サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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ニーチェの「アフォリズム」(アホリズムではない)は、
聖書で言えば「箴言」のような表現法で、説明抜きで物事の
断片だけを取り出し、口調は断定的ではあっても断定しておらず
受け手がどうにでも解釈できるのが特徴だ。

昨日書いた「王を殺す」などの物騒な言葉もそうだが、
解釈は私たちに任されている。
私たちの行動自身を、期待しているかのようだ。
憂いてばかりでは、ニヒリズムを超えられない。
あくまでちっぽけな自分だが、それでも出来ることはあるはず。

どうにでも解釈できる表現というのは、フェアじゃないともいえるが
ニーチェにとっては、物事の背後にある様々な状況を切り捨てて
説明するほうがアンフェアだということだろう。

音楽の歌詞や、映画などのセリフにも、
アフォリズムはみられる。

13歳の時だったか、沢田研二主演の映画「太陽を盗んだ男」
を見た。しがない理科教師が現状への不満からか、プルトニウム
を盗み、原爆を作り始める。作っていく過程もとても興味深かったが、
さて完成したそれを厳重に保管したあと、これをどうしようか
と考え込む。

彼は「原爆を持っている」ことをたてに、
様々な要求を面白半分に繰り返す。
しかし彼には、その場しのぎの発想しか浮かばない。
野球の中継が局の都合で良いところで打ち切られるのは許せないとか、
当時まだ実現していなかったローリング・ストーンズを日本に
呼べとか(これは素晴らしい)、原爆を持っていると言えば
政府も思い通りに出来て、大衆の反応も愉快で(主人公がばらまいた
金を必死で拾い集めるなど)、だけど何か空しい。

映画「タクシー・ドライバー」の主人公を彷彿とさせるような
悪運の強さで、最後までつかまらずに逃げおおせた自分は
何のために生きているのか。
と、そう思ったかどうかはアフォリズムなのでわからないが、
彼のなかにおそらく残ったのは、彼の憧れた、修学旅行の
バスジャック事件で出会った警部、自分を捕まえようとして
死んだ警部の、身体を張った仕事への姿勢、
命をかけた任務の遂行が、結果として人助けまでしてしまう
という事実なのではないか。

真剣に対してのみ、真剣で応じるという、生の尊重に比べて、
自分は生きながらえてはいても、死んでいるのだという実感。

長谷川和彦監督?は何を言いたかったんだろう。
原爆を持ったところで、それを脅しにしか使えない、
自分の目先の利益にしか発想がいかない人間の弱さだろうか。


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マーティン・スコセッシ監督のアメリカ映画。
ここでのキリストは、まったくの人間として描かれている。
まず、なんといっても愚痴っぽい。

「私の仕事は神に仕えることだけだ。でも、神の御心は
私を突き落とすことなんだよ」
「正しいことをするのは本心からじゃないんだ、
こわいからだよ。あらゆることに逆らいたいのもこわいからだ」
あげくに「私の神は恐怖だ」とさえ言う。

この不満に耐えている姿、そして何かというとムチでうたれたり、
女にののしられてみたり、散々な目にあおうとするのを見ると、
キリストは単なるマゾヒストかと思えてくる。

それにしてもマゾという人々は、身体に制裁を加えられて
本当に嬉しいのだろうか。
そんなはずはない。やはり痛いものは痛いだろう。

もしかして、自分の痛みというリアルに変換しないと
人の痛みがわかりにくい人種なのだろうか。
そんな彼らを仮に男と名づければ、
実はあなたにも私にも、男は存在するのだろう。

腰に鋲のベルトを巻かれ、頭にいばらの冠をかぶせられ、
手足に釘を打たれ、血を流しながら
真っ裸のあられもない姿で、みんなの前にさらされる。
そんな辱めを受けて初めて「神よ彼らをお許しください」と、
愛の言葉が口をつく。

冒頭の愚痴ばかりの自分中心の世界から初めて脱却できて、
祝福するべきなのかもしれない。

しかし、この期に及んでも
「神よどうしてあなたは私を十字架につけた?」と嘆き、
おまえは神だなんて、こっちは迷惑してるんだといわんばかりの
迷えるキリストを、天使が誘惑する。
(この映画では、彼女は実は悪魔だと後で判明する)

「あなたはいけにえでも救世主でもないのよ。夢だったの。
あなたが変われば本当の美が見えるのよ」

キリストはマグダラのマリアと結婚し、子をもうけ、
そして開き直る。
「私はマリアとヨセフの子で、神を説いた平凡な男だ。
家族を持って初めて、人生を楽しんでいる」。

かつては革命を説いて回っていた彼の「堕落」を
弟子たちは裏切りとみなす。

パウロは言う。
「ただの人間になったあんたのためになんか、誰も死なないよ。
それじゃ不幸な人は救えない。
人々は神を欲している。
キリストのため、死ぬことさえ幸せだと思わせるんだ。
人々の信仰から、真実をつくるんだよ」

