サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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この前久しぶりに会った知人が、このブログで「不妊検査について」語ったところを
熱心に読んだ、という。記憶はないが「ブログを見てね」と私は彼女に言ったらしい…
そしてミックやジュリー以外のそんな記事が注目されていたのも意外だった。

確かに彼女は結婚して3年以上にはなると思うがまだ子供がいず、
ひそかに検査も考えているらしい。でも私のような「なにがなんでも」という
がむしゃらさには欠けているようで、欲しい割にはのんきに構えているようにも見える。

まあ私のように1年できなかったからといって青くなって不妊検査を趣味のように
するというのも、強迫的でかえってできにくくする一因だったりもする。
「こればっかりは努力次第というわけに行かない」という声も多い。

だけどこればっかりは性格だから仕方ないとも言える。
私は不妊検査に通うというアクションを起こしていれば落ち着いたのだろう。
それでもある病院に出向いたとき、そんな考えも一変した。

そこは昔から不妊治療を看板をかかげており、実績も出しているから
自負もあるのだろう、とっても態度が横柄だった。
たくさんの患者(患者ではないのだが)でごったがえす待合室に、
院長の「呼び出し」が放送される。

「何番、何番、何番、何番!」と。
呼ばれた患者はそそくさと立ち上がり、軍隊の行進のように診察室に入る。
この待合室が通夜のように静まり返っている原因が分かった。
耳をすましていないと、自分の番号は即座に通り過ぎ、2度と戻ってはこない。
そして「聞いてませんでした」なんていおうものなら、おそらくひどい目に遭うのだろう。
そのプレッシャーで、ただでさえ華やぎのない待合室に陰気なムードが重くたちこめる。
この空気だけで、できるものもできなくなると確信するほど。

だけど何番、何番なんて、番号のシールをはられた豚じゃあるまいし。
その言い方にはひとかけらの「すみません、迅速にするための決まりなのです」という
申し訳なさみたいなものはない。
「えらそー」という一言でしか言い表せない。
そりゃ、そのあとのベルトコンベアーのような検査の仕方であっても、
実際たくさんの子供が授かっているのだからえらいのだろう。
(これだけ人数がいるのだから当然ということもいえるが)
だけど子供ができないからって何も卑屈になることはない。
ドナドナドーナードーナーと荷馬車に揺られていく牛じゃないんだから。

しかし患者は変な質問だからと医者に叱られ、「子供欲しいんだろー」と
にんじんをぶらさげられるような、「治療してやっている」という態度を
取られ、だんだんと「私は欠陥人間」みたいな気持ちにもなる。
そんな思いで痛いホルモン注射に耐え身体の不調に苦しみながら
何年も通っている人も多いのだろう。
私たちの世代は「手に入らない」のが当たり前ではないから、
「おかしい、こんなはずじゃない」という思いが、よけいに執着を生むこともあるだろう。

私は、誰が聞いても普通の質問だとあとで気づくようなことを聞かれても
屈辱的に受け止めてしまうようになり、これはイヤだとすぐにその病院をやめて、
気分転換に行った旅行先で授かった。
私の場合はそうした心機一転が良かったのかもしれない。


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私のなかの男と女 
ファースト・キスという言葉は、まだ生きているのだろうか。
誰とするかは、特にこだわってはいなかったのだが、
中学時代、妙に鼻息の荒い女の子に、抱きつかれてされた。
「奪ったー!」とすごいはしゃぎようだった。

今思うと色々大胆に迫られていたのだろう。
おふざけを交えながらも目がマジだった。
腰に手をまわしてくれとせがまれて、町を歩いた。
なぜ大人しく従ってしまったのか、誘導が上手だったとしか思えない。
背もそれほど違わない女子中学生が、かなりかっこ悪かっただろう。

でも私はそのディープな状況下で、
すっかり男の気分になっていたのだ。
その子を車から守ってあげたい。
甘い女の匂いを肌で感じ、押し倒して犯すこともいとわない気分に。

