功と広末涼子が出ていて
新ドラマの宣伝してた。
小学校の熱血教師ものらしい。
久しぶりに連続ドラマ鑑賞にでも挑戦してみるか。

たまには子供と同じドラマを見てみるってのも楽しそう。
なんといっても主題歌は「サティスファクション」だし。

それにしても広末涼子、コメントの合間に
申し訳なさそうな泣いたような顔するの、
あれ変な癖付いちゃったんだなー。

自分では気づいてないのだろうか。
「それやめたほうがいいよ」って言いたくて
ムズムズするのはおばちゃんの特徴か。

なんてあれこれ思いながら…
もしいいドラマだったら、または突っ込みどころ満載のドラマだったら
何か書いてみよ(私のことだからさっそく第一回目から見るの忘れそうだけど)。
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育児書のトレンドというか最近よく見かける本を手にとってみた。
「子供の目線に立って」とか「怒ってはいけない叱りなさい」とか書いてある。
だけど毎日接していると目線に立っていられないことばかりだ。

こうした本を見て、怒鳴ってばかりの自分を反省し、寝顔を見て
涙が出そうになり、あやまって、明日はいいお母さんになろうと誓い
次の日からトライアンドエラーをし、
しかし3日目にはまた血管ぶち切れんばかりに怒鳴って、
「1コマ目に戻る」の繰り返しだ。
でもそんなもんじゃないだろうか。

子供の言ったことをもう一度「こう言ったんだよね」と
くりかえして聞いてあげなさいというのも、それをやりやすい子もいれば、
叩かないとわからない子もいる。
分からない子に、そんな悠長なことを言っていられる暇はない。
どうも男性の書く本には現実味がないのではないか。

こんなふうに「子供にはこう接するべき」といえること自体、
現実に世話して育ててない証拠じゃないだろうか。
だから「これは全体を見た発言」と受け止め、視野がせまい自分への
反省材料にすればいいのだ。
実際に手を汚している母親なら、4コママンガしか書けないだろう。
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「どけ!」と言わんばかりに、他の子の使っている遊具を
横から奪っていく子供がいるかと思うと、
「替わってください」とていねいな言葉に、
最大級の威圧感をにじませながら頼む子供もいる。

親のしつけってなんだろう。
おそろしくはきはきした、しっかりとしたご挨拶と、
それをご満悦そうに見ている親に、ただ圧倒されると
「えらいねー」としか言えないけれど、
心はちっとも動かない。
「可愛いなあ」という、もうたまらない心の動きは
かけらも感じられないのだ。

向こうの道路を、ベビーカーを押しているお母さんと、
そのかたわらに幼いお姉ちゃんが歩いているのが見える。
お母さんにつかまってただ無心に一生懸命
ついていこうとするその姿に、
ひとりでに目頭は熱くなる。
数年前の自分をそこに重ねているわけじゃない。
ただ、胸が熱くなるだけ。

あらためて入学式前日の自分の子を見やり、
「大きくなったなあ」と思ってみるけれど、
特別な感慨はない。
きっとあの時代を当事者として精一杯すごしたから
きれいに卒業できたのだろう。
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幼稚園を選ぶとき 
他幼稚園(Bとしよう)に子供を通わせる、口の悪い友人母に貴重な意見をもらったことがある。

うちの子が行っているA幼稚園は、入園前の見学会で園の様子を映したVTRを見せるのだが、それはまるで天国の園の子供たちのような
綺麗なもので、バックにはクラシックが流れている。
これを見て「うっとりとする人はA幼稚園、ケッって思う人は
Bを選ぶよねって話してたのよ」。

認めたくなかったけど、たしかに私はうっとりした。
この違いはどこから来ているんだろう。

「ケッ」というのは、「うさんくさい」という意味じゃないだろうか。
彼女たちは、ちゃんとした言葉にならない何かを感じたのだろう。
子供がこんなに綺麗なわけがないじゃないか、だろうか。
ドロドロのトレーナーを着て、遊びまわっている野放し幼稚園の
方がましだ、だろうか。

Aは制服を着てみんなにこにこして挨拶もしっかりする。
いったいどんな教育をすればああなるのかと見学に行く度
思った。
叱責も直接的な言葉をはかず、諭すようにやさしい。

年長になってしゃべりの達者になった子供から、
いつもの先生は鬼のようにこわいと聞かされた。
クラシックのメロディーと、親の前での笑顔の叱責が
やっと重なった。

上の子が入園した当時の先輩ママたちには教育熱心な人が多く
聖書をまじえた地区の集まりの際にいつも
「ここの幼稚園の付属小学校があればいいのにねー」と
話し合っていた。
他幼稚園の悪ガキにはうちの子は触れさせませんくらいの
勢いに、ちょっぴり違和感を感じつつ、
先生を前に、家での子供の様子をずっこけを交えながら話した。
彼女たちは笑いながらも、ここでの掟をわかっちゃいないようね
という視線を投げかけた。

彼女たちは、「私どもの子供は、いかに家でも素晴らしいか」を
語るのだった。
ああこういうこと言わなきゃいけなかったか。
たしかに子供のいいところを重視してあげようという気持ちは
大切だ。
いいところを認めてあげたら、そこが伸びていく。

でもこれじゃ、幼稚園に対して「本当のこと」が話せない。
「本当のこと」が言えて初めて、節度を持って話したくなるのだ。
本当のことなど、本当は言いたくも聞きたくもないじゃないか。

子供は、みんな神の子。子供に、罪はない。
そうやって保護してくれるのはありがたいけど、それ以上に
あのクラシックのバックミュージックが、いたるところで顔を出した。

「うっとりした私たち」が、B幼稚園の母親より劣っているということじゃない。自分の名にかけても、そこははっきりさせたい。
主流に乗ればBだけど、あえて棹差す者がAを選んだのだ。
Bたちは、たとえば流行に踊らされやすいという弱点を持つ。
他の人のしていることが気になって仕方なくて、
同じことをしていればとりあえず安心といったような。
Aを胡散臭いと思える嗅覚はあるくせに惜しいところだ。

いや、誰でもどこかに弱点はあり、相手の反応に気をつけたり
人の意見も取り入れたりする中で、気付く人は気付く。
だから、自分さえしっかりしていれば、どこに入れようと大丈夫。
のびのび保育でも、管理保育でも、カリキュラム重視でも。

たとえば、「困ったあなたたちに園の方針はわからないだろうから」と、親がのけ者扱いされていた、本当の状況があったとしても、
こっちはこっちで「行事が少ないのはありがたいこと」と
空いた時間を有効に使えばいい。

A幼稚園を下の子がそろそろ卒園する。
6年間お世話になりました。
心からありがとうを言いたい。






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