サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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紙と絹 
曽祖父の師匠でもあったという竹内栖鳳が、画を描くとき
紙を使うか絹を使うかで違いがあると、こんな風に語ったそうだ。
「紙にはすんなりと描けるが、絹に描くのは難しい。絹は
抵抗するからだ。しかし私は絹を好む。新しい発見があるし、
保存もきくからだ」。

絹には骨があり、節操があるということではないだろうか。
御しやすい紙は、いざという時は頼りにならないことを
使う者である「主人」にも見破られてしまうのだ。

「主」に従うということは、あくまで自分の目で見て、
頭で考えて、足で立って、初めてできること。

これは日本の伝統である、武士道精神にほかならない。


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私の初めての著書は期せずして、ミック・ジャガーと、武士と、キリスト教を掛け合わせることで生まれた。プロテスタント教会には書き始める2年前から出入りしていたものの、武士については、それまで興味も知識もさほどなく、なぜこうした発想が出てきたのか、どこでどうロックスターと結びついたのか、なにより本にまでなったのか不思議だった。
その後、プロテスタンティズムと武士道ということを言っていた内村鑑三という人がいたことに気づいた。また彼の一族と、母方の祖母の一族と、同じ町内に住んでいたということを最近知り、おこがましくも何かあるのかと思った。
祖母の祖父は高崎藩士だったが、明治維新の武士解体で、東京に出て人力車の商売を始めたという。
そして、車を人に全部持って行かれてしまったという。
お役ご免となった没落武士のブルースがひしひしと伝わってくる。

高崎公園に内村鑑三のこんな碑があるらしい。
上州人は無智無才、剛毅朴訥でだまされやすいが、ただ正直をもって万人に接し、至誠神によって勝利を期す

京都に嫁ぎ、今はまた高崎で一人静かに暮らす母を時々訪ねるが、
今度行ったらこの碑を見てみたいと思う。
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役者と責任 
世の中には無責任極まりない人もいれば、必要以上に責任をかぶりたがるような人もいる。いい人は心を病むなどと言われるが、ことは単純なものではない。しかし責任の所在ということをあえて簡素に解釈しようとするとき、能舞台にのぞむ役者のあるエピソードに思い至る。
戦のない時世にあった武士が自ら舞ったという能。
彼らは戦へのエネルギーを、自らへの挑戦に置き換えた。
能には武士の美学が反映されている。

本番前、舞台衣装を身にまといながら、彼らはまさしく責任の所在についてやりとりするのだ。
美術工芸の粋をこらした、ずっしりとした衣装の重みはすべて、最後にしめる一本のひもにかかっている。和服とはそうしたものだ。
最後のひとしめをする直前、衣装係は役者に聞く。
是か非かを。
是といえば最後、責任はすべて役者のものだ。
演じるうちにどんなアクシデントがあろうと最後までやりとおさねばならず、もし中断するようなことがあれば、役者は切腹をしたそうだ。
本当の責任とは命をかけるほどの重みをもって扱うもののようだ。
軽々しく考えないほうがいいのかもしれない。
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武士はどこにいるのか 
夜、2人の子供の寝顔に注意深くキスをしながら、ふと自分を遠くから見つめるあの目が介入してきた。
この状態は、一体なんだろう?と。
守るものが多すぎる。
私はこんなに遠くまで来てしまった。
常に、いつでもゼロに戻れるという水面のように静かな気持ちを持ちつつも。
これはちょっと、武士の気分かもしれない。
武士とは何かを守る人だ。
女であってもできる。
たとえば、たいくつな日常を守るための、非日常。
非日常とは家の中でも出来る、ちょっとした「知恵」だ。
決まりごとにとらわれないということ。

志や信念を守るための、異質な者への寄り添い。
それを心からできることが、愛するということ。
人間には難しいが、やってみる価値はある。

秩序や伝統を守るための、現実との戦い。

これらは、いつでも死ねる覚悟をしながら生きていく、武士の姿に通じる。
そう思うと、現代社会にも武士はたくさんいるのだ。
一般に言われるのとは違う、神に哀れみを受ける、本当の弱者だ。
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今春、ミック・ジャガーこそがサムライであるという趣旨の本を
書いた。特別武士道について学んだわけでもないが、彼のファンになり
その生き方を検証していくうち、直観的に彼には「武士道精神」があると感じ、裏付け作業をしたというわけだ。
サムライが日本人でなければならない事はない
という主張も含まれている。
というか、いいものは、そのまま世界のものだ。
だいたい日本に今武士はいないし、昔だって一握りの存在だったはず。日本人だからサムライだと言って世界に向けてわけもわからず騒ぐのを、わけのわかった外国人はどう見ているのだろう。
私もせめて、もう少し武士道を知ってから発言するならしてみたい。
そうした意味で、サッカーの日本選手団のチーム名もやめて欲しかった。
何がサムライで何がブルーなのか、つけた人の事情はわからないが、
サッカー選手だから、どうしてサムライなのか?
それにかこつけた「日本人でござい」という変なカッコのサポーターが
増えることは予測できたと思うのだけれど。




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