サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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32歳 一度流産してから出来にくく、あせっていた。
肩の力を抜こうと第2ハネムーンとしゃれこんだら、旅先のタイでヒット。嬉しくてスイミングとエアロビクスを掛け持ちするアクティブ妊婦に。
33歳 第一子出産。念願の母親に。
34歳 マイホームを建て、おしゃれなママたちとランチにお茶でだべる日々。私の求めていたものとは違う気がした。
35歳 転勤で再び京都へ。本当に編集者になりたかったのか、確かめるため大きなお腹で大阪の編集学校へ。やはり違う気がした。
36歳 第二子出産。2人の子供はアレルギー体質。下の子は3歳になるまで夜中も母乳を飲んだ。睡眠不足で育児に忙殺されながら、2,3の雑誌に一度ずつ取材と執筆。それが精一杯。
37歳 子供向けのスケートショーでぬいぐるみの言った台詞に涙ぐむほどの精神状態のある日、ストーンズのコンサートでミック・ジャガーなど見てしまったものだから、もう完全にノックダウン。
38歳 ミックのことを新聞雑誌、映像、書籍でリサーチ。少しずつ書き溜め100枚ほどで出版社に問い合わせてみる。幸運にもテーマに興味を持ってもらい書き進める。
39歳 350枚ほど書いたが結果はボツ。他もあたってみるがダメ。結論を変えたものを、もう一度初めのところへ持ちこんでみると採用に。
40歳 単行本出版。担当者の方とは会ったこともないが、足を向けては寝られないのだ。東京はどっちだっ?


ご覧のように、腰の据わらない流転の人生を送ってきた。ミックを知って彼から志を持つことの大切さを学び、覚醒の方向へ歩み出した。
しかしこんなにもたくさんのことを、今まで私はして来たのだろうか。そんな気がしない。きっと一生「世間知らず」が私の特徴だろう。
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18歳 やる気のないままに、しかし一日とあけず書店やサ店のバイト。プー太郎という発想だけは思いもよらず。頼まれて奥琵琶湖のほとりに住み、漁師の集まる赤提灯で働く。若い女子はめずらしかったようで看板娘に。店をまかすと言われるが約束の半年で去る。
19歳 地道に生きようと思い直し、医療事務の資格を取って単身東京へ。高校中退などこだわらずに雇ってくれた下町の女医さんは今も忘れない。
20歳 勉強がしたいと祖父に相談。熱心に調べてくれ、通信教育部のある佛教大学に決める。資格取得コースに入る。
21歳 働きながら佛大へ入学。東京の別の面を見たくなって向島で芸者のアルバイト。時給がよく、週3回働けば池袋のアパートで食っていけた。
22歳 スクーリング出席を機に再び京都へ。マンモス塾の事務の仕事にありつく。
23歳 名もないブルース歌手のライブに足しげく通う。
24歳 研究所の受付に。研究者との恋と、痛い別れ。
25歳 大学を最短の4年で卒業。ふってわいたように出版社に入らないかとの話が舞い込む。迷ったものの「本好きには面白いかも」と思いきって面接を受ける。
26歳 本好きには面白そうかもなんてのんきだった。本好きなんて呼吸するのと同じ、いやそれ以前の問題。誰一人そんなこと言わない世界。
27歳 最初の2年ははりきっていたが次第にルーティンワークに。広告担当していたので新聞・雑誌社さん、写植屋さんとのおしゃべりなど結構なご身分。上司に「提案はないのか」とどやされる。女性たちをオンナの子として扱う社会のありかたに疑問を抱いていたものの、しょせんは自分も嫁入り前の腰掛けだったことが、のちに判明。
28歳 慶応大学の通信で学ぶ。真夏の東京でスクーリング出席。
29歳 結婚が決まり、相手の転勤先の広島に移ることに。私にとって結婚イコール子供、子供ができたら続けられないと思いこんで仕事、勉強を断念。
30歳 広島で夫の両親、親戚に囲まれた新生活が始まる。
お茶、着付け、日本舞踊、ジャザサイズなど、カルチャー主婦に。
31歳 大手書店でパート。不妊治療ならぬ不妊検査に通う。(その3に続く)



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わたしの激動半生記 
私の半生はちょっと変わっているので紹介したい。
まさしく波乱万丈だ。歩きながら考えるオッチョコチョイだから
体当たりしては小さな傷をつけて転がってきた。

京都市に生まれる。幼少の頃から祖母に溺愛されて育つ。
祖母は幕臣、竹内保徳(初めてヨーロッパに渡ったチョンマゲの日本人)の子孫。
ぜいたくで舶来趣味な茶道の先生。
12歳年下の再婚相手である祖父は、数学の先生。もと軍人。
「甘やかされてはろくなものにならないから、小さいお前を鬼のようにきたえた」。
しかし「ホンマ?あの人はおばあちゃんのいいなりやったで」という声もあり。

12歳 父が保証人になった他人の莫大な借金を背負うことに。
経営していた会社は倒産。夜逃げ同然で、母の実家のある群馬へ。
私はのんきに沢田研二に夢中に。レコードを集め研究。
タイガース時代の18番、ローリングストーンズが初めて覚えた外タレ。
ニーナ研子と芸名さえ名乗るように。「きゃージュリー!」
仲間の情け深くも熱い声援に後押しされ、思わず教壇へ。
家ではピンクレディーを練習。足音忍ばせ帰ってきた母に見つかりあわてる。
13歳 私だけ祖父母の家に預けられるため再び京都へ。祖母の予定していた私立のミッションスクールへの入学間に合わず。
雑草の私にはしょせん縁のないところ。
近くの公立中学へ。そこは偶然にも沢田研二の出身校だった。

14歳 テニスやバスケなど、スポーツに熱中。
15歳 番長のような女の子と仲良くなり、祖父母を不安の底へ。
16歳 高校でもその子と同じクラス。将来を悲観され「素行が悪くなった」と家を追い出される。
父はあっさり「お母さんを助けて働け」。坊ちゃんの父に学歴のない苦労など想像できなかったらしい。番長が退学になるより先に、家庭の事情を理由に退学。真面目な青写真があったのに。
17歳 小さい頃の「孤児院をつくりたい」という夢を思い出し、福祉の道を歩もうかと、なぜか横浜へ。とりあえず看護婦見習をしながら看護学校へ。
住み込んだ外科医院には「当たり屋さん」が多く入院していた。さまざまな現実と理想のギャップを目の当たりにし、また挫折。(その2に続く)



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