サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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世の中クイズ番組があふれているが、この間は「タイムショック」を見た。
昔よく見ていた、中学の先輩にあたる田宮二郎がゴルゴ13のような顔と、腹に力のある
低音で「ターイムショック」とやるそれは、その堅苦しさ、渋さと、クイズ番組という、
程よくくだけた設定のアンバランスがなかなかいいバランスを生んでいた。
3問しか正解できないと、椅子がくるくる回るのも、見ているほうはおもしろかった。

この間見たのは、椅子がトルネードスピンのように回転する現代版。
ブアーっと白い煙まで噴き出して、これでもか、と怖がらせてくるが、
いや、昔のただシンプルにくるくる回されるほうが、ずっと気分が悪くなって
実際の効果が高かったはずだ。

宮崎美子と、浅木久仁子が、驚異の回答率で才女振りを競っている。
そして最後に勝ち残ったのは宮崎美子。
終始、申し訳なさそうな笑顔だ。

私はこの人がデビューした頃、コマーシャルで見て、その申し訳なさそうな笑顔を
とても可愛く思い、好きだった。
「今の君はピカピカに光ってー」という歌をバックに、大きな胸をゆらして
ジーパンを木陰で脱ぐ。恥ずかしそうなのにしていることが大胆(このCMに出るという)。
「少年ジャンプ」でこの人の特集をやらないかなーなんて思ったものだ
(なんで少年ジャンプなのかよくわからないけど)。

今も一見どこにもいそうな小柄な感じの可愛いおばちゃんになっている美子。
答えが正解するたびに申し訳なさ全開だ。
「神主に女性はなれる?なれない?」という問題には
きっぱりと怒ったように「なれる!」と答えるのにもかかわらず。
まるで女性が正解してはいけないみたいなメッセージに思えてくるじゃないか。

美貌が武器ならそれを使えばいいし、頭がいいのならそれも堂々と
すればいいのに、さてはあの顔、本人意識してないんだな。
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林真理子は実はフェミニストという話を聞いたことがある。
根拠は忘れてしまったが、たしかに通読していた昔のティーン雑誌「ギャルズライフ」の
彼女のエッセイには「私が男の敵を討ってやる!」(?)みたいな威勢のいいノリが見られた。

だけどフェミニストって何だろう?
もしそれが最大公約数的な幸せを願うことだとすれば、
やはり「大多数の」女性にとっては、きれいになることや、結婚をすること
は生きやすいのが事実だから、彼女が大騒ぎして先導してきたことは、
それが少数派をおびやかさないかぎり、いいってことになるのかな。

80年代、林が自らを売り出すために、テレビなどのメディアにチャラチャラと
露出し始めた頃、ビートたけしのトーク番組にゲストで呼ばれていたのを
覚えているが、彼女が何を語ろうと、たけしにはどうでもよく
ひたすらに「ブスだ」「太っている」などといった点にもっていくのだった。

林真理子が嫌いな男を代表するようなたけしには、そこはどうしてもはずせない点だ
ということはわかるが、それを盾に女性をやり込める男性には恥ずかしさを感じた。

しかしそれを受ける林は柳に風といったどこかボンヤリした雰囲気を
ただよわせながら、発言がけっしてネガティブになることなく、
素朴な語りをくりかえしていた。
そこに彼女の魅力は集結しているように見えた。
その番組を見て私は林真理子が好きになったほどだ。

だからその後、彼女がどのように変わろうと、あの姿が原点
という気がしてしまう。

あののらりくらりと攻撃?をかわす姿は、意外にも、語られる野心家のそれではなかった。
そこには「折れない」しなやかさという強さがあった。
あの時の彼女はひたすら無になって、はからずも男性の愚かさをあぶり出す役割を
になっていたのかもしれない。



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彼が小林投手のモノマネでデビューした頃だけが、関西ローカルのタレント
の時期で、それは非常に短いものだった。
「ヤングおー!おー!」という、昔の吉本タレントの登竜門みたいな番組にも
出演していた。ちなみにこの番組で懐かしいのは「ザ・パンダ」だ。
八方、文珍、きん枝、私は小染が好きだった。

さんまは出っ歯なことを除いては整った男前、脂ぎっていない爽やかさ、といった
要素から、当初からアイドル的存在で売り出されていたように思う。
だからトレンディードラマに出ても何の違和感なく、メインのイケ役を演じられる
存在だった。

さすがに最近はドラマではお父さん役を演じるようになったようだが、イメージ的には
いつまでも「お兄ちゃん」なのだろう。この人は男同士の仲間のなかにいるのが
すきそうだが、そうしたグループでも、たけしが「殿」なら、彼はいつまでも「若」なのだ。

そしてここである違いに気がつく。たけしの場合、他のメンバーはみな彼の子分であり、
さんまの場合は、男軍団のメンバーに優劣なく、みな同列だろうということ。
こういうところはジュリーとも共通する。
彼が無意識に男軍団をつくるとき、そこには「対女性」という要素があるかもしれない。

