サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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つい最近まで頻繁に流れていたイオンのコマーシャル、
なんかひっかかった。
小谷実可子が髪をセットしてセレブレイトスーツを着込んだママ役をして、
「がんばってきたママたちの、ごほうびの日なんですから」とかいうもの。

入学式の日に子供そっちのけではしゃぐママを描いた去年の一本は
夫が「子供が主役じゃないのか」とつぶやいていたが、
そういうことではない。別に誰が主役だっていいじゃないか。

夫のようなことを言う人が多かったから、ではないだろうが
今年のそれは、申し訳なさそうに「いいですよね」と言っている。
誰に言い訳しているのだろう。

「ごほうびの日」というほど、私たちは日頃すごいことをしているとも思えないし、
だからってスーツを着るのにそこまで遠慮することもない。
必要なら買う、それでいいんじゃないだろうか。

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或る発見 
私は関西在住だが、関東地方にはなぜか両親が、しかも別々の県に住んでいて
年に一度、孫をみせにスキー旅行を兼ねて行くことに、ここ数年なっている。
妹とその子供たちも一緒だから、けっこう大所帯だ。

今回の旅行でもいろいろと発見があった。
たとえばそのひとつ、集合写真を撮るとき。
私の父がカメラマンになる場合はこんな感じ。

「写真を撮るときにはなんて言えばいいんだ?」
と聞くから、「はいチーズ、でもバターでも、なんでも…」と答えると、
どう聞き間違えたのか、
「チーズで、バター!」
と言って撮る、その言い方がトボケて妙なので、みんなで笑っていい感じ。

いっぽう、私の母が撮るときはいつも
「みんな笑って。そんなかっこしないでちゃんとして。」と
いきなり強制モード。
納得できない思いで、笑うに笑えない感じ。

意外にも、娘がここで口を開いてくれる。
「お父さんとおんなじー。お父さん、いつも自然なところを撮らないんだもん」。
そうそう。うちの夫と母は、こういうところも、そっくりなのだ。

写真館で記念写真を撮るわけじゃあるまいに、みんなが笑うまで撮らないから、
こちらもいいかげんだれてくる、そんなタイミングで撮られてもなあ
(それにしても日頃はパパと誰より仲良しの娘、本人いないところで
ずいぶんシビアなことを言う。息子など抵抗からか、わざと変な顔して
まともに映ったためしがない)。

笑いの中ならば、そこでたとえ教訓をたれたとしても聞く耳を持つだろう。
しかしこういうことが多いと、心は閉ざされて、独自の世界というシェルターへと、
逃げ込みたくもなる。

そして、母のこういうところがイヤで逃げてきたはずの私は、結婚で
みずから同じようなタイプに縛られに行ったのだった。
みずから「TOKIO」の重装備に縛られた、あわれなジュリーの姿のように(?)。
おもしろいことだ。怖いことだ。ありがたいことだ…



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長という人々 
私はいわゆる「リーダータイプ」ではないので、
そういうものになったこともないが、男でも女でも「長」のつく人や、
それに準じる役割の人というのは、本当にやることが早いなあと思う。

たとえば「私が書きました」と拙著を渡すと、次に会った時には
もう読んでくれている。

この人はミックにもジュリーにも、何の興味もないだろうな、気の毒に、と思いつつ
しっかり渡すのだが、そんな本にも自分なりの楽しみどころを見つけて、わからないままに
全部あっという間に読んでくれている。「読んで興味が湧きました」とか言って。

よく急ぎの用事は忙しい人に頼めとか言うけど、どこにそんな時間が
あるのか、もし時間があれば読んで欲しい程度に思っているのに
すぐに処理?してくれるのだ。いや、しっかり読んだんだな、と思わせる、
ポイントを押さえたコメントつきだったりするので感激してしまう。

きっと時間の使い方が上手いんだろうな。
もちろん私と何らかの関わりがあってこそなんだけど、
だからオサが続けていけるんだろうなと、当たり前だけどそう思う。
ダテにオサやってません!と言われそうだ。
オサ大変そうだなあ。オサじゃなくてよかった…
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正義感の強い人 
「あの人は心の優しい人だった」という表現を聞いた。
人々が抱くその人のイメージがそういうものであるというのは、素晴らしいことだろう。
でも物事には一言で言い表すことがかえって暴力につながることもあるのではないだろうか。

心の優しい人、と一言でいってもそれがたとえば自分にとって都合のいい
優しい人なのか、自分には冷たいけど、もっと大きいところでは優しいのか
わからないところがある。

世間では「正義感の強い人」がもてはやされる傾向にあるらしい。
トレンディーというのだろうか。
だけどたとえば歩道で自転車にのってはいけない、とあれほど言ってもきかない者が
通行人にぶつかったりする事故が相次いで、公にされ、問題になったからといって、
今度は猫も杓子も、歩道に人がいないにもかかわらず車道を走り、
車にひかれるのならもっと危ない。