信仰の必要性に気づいた、抜け目のないパウロのでっちあげで、
「キリスト教」は生まれたということもできる。

次に目が覚めたとき、キリストはまだ十字架にかかっていた。
こっちが夢だったのか?
彼は叫ぶ、
「神よ、あなたの息子になることを拒否してごめんなさい。
人々を救いたいので、よみがえります!」

死刑判決を受けたフセインは「アラーの神は偉大なり!」と
叫んだ。
男は、マンは、人間は、何か崇高なもののために死にたいのだ。
日本のヤクザ映画を例にとろう。
兄貴!と叫ぶその目に一点の曇りもない。
彼らは誰かに惚れ込むと、もう耳を貸さない。
女は冷めたことばっかり言ってしらけるんだよな。
もうちょっと黙っててくれよ。
俺は兄貴を支持してどこまでもついていくんだ。

兄貴がずるい人だったらどうするんだ。
「神が裁く」といいながら、自分たちの権力や勲章のために
都合よく戦わされたらどうするんだ。
それこそ犠牲者じゃないか。

だからといってキリストをまったくの人間にしてしまって
いいのだろうか。
いいはずがない。
それは人間の思い上がりだ。
絶対的なものに対して恐れおののく心をなくしたら、
何でもありになってしまう。
本当の神の否定もまた、悪魔に誘惑されてしまうのだ。

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俺たちに明日はない 
破滅の象徴、ボニーとクライド。
アメリカンニューシネマの代表作だ。
「みんなを驚かすんだ」
心の奥底の衝動を、なだめすかして生きていくのが大人なら
それを実際に行動にうつす「やっちまった2人」の物語。

そんな彼らは憎めない気の小ささを持つ。
銀行強盗をして逃げ回る道中、たった一人を殺してしまったことが
頭から離れない。
それに比べて一般市民はどうだ。
彼らを迎え撃ち、いきなり斧で切りかかろうとする。
死ぬじゃないか!
悪党は虫けらのように死んでよしという価値観があらわになる。
ニコニコしてても腹の中はなに考えてるかわかったもんじゃない。

ずるい手口で二人をだまし、警察に連絡する。
その用意周到さ、あざとさ。
警察やメディアがまた、輪をかけて汚い。
ボニーとクライドの純粋さだけが、浮き彫りになってくる。

反体制やアウトローは純粋だという図式がある。
昔ヤクザの友達がいたが、彼などもある部分突出して純粋だった。
それに一本気がプラスされるとあーなるんだなと解釈できた。

2人が殺される直前に、この映画のロマンとエロスは集約される。
鳥が飛び立ち、一瞬見つめあうところだ。
この一瞬のためにすべてを投げ打ってもいいと、
ロマンチストという人種は本気で思う。
そんな2人の思いはひとつだ。
犯しがたい永遠性がそこにある。

銃弾をあびるシーンは何度見てもショッキングだ。
死のダンスは、こっけいなほどの人間の無力さを表現する。

そして映画はひとつのメッセージをつきつけてくる。
純粋なものはこうやってつぶされるのだ。
自由や解放は、こんな目に合わされるのだ。
ひどいと思わないか?

反対を受けるものは美しい、
こてんぱんにやっつけられるものこそ正しい、
そんな考えを植えつける。

だけどそうだろうか。
本当にやめた方がいいことだってあるじゃないか。

「私ってメゲない人ですから、反対されるほど燃えるんです」
「私って積極的だから何回断られても頑張るんですー」
と善意を押し付けてくるのと同じ、痛さと無理がある。
誰にヨシヨシしてもらいたいんだろう。
自分がそれをしていない保証もないけれど。

若者はある意味純粋だ。
誰も悪気なんてない、それはわかっている。
だからって別にえらくもない。
純粋さを持ち上げられることは拒否しよう。













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黒人グループが白人一人をいたぶっているシーンがあった。
実態はこうだと、主人公は叫ぶ。
黒人の方が幅を利かせているんだと。
なるほど、一般に伝えられていることと現実は違う。
世の中こういうことは多いだろう。
「すべて問題は奴らが起こすんだ」
自分より劣っているとみなした者たちにいたぶられて
「このみにくいアヒルの子らめが」と思うのかもしれない。

ましてや主人公は、父親を黒人に殺された。
怒りに燃え、白人至上主義のリーダーとなった。
「落ちこぼれたちを扱って、どでかいことを一発かませ!」

うまく扱われる落ちこぼれとは、たとえば仲間の
白いおでぶさんだろうか。
アメリカ人の飽食の果ての姿が、彼だ。

グループは主張する。
「白人のプロテスタント以外は足をひっぱる寄生虫」
「ユダヤの仲良し運動くそくらえ」
「差別撤廃運動きれいごと」
「敵味方ごっこが楽しい」

差別社会であるために、逆に勤勉で有能なアメリカ人は不当に
扱われ、黒人や不法入国者はヌクヌク暮らしていると、カリスマ・
リーダーの主人公は演説する。
自己の運命を切り開く権利を奪われたのはこっちのほうだと。