彼は女好きを標榜しながら、誰よりも女嫌いだろうなと思わせる。
女性に対する目がとても冷たいのだ。
だから結婚生活を続けるのも難しかったのかも
(ちなみに、結婚していたときの彼は、「どうしよう」と思うほど
面白くなくなった)。
その点たけしの方が女性への包容力はありそうだ(それがどんな性質のものか
知らないけれど)。さんまは女性を茶化しながらも、顔には「大嫌い」と書いてある。
それでいて生身の男としては女性を求めざるを得ない。

ある意味、一般男性を代表する存在かな。
彼の女性に対する反応を見ていれば、一般的に女のどういうところが
嫌われるのかわかるだろう。
彼はそれを正直に表す人なのかもしれない。
だからってそれを見て学習しようとも思わないけれど。


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彼女たちがブームだったのは、77,78年くらいのものだったと
今になっては思うが、あの頃はたとえば遊園地やプールに出かけると
特設ステージみたいなところに、にわかケーとミーが頭に羽状の飾りをつけた
かっこうで登場していたものだ。私はそこまではやらなかったけど。

レコードも結局は買わなかったのだが、レコード屋はしょっちゅう行っていたので
(買うのはもちろんジュリーのアルバム)、シングルレコードを慣れた手つきで
パラパラとチェックするのはよくやった。

「ペッパー警部」「SOS」の、まんじゅうのような顔が、だんだん細く垢抜けてきて
(休みなどなかったから、プチ整形の必要もなかったか)、妖艶にさえ
なっていく変遷がジャケットで楽しめた。

健康的イメージから、しまいにはセクシーさを前面に出し始め、
化粧が濃くなり、遠いところ(アメリカ)へ行ってしまった彼女たちだが、
もう私はその頃には違うことに熱中していたので詳しくない。

やはり記憶に生々しいのは「スター誕生」でデビューした、やたらとニキビとホクロの
多い、親しみやすいお姉ちゃんが突然大ブレイクして毎日のように
テレビに出ていた頃だ(百恵、ジュリーとともに)。
「明星」「平凡」には彼女たちの特集が別冊子となって付いてきて、
彼女たちの持ち物を抽選で何名様、という企画には、使い古しの歯ブラシ
なんてのもあったのを覚えている。

「紅白歌のベストテン」には、「ウソ発見器」のコーナーがあって、
いろんなタレントがそれにかかっていた(ジュリーはそういうことはしなかったな。
ささやかな抵抗だったのか)。

「ウソ発見器」というのは緊張した人間の生理反応によってグラフが変化して
ウソがわかると一般に言われているものだけど、
ピンクレディーは確か、高校時代にケイがバスケで腰を痛めて、
「それがまだ痛むはずです!」みたいなことだったと思う。

どうでもいいじゃん、と言ってはいけない。
ここで昔話を持ち出されたケイが、泣き崩れんばかりになって
グラフが乱れに乱れ、このコーナーのハイライトが成立するのだから。

しかしケイを見守るミーは、こんなときも相も変わらぬ張り付いたような笑顔で、
ケイの腰よりそっちの方が、私は非常に気になった。
この人だいじょぶか? 笑顔にかくれた感情が不明になってしまわないか。

こんなミーがかかってもグラフに変化はないだろうし、こういう人こそ
アイドルの鑑なのかもしれないけど…


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息子が車を二つ持って、肩を軸にして足を踏ん張り、
コンパスの要領で床を何周もして、白熱のレースを繰り広げている。
その我を忘れのけぞった様子があまりにマヌケなので
思わず娘をつついて2人で笑うと、彼はとたんに動きを止めて
テレビのほうを見て何気ないふり。
恥ずかしいんだ。
こんな小さくて、何が恥ずかしいんだろう。

小さいも大きいもないな。
私もピンクレディーを踊り狂っているとき、親に見られると
とても恥ずかしかったもん。
思い切りよく上げた手は行き場を失い、頭に着地してポリポリかくしかなかった。
早く出てってよ!といいたくなった。

いつも妹をケイにしていた。
私がミーをしたかったから。
どう違ったのだろう、動作の違うところがあった。
ミーの方が動きがダイナミックだった。
彼女は人一倍根性があって辛い顔を見せたことがなく、
いつも満面の笑顔。感情の出やすいケイと対照的。
別にそこまでまねなくてもいい。

ちなみにケイをまねるなら、ちょっとやる気のなさそうに、動作を地味にすることだ。
動きの冴えない、ちゃんと覚えられない妹にはケイが適役だ。
「ペッパー警部」から始まって、
「SOS」「サウスポー」「UFO」「渚のシンドバッド」
「カルメン77」「ウォンテッド」とメドレーで踊れるように練習をつんだ。
都倉俊一作曲のものが好きだったな。
中学に入りたての「モンスター」でやっと卒業した。