もちろん私は男の子が好きだった。
意中の人の前では、花も恥らう乙女になった。
今度は身も心も女性だ。
たくましい腕によりかかりたい。

これは何だろう。
私のなかに男性と女性がいて、自由自在に顔を出す。

だけどそれは、みんなそうだろう。
同性愛なんてあって当然だ。
だからどうというわけでもないが、
こういうことも一応踏まえておいたほうがいい。
気づかずに自分を抑圧していることもあるから。
抑圧のなかでこそ燃える恋となると、もう趣味の範疇だけど。
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以前は夫とけんかするとあるものでいやされていた。
ばつの悪い思いを抱え送り出した翌朝ひらく本だ。
著者たちはいっせいに「妻が悪い」と言ってくれる。
あなたが悪いと。
「宮仕えのすまじさを知らずにぜいたく言うな」
「女が我慢すればかわいい奴だと思われてうまくいくのだ」
前後の脈略やニュアンスも無視して「ああやっぱり」と
思えるものをピックアップして満足している。

その種のマゾヒズムはたとえば宗教の信者獲得に
なくてはならぬものだ。
でもそれで罪悪感をますます強くした挙句
一時的な安心と引き換えに
結果的に女性の慈愛心がカラカラにひからび
ひそかに人の不幸を喜びとするような悪循環が生まれたとしても
そんなこと誰も責任とってくれない。

主婦など何でもまず「家族に相談してから」と言う人がいる。
たとえば資格を取るとか、勉強をする程度のことでもだ。
家計や家事、育児のことも自分なりに考慮に入れて、
それでもしたいこと。それが相談してだめだったら
自分を抑えるのだろうか?
それはせっかくの自立の芽だったかもしれないのに。
根本的な自信の持てないあなたを変えるきっかけかもしれないのに。

相談すればそれでらちが明くと思うのなら甘いのではないか。
人にはそれぞれの価値観があり、年配者ならなおさら
今さら変えることはむずかしい。
何でも家族単位、仲間単位という方法は
誰かが自分の尊厳を捨てることで成り立っているのだとしたら?
しかも無意識のうちに。

説得や説教には限界がある。
まだしも行動を見てもらう方が希望が持てる。
筋が通っていれば心を動かしてくれるかもしれない。
長い目で家族を、ひいては自分を守るために
あえて荒療治が必要なこともある。
自分で自分を痛めつけていると感じるなら
思い切って抵抗してみればいいじゃないか。

もちろん家族は大切だ。
でも自分の人生の最後を恨みつらみで終わらせないことは
もっと大切だ。

もっとも、本気でしたいことがあるなら、誰に言われなくても
革命という言葉の意味を知らなくても
それをしているだろう。
家族の皆さんも、迫力負けすることうけあいだ。






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ふたりのおきさき 
こういうことになるずっと以前、知り合いがこんなハナシをしていた。
「私の友達が紀子さまと同級生だったんだけど、彼女スゴイらしいわよ。
礼宮にターゲットをしぼって必死にアピールしてたんだから。
それはもうやり過ぎくらいに」。
まあやんちゃそうな礼宮の方が魅力的かなと思ってはいたが
ここまで好かれたら本望だろう。
紀子さんは、皇族に入ること自体を狙っていたわけじゃなく
彼女なりのバイタリティーの発露が嫌味なほどだったのだろう。

目から鼻に抜けて天井を突き破るような雅子妃より、大人しそうな紀子妃の方が、実は女性特有の根性があったとは言えるかもしれない。

でも知り合いの言いたかったことは「見かけに寄らず何考えてるか
わからないわよね」という敵意に満ちたものだったろう。
女性は案外やみくもにトップを狙ってくるような野心があるから
こうした感情論になりがちなところがあるのかもしれない。
でも紀子さんは将来の天皇(?)の母ということも意識してなかったと思う。
そこがしなやかな強さのポイントであり、結果は結果に過ぎない。
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バス乗り場で 
3人の子供とベビーカーをかかえてバスに乗り込もうとしている
年若い母親を、後部座席に座って見ていた。
赤ちゃんをわざわざ抱っこしてから、ベビーカーを折りたたもうとしている。
バスはずっとエンジンを止めたまま、待っている。
ノンステップバスなのだから、ベビーカーのままひょいとかつぎあげたら?とはがゆくなる。でも彼女が力持ちとは限らないし、涼しい顔でパニクッている人もいる。四苦八苦している当人というのは、客観的に見て簡単なことにも気づかなかったりする。