なのに一面的にそれを推奨して、「私は正義感の強い人間です」と鼻をふくらましている
人がいたらこっけいだ。
「正義感の強い人」が増えることには警戒を感じる。

車の多い狭い道では、規則がどうであろうと歩道を走ることがあってもいいだろう。
逆に人がいたらすぐさま車道に移動する。
そうした臨機応変さ、野生のカンみたいなことの方がずっと大事なんじゃないだろうか。

道路を横断するのに手を上げるのは、規則というよりも
運転手に合図を送っているのだ。
目と目の確認という一瞬のコミュニケーションが自分の命を守ることにつながる。

バスで椅子に座らないのが元気で若者らしいのかもしれないが、車中が混んできたら
突っ立ってないで目の前の椅子に座ってくれたほうが、どれだけ周りのためになるか
わからないのだから。



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なまった身体にカツを入れるのは暖かくなってからでいいと決めていたが
その根性こそが、極寒の時期に叩き直されるべきなのでは、と思い直し
都度利用できるスポーツクラブに電車で出かける。

実は入会手続きはとうの昔に済んでいるのだが、タイムスケジュールが
コロコロ変わるので、時間を間違えたり、その他の手違いが重なって
レッスン参加できたためしがなかったのだった。

平日の午前中だけあって年齢層高めの女性たちが階段にむらがって
チケットを配られるのを待っている(やっとこの段階にたどりつけたのはめでたいこと)。
おしゃべりして楽しそうだなあ。

「いや、ひるんではならない」と気を取り直して、文庫本にひたすら目を落として待つ。
かまびすしい雑談のなかで、自分が小さくなっていくような孤独。
時間がひどく長く感じられる…
しかし私ならこの風景に溶け込めるけど、あのメガネのおじさん勇気あるな。
どうせならレオタード着てきて欲しいところだ。

トレーニングウェアのフロアスタッフが階段の頂上で「チケットを配ります」と
コール。縛りつけられていた心身がパーッと解き放たれたように
足取りも軽く階段を上がり始めた私、ここへきて初めて、
「ん?この列って、本当に合ってるよね?」という疑惑が
おそろしいような悪い予感をともなって、奥のほうから出現した。

私は「ピラティス」というレッスンを受けるつもりで来たはずなのだ。
チケットを受け取る直前、「なんかすごく違う感じ」という予感が
確信に変わろうとしていたのだが、「この列、ピラティスですよねー」と
平静を装って聞いてみた。
「違いますよ、ボディジャムです」。

なんだそれ、どんなジャムだ。
どうやら私はまた前のタイムスケジュールを見て家を飛び出したらしいな。
もういやだ、また帰らなければならないなんて、そんな現実受け入れたくないだろう?
今日はこれに出席するしかないのか…

青い顔で立ち尽くす私に、「けっこう激しいよー」と気さくなおばちゃんが
派手なレオタードで声をかけてくれる。
その言葉に「出席」に傾きかけた足は逆方向の
階段を下りるほうに走り出してしまった。「もっかい聞いてきまーす!」
とすっとんきょうな声を残して。

下まで階段を降りきったとき、「受付で何を聞こうというんだ。
わかりきったこと聞いてどうなるんだ。家に帰るだけじゃないか。
また尻尾巻いて帰るのか?」という、ささやきを聞いた気がして、
重い足取りでもう一度階段を登り始めた。
ここまで来たんだ、もう逃げられやしないだろう?

スタジオが開くまでまだ5分もある。
こんな思いをくりかえしてまで、スポーツクラブなんて通わなくていい!
周囲にはさまざまなトレーニングマシーン。
みな黙々とトレーニングしている。
ザザザと規則正しい音を立てながら横一列でひたすらに歩く人たち。
自分が機械になった気はしないのだろうか。
いや、隣に人がいても自分だけの世界に入ることはできるしな。

「何かやってみますか?」とさっきのスタッフのお姉ちゃんが声をかける。
「いや、やっぱり体力温存しときます」と答えてすみの方に座る。
チケット集めまーす!

それはエクササイズとダンスを掛け合わせた、まあまあ楽しいものだった。
45分を無我夢中で過ごす中で思ったのは、「つらくても、たらたらするよりは
思いっきり踊ったほうが疲れないようだな」ということと、
ダンスでも何でも必要以上な位に思いっきり表現しないと
伝わりにくいこともあるな、ということ。
それにしてもみんな上手い。

最後はもうわけがわからなくなって、阿波踊りを踊っているようになって
死にかけた体をひきずって、ロッカールームに引き上げると
「あれ?! どこ行くの、そっち、男子よ!」とまた違うおばちゃん。ありがとう。
とんちんかんは死んでも直りませんわ…
「さっきから間違えてばかりで」などと、また意味のわからない返答をして
でもやっぱり少しさわやかになって家路に着いたのだった。
当初の邪気は晴れたので、運動もいいですね。



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料理する日常 
主婦のはずせない主な仕事に、毎日のおさんどんがある。
洗濯も、どこかしらの掃除も、基本的には毎日するとしても、
いざとなれば「ほこりで死にはしない」と、あさっての方を向いて
口笛を吹いてもいい。