出版社の慰安旅行でピンクレディーを久々に踊ってみようと
昼間でも暗い、本の一杯つまった倉庫で密かにリハーサルしたことがある。
親の目を盗んで練習したあの頃のようだった。
一緒に踊る営業部の彼女は、動きに不安があったので
ケイをしてもらった。
そういえば、ちょうど3つ下の妹と同い年なんだなこれが。
3歳のズレってけっこう大きいのか。

ああ、違う、じれったい。
だからそうじゃなくて。
ノーノー! ノォーーォ!
ピンクレディーとなるととたんに人を顎で使う仕切り屋になる私だった。
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宇崎竜堂とその怒り方 
有線放送にリクエストしたのは、あとにも先にもたった1回きりだ。
18のとき勤めていた居酒屋の公衆電話から、もう何度も何度も
とりつかれたようにリクエストしたのは、ダウンタウンブギウギバンドの
「沖縄ベイブルース」だった。

ブルージーでも落ち込まない、からっとした明るく軽いメロディー。
青く高い沖縄の空のよう。
なんといっても宇崎竜堂の野太い声に、肉体労働しているお兄ちゃんに
力づくで手をひっぱられて走るような爽快感があった。

それですぐさまベスト版を取り寄せ、「身も心も」とか「涙のシークレットラブ」、
「知らず知らずのうちに」など、ヘビーローテーションで聴いた。

小学生の頃なら、港のヨーコやカッコマン、スモーキングブギの、
つなぎにリーゼントのイメージしかなかったが、
こんな心にしみる歌をたくさん持っていたなんて。

だけど、キャラ的には、彼や泉谷しげるのような荒々しさ、野太さは
声だけでかんべん、といった感じだった。
たとえばジュリーのようなサラッとしたシャープな冷たさがない。

テレビ番組などでもそんな暑苦しさを彼はよく見せていた。
ジュリーの暑苦しさとはまた違う、一過性だが雷オヤジのような、
周囲を顧慮しない、きめの粗い怒りっぽさがちょっと苦手だった。

きっとジュリーの方が女性的なんだろう。
宇崎の怒り方にはそんな繊細さが欠けている感じ。

何かの番組で一世風靡のメンバーの一人に腹を立てた宇崎が
しつこく「出来ない奴」呼ばわりしていたのには少し引いた。
たしかに怒られても仕方ない状況だったけど。

ジュリーも怒りんぼだけど、あんなにアカラサマじゃなかったよな。
まあ、それって「陰気」ってやつかもしれない
(実際そんな人に怒られたら、ネチネチとヘビみたいで、
もっといやだろうな、どっちもどっちだ)。

などと、怒り方さえもちょっとした好みはあって、それがその後彼らの音楽を
聴こうとするか否かにも関わってくるほどデリケートな点だと気づいたのだった。
あんまりバラエティーに露出するのも夢が壊れたりするんだな。
神話系ミュージシャンは、だから出ないってところもあるのだろうか。
時々は出て、適度に夢を壊して欲しい。



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中村久子という人 
過去に泣けた番組をもうひとつ。
「知ってるつもり?」という番組があったのを覚えているだろうか。
白髪の塊のようなメッシュのはいった、ソツなさ過ぎ?の司会者関口宏に
コメントもぼっちゃんめいた加山雄三らがわきをかためていた。

さまざまな分野の有名人、といってもやはり芸能人が多かったが
一人ひとりにスポットをあてて、その生涯をドキュメンタリータッチで描くもの。
そのなかでもっとも感銘を受けた人は中村久子という芸人だった。

幼いときに凍傷で両手両足を失って、だるま状態になった人。
しかしその一生を鑑賞した後、さわやかな風が吹いた。

どんな偉人もタレントも、人間の生涯というのはひとつの「悲劇」といえそうだ、
という感想を持っていたところに、彼女のそれは唯一明るい印象だったのだ。

彼女の若い頃は苦労の連続で、母の再婚相手の身売りした見世物小屋に
興行芸人として出演することしか生きる術がなかったという。
まさに手も足も出ない状態で、裁縫などの手芸をして、人々を喜ばせていたのだ。

彼女は人々を勇気づけたい思いから、そこを足場に全国行脚しさまざまな
活動をして、障害者ひいては健常者に尽くした。
そんな彼女を生涯支えた親友は、もっと重度の、死ぬまで寝たきりの生活を
強いられていたという。

活躍の場を広げたにも関わらず彼女はその後も
「私の帰る場所はここだ」と、見世物小屋に戻ったというのだ。
もう涙が止まらなかった。
そしてその時さわやかな風が吹いたのだ。人々の前で芸をする彼女は
していることは同じでも、円を書くように一周してみずからそれをしたい思いで、
舞台に立っている。それは若い頃のつらい気持ちとは、まったく違うんだろうなと。

彼女が口で縫った人形を贈ったヘレンケラーは来日の際、それを涙で受け取り
「私より不幸な人、でも私より偉大な人」などと称えた。

中村久子の座右の銘は、「人生に絶望なし」、だったかと思う。



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