子供がこれくらいの頃のことは、普段は記憶喪失のように忘れているものの、こうした風景に出会うと懐かしいような切なさが込み上げてもくる。
私はバスに段差があろうと階段であろうと、おろすのがもどかしくてベビーカーを子供ごと持ち上げた。オオザッパなのだ。
2人目を妊娠中の大きなお腹で、わざわざ電車に乗って気に入った産婦人科に通っていた。駅の長い階段を、気合をこめて2歳児の乗ったベビーカーごとかつぎあげ昇っていると、となりを昇る人がよく一緒に持ってくれた。そんな時こちらが躊躇していたら、人の流れに棹をさす。
だからお礼は後回しにしても、平然と持ってもらうのが義務だ。

他人はあわてふためいている人を前にどうしてあげてよいかわからないもの。善意に対しては、わかるように応じる。助ける方も、ちゃんと意志表示する。「何しましょうか?」「これしてください!」で、電車もバスも止まらない。
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空腹の人 
主婦は夢の自由業であると誰かが言ったがたしかに一面そうだ。
でもそれはあくまで自分のペースで動けることが前提。
それなら戦って自由を勝ち取れ。
知恵を働かせるのだ!
他の誰も替わってくれない、それでもしなければならないことを
するときに知恵は生まれてくる。
たとえば私の場合。
ある夕方、お腹がすいてイライラ、食事を作るのもおっくう、
それでも子供は時間になればピーピーと口をあける。
適当な物を与えておけば、すぐに風邪ひきという報復が来る。
落ち着け、そんな時の簡単メニューがいくつか用意してある。
ブログの趣旨からはずれるけれど一品紹介。
フラフラとかろうじて台所にたって鍋にお湯をわかす。
冷蔵庫に転がったアスパラとブロッコリーをザクザクきざみ、
パスタとともに塩ゆで。バターをまぜて冷ましておく間、
トマトとあればセロリを葉っぱごときざみ、ツナ缶と投入。
塩コショウ、パプリカ、たっぷりのマヨネーズであえたら出来あがり。
野菜を切るのもいやだというなら、すきっ腹にビールを流し込み
朦朧としながら切ればいい。
好きなDVDでもセットして、床にどっかりとあぐらをかき、
一人ムシャムシャと食す。
官能的に。動物的に。
子供たちが食卓につく頃には、先にたいらげてごちそーさん。
お腹も気分もおさまり、身体もスムーズ。
今日は一品だけだから、食後にフルーツヨーグルトでも出しましょう。
笑顔で言える余裕が生まれている。
何でも完璧にしようとがんばることはない。
育児も家事も、ワイルドで行こう!
腹が減っては戦は出来ぬ。
戦いは、きれいごとじゃない。(大げさか)
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ロハスな人々 
私の住むこのあたりは、緑の山や川のせせらぎという自然に囲まれている。新鮮な野菜もとれ、子供を育てるにはもってこいのところ。
一体どこの国からやってきたの?というようなデザインの巨大な蛾が、
何日も玄関先に止まっていたりもするところ。
まあ言ってしまえば、田舎だ。
刺激に飽きた都会人が、究極の贅沢を求めて住むのもアリだ。
ロハスな人々が好んで住みつくのか、ここに住むとロハスにならずにいられないのか。子供のママたちも、若いのに隠居したような人が多い。
あまりに健康指向だ。
たしかに私も、欲しかった子供が授かった時点で
もう人生のゴールとでもいうような安心感にみまわれ、
後は健やかに生きていこうとばかりに、
オーガニックな食生活やヨガにはまったこともあった。
でもそれは基本であってそれ以上ではない。
家事も嫌いじゃない。太陽の下、ピンとしわを伸ばしたシーツを干す。
主婦ならこんな小さなことに幸せを感じられるようでなければ、と自負していた。
でもこれも、基本であってそれ以上じゃない。
完璧な家事は趣味でやって欲しい。
子供は5歳も過ぎれば手がかからなくなる。
働くでもないロハスなママたちが、
睡眠の足り過ぎたピチピチの肌をしてドラマの話をしている。
ピカピカの笑顔がまぶしすぎて、なんだかもったいないようだ。
もっと違った笑顔が見てみたくなる。
たとえば好きなことにトチ狂って、眼の下にクマなんかできた
睡眠不足の鬼気迫る笑顔なんかがいい。
悪趣味だろうか?



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