だからって黒人を追い詰めたらどうなるだろう。
追い詰められたものの暴走した姿が北朝鮮だ。
悪事の根本に自分たちも加担していることを忘れ
表面だけを見て騒ぐ。叩いて潰す。
叩いたら気持ちいいだろう。日頃の欲求不満解消だ。
だからこういうことは無くならない。

追い詰めるものの正体は、自分たち自身の貧しさやふがいなさだ。
主人公は、冷静に自分を分析できている。
でもそれは通常の姿。狂気はしまいこまれている。
切れると理性はふっとび、憎しみだけが一人歩きする。

彼はどんな風に残忍になったか。
自分の車を盗んだ黒人をはいつくばらせ、
道路の縁石を口でかませ、ブーツを履いた足で思い切り
上から踏んづけた。
首の骨の折れる音がし、黒人は死んだ。

聖なる処刑に満足そうな笑みを見せ彼は逮捕されていく。
弟に、「あとは頼んだぜ」とでもいった合図を残して。

弟は、兄のすることはすべて正しいと
盲目的に付き従って生きてきた。
彼はバリバリのネオナチとなり、グループをまとめる。

ところが出所した兄は、憑き物が落ちたように変わっていた。
彼は刑務所暮らしを回想する。

ここでは、黒人のほうが偉い。白人の同士が欲しい。
しかし白人たちはヒスパニックグループとつるんで
ドラッグに手を染めている「ポリシーのかけらもない奴ら」だった。
彼らを軽蔑の目で見る主人公の態度に敏感に反応した白人たちは
「お前の説教はたくさんだ」と集団リンチで主人公にオカマをほる。

ひそかに助けてくれていたのが、やたらとオモロい黒人。
テレビを盗んで捕まったのだという。
二人は仲良くなり、黒人の言葉に主人公は様々なことを悟って
「先に」出所する。

怒りや偏見は無意味だ。
思えば初めは偏見などなかったのだ。
しかし父の言葉が俺を洗脳していった。
「差別運動が目に余るなあ」「平等の世界なんてたわごとだ」
「優秀な人間と働きたいよ」「奴らは黒人だからという理由で
アホなのに採用されたんだ」・・・

態度や思想は親から子へと連鎖していく。気がつくと親と
同じことを話しているのだ。

「俺は目が覚めてラッキーだったよ」。
兄のそんな説得を受け、弟はレポートをしたためる。
「怒りに任せるには、人生は短すぎる」
レポートを持って向かった学校のトイレで弟は無残に殺される。
グループにとって無責任な裏切り者である、兄のまいた種もろともに。
血まみれになった弟は、我々に何を伝えてくれるのか。





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3日ほど前テレビで「たかを育てる少年」をテーマにしたヒューマンドキュメンタリーをちらっと見た。ハンディのある少年が、様々な出来事を経ながら育てたタカをいよいよ空に放つ日が来た。
大勢の見物人がいっせいに拍手をし抱き合う。

一緒に見ていた夫が「タカは死んでしまうだろうな。これだけ保護してから放しても生きていけないよ」と言う。
ふと「この人たちアメリカ人?」と聞いてみた。
「そうだ」。
ああ、またやってるな。
まったくどっちが解放だかわかったもんじゃないぜ。

つい先日遅れ馳せながら見た映画とリンクした。
75年のアカデミー賞受賞作品「カッコーの巣の上で」
犯罪者で「自由人」の主人公が、刑務所労働のいやさから精神病院に逃げ込む。そこで出会ったのは、外界との接触を自ら絶った患者たち。
彼らを強制収容とみなした主人公は、「そんなことではいけない」と
スポーツや釣り、乱痴気騒ぎなどを教える。
次第に「自由」の味を知った患者たちは、現実に踏みとどまることをしなくなり、やみくもに暴走し始める。それは破滅への道だった。
たとえば女とひとときの至福を経験した後、冷徹な管理者である看護婦に「お母さんに言いつけますよ」と言われ自殺した患者。彼などはどちらが幸せだったのだろう。彼はママがわりのうるさい看護婦に、もはや安らぎを覚えていたのかも知れないじゃないか。彼は毎日の室内ゲームに楽しそうに興じていた。彼の世界はそこにあったかもしれないのだ。
主人公はそんなものは退屈だった。しかし誰もがみな、自分と同じボヘミアンだと思ったら大間違いだ。
それに、人にはそれぞれ生きるペースという権利がある。
それをまるっきり無視する横暴には首をかしげざるを得ない。

主人公は病院から危険人物とされ植物人間にされてしまう。
しかし彼に共感していた一人のスパイがいた。
彼はインディアンとして白人から差別を受けてきた過去から、人と話をすることをやめていた。この映画で救われた人物がいるとすれば、ただ一人、「抵抗したらバカをみる」と、従順に生きることを選んできた彼だろう。彼は「お前一人ここに置いておけない」と主人公を殺害し、自分は病院を脱出していく。
外の世界への出口である窓ガラスの割れる派手な音は、「私をつかまえてくれ」と言っているように聞こえた。

ちなみにカッコーに巣などない。他の鳥の巣に卵を押し込んで子育てさせるのだ。まさしく無責任の象徴とはいえないだろうか。

反体制とはそんなものじゃないはずだ。



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