でも食べるものを食べなければ、それこそ命に関わってくるから、
ここは多少めんどうになっても気合を入れるところだ。

そんな自分を鼓舞させるのに、
昔は料理本を本棚いっぱいに集めたこともあったけど
最近はもっぱらブログで、よく覗くのは2つほど。

写真も美しい食卓を、ただ見ているだけでも癒される。
伝わってくるのは、豊かさだろうか。
豊かさ、といっても単に豪勢というのでなく、ほう、
そういう組み合わせもありなのか、といったことを含む。

結婚当初は、レシピどおりに作っていたこともあった。
2度とは使うこともないだろう、名前も聞いたことないスパイスまで
すべて揃えることもした。
まあそうした失敗は、度重なれば知恵がついてなくなって行くけど
マニュアルどおり作るというのも、無になれて、なかなかいい。
あの頃そうしておいてよかった。

しんどい時には、ウォークマンで音楽を聴きながら、というのも
しばらくやってみた。
夢うつつの中で手だけ動かせば何をしているかわからない
ままに、いつの間にか一品、出来上がってるじゃないか。

だけどそれも最近やめた。
今、自分は何をしているのか、手ごたえを感じながら創るのが
料理の醍醐味だと、ふと思い出したから。

そうすれば鍋の選び方ひとつ、合間の片付け物ひとつからして
違いが出てくる。味もいいことはいうまでもない。

だけど、もしここで、「まー、そんなもの聴いて!」と鬼の首をとったような
お姑さんがいたりすると、表面や形ばかりにこだわることに夢中になる者への
反発が先に立って、この楽しさはわからなかったかもしれない。
自由にいろいろ試せたからこそ、今また
マニュアルに従うのもいいとわかるのだから。

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少女に何が起こったか 
ひよわな現代人、何かあったときのために、ケータイや財布以外にも
どっかにメモを控えておくとか、情報に関してもう一手間かけておくべきだ
と思った。
何かあったときじゃないと思わないのだが、その「何か」が起こったのだ。

なにがあったのか。
家に鍵を置いて出かけたのだ。
そのあと夫が自分の鍵を使って戸締りして出かけた。
2人の子を連れて買い物から戻ると鍵がなくて家に入れない。
カバンの中、衣服の中、車の中、何度も何度も探したが、
やはり忘れて出かけたらしい。
ついでにケータイまでも忘れたか……

夫は休日出勤、夜まで戻らないだろう。
ケータイを忘れたのだから、あらゆる電話番号わからない。
とたんに片言の日本語になる自分がいた。

とりあえず「腹へった」とピーチクパーチクうるさいガキども、もとい子供たちのために
公衆電話もあるコンビニに走る。
このへんも現代人、頼れるものはケータイの次にコンビニだ。
肉まんなどを買って車の中で腹ごなししつつ
控えてきた番号の管理室に電話したのだが、どうにもならないという。
鍵の持ち主は大家さんか。

ひきつづき頭がパッパラパーになってきて、子連れで電車に乗って
夫の会社まで鍵を取りに行こうかという衝動が走った。いや落ち着け。
とりあえずコンビニの小さい駐車場に長居はできないからどこかに移動しよう。

公衆電話のあるところ。
そして何より寒さをしのげるところ。
…よし、次は図書館だ!
だんだんサバイバルを楽しむ心が蘇ってきた。
子供も「こういうのが好き」などと言い出す。

図書館へ行くと駐車場には車が列をなして待っていた…
ここに並ぶ位なら、またスーパーへ行ったほうがいいと、とってかえし
近くの大型スーパーに入る。
2人をゲームコーナーに放牧し、公衆電話の位置を確認。
財布の中に夫の名刺発見、運が向いてきたぞ!

「あいにく今日は留守」というような、会社の留守電の事務的な声にまた絶望したり
次の「お急ぎの方はこちらへ」の声に「よっしゃー!」とガッツポーズしたり。

幸いにも「お急ぎの方は」のところに夫はいた。
かしこまって「~部のナニナニを…」と、名刺を読み上げたら
「いつもお世話になってます。ここにいらっしゃいますよ」と笑いをこらえたような声で
救世主に取り次いでくれた。
途方にくれてさまよっているのだ、と説明すると
夫は、電車に乗ってくるようなバカはしなくていいからと、大家さんの番号を
教えてくれた。うちのすぐ近くに住んでいるという。

なんだ…しっかりしろよ、それぐらい知っておけよ、私。
出かける直前だったという大家を確保、鍵ゲット。
青い鳥はすぐそばにいるものなんだよな、いつも…
家にたどり着くと、どっと疲れが。

今までの行動を振り返り「不幸つづきだったね」という娘に
「いや、これがあったから幸せがわかる」とご教訓がすらすら
口をついて出た。やっと昼食にありつけた彼女は
「わかるよ、こんなにスパゲティーがおいしいと思ったことはなかった。
何にでも感謝したくなる」とこれもスラスラ名セリフを。

この程度を「不幸」とのたまう現代っ子に、こういう
「何かあったとき」ほどの実地教育のチャンスはあろうか。





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