サムライ、キリスト、ニーチェ、沢田研二… そしてミック・ジャガー
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地域の運動会で、近所の豆腐屋のおじさんを見かけた。
教会でも一緒の人だ。
余計なお世話だが、あまりに所在なさげに立っているので
近寄って「お元気ですか」と声をかけた。

彼は昔、内村鑑三の無教会派の伝道者の拠点として
自宅を提供していたという。そんな話になった。

「今の教会と無教会派では言ってることが全然違うんだ。
あっちは大人の教会、個人主義だ。
うちの教会はみんな一緒の家族単位だ。」
農業を営むふるさとに戻って家庭を持つ中で、
次第に流れに乗ったすえの転向なのか。

「自分の意志を持てないことについて疑問を持つ人は
いませんね」と言うと、
「そう、誰一人いないね。あなたみたいな人はね」と言う。
だからってどうにもならないね、もうこれでいいんだよ・・・

「これでも昔はべ平連に参加していてね」
話は熱気を帯び、顔が生き生きし始めた。
私は次のプログラムへの呼び出しに気をとられながら、
「でも団塊の世代なら思いは同じですよね」のような
適当なことを言うと、「とんでもない。少数派だよ」。

今の教会に所属し多数派となって安住したというわけか。
これからの時間をセンチメンタリズムだけで生きていくにも
彼ら面白い時代を生きてきた者に材料はことかかないか。

彼は私の出番もきっちり観戦してくれたようだ。
それにしても彼はこんな所で何をしているんだろう。
泣けてくるほど所在なさげな顔をしながら
出し物を一つ残らず観戦し、
どうして楽しくもない場所に居続けようとするんだ。
私は、楽しい場所に居たい。
今も、これからも。







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お父さんはかわいそう 
日本のよくいるお父さんたちはなんてかわいそうなんだろう。
心底好きな仕事をしているならまだしも、会社でこき使われ
たまの休みも家族サービス。おこづかいは少なくたいした栄養も
とれず、なおかつ家族には見下されている。
涙なしには語れない。
情けないじゃないか。
もっと威厳を持て!と言いたくなるが、こういう人がへたにいばると
かえって泥沼化するのかもしれない。

でも物事はどちらか一方が全面的に悪いとは思えないから
なにか原因らしきものはあるはずだ。

たとえば、いっそのことバカになって小さなことにも感謝してみたら?
そうそう世の中に、本当の鬼嫁はいないはずなのだが。

女性の方も変な誤解を受けたくはないだろう。
お金をもたらすお父さんは、やはり尊いと思っているならば。

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天職を得た人 
初めて自分の書いたものが活字となって本屋にあるのを見たときは
嬉しかったが複雑だった。それは、レジ横によく置いてある
「これから出る本」という小冊子。
25歳だった私は「出版社の新人100人が選ぶ100冊」とかいう
企画に参加したのだ。たった3行だが、森茉莉の『私の美の世界』に
ついて書いた。この特大号は、ゴールデンウィークをはさんで
いつもより長く書店に出ていた。
その間私は生きた心地がしなかった。
「部長は手に取ったに違いない」

雑誌に載せる広告文に重大なミスをやらかして、大目玉をくらったところだ。
またなんか言われるんちゃうか。
「何だこの文章は! 会社の恥だ」
言われてもいない言葉が頭の中をリフレインする。

休み明け、おそるおそる出社すると部長は入り口の所で既に
「お出迎え」の姿勢をとって待機していた。
うやうやしく中に迎え入れられると、後は「絶賛」の嵐だった。
たった3行は、よほど彼の趣味にあったらしい。
赤鉛筆でぐりぐりと丸をつけながら・・・先輩たちに「特にここだよ」と
言って回りながら・・・身がすくむ。
著者でもないのにここまで喜ばれちゃっていいの?
わけのわからないまま、安堵感とともに
「この人は幸せな人だなあ」という思いが湧きあがってきた。
根っからの編集者だな。人の文章にここまではしゃげるとは。
彼は天職を得ているんだ!

「あれもこれも出来ます」という人より
「これしかないけど最高なんです」という雰囲気の人って
素敵じゃないか。

人に文章を誉められたのはこれくらいで、後は覚えていない。
とすれば、それは、なかったのだ。
この時の印象が強過ぎたのか。
オニの編集者の無邪気な姿は、それだけ残るものなのだ。

人はやっぱり一人では生きていけない。
こうした数少ない人の承認に支えられ、導かれて
また私も書こう、書けると思えるのかもしれない。

いや、書こうと思った時に、はじめてそうした情景が浮かんでくるのだ。
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植物採集の人 
親子で植物採集という企画に参加した。
かんかん照りに長そで長ズボンでも苦痛じゃなかったのは
ひとえに指導の先生がおもしろかったから。
何がって存在そのものが。
植物が何よりも好きなために、子供たちのどんなくだらない質問にも
嬉々として答えている。
楽しそうな人を見ているのはとても嬉しい。
ずんずん歩いていくあとを「どこまでもお供します!」
という気になってしまう。
夢のある男に貢いでしまう女がいるとすれば
そんな気持ちが少しわかった。
そういえば生命保険のCMで「ディズニーランドへ行って何が面白かった?」
と聞かれて「パパ」と答えるこまっしゃくれた子供もいたなあ。
親バカそうな語り口もなんだか不快な1本だった。
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家庭的なあのひと 
本やブログを書いておいて何だが、これらを「読んでね」とはなかなか言えない。それでも本については、機会をみて少ないながら伝えてきた。
子供を通じた母親仲間の中には「私より主人の方が読んでるわ」という人もいて、チラッと見かけるだけの彼らにストリップして見せているような気分も否定できない。
我々母親にもいつも和やかに接してくれるお父さんがいた。
家庭的で子煩悩な彼なら、奥さんに借りて読んでるかななど勝手に思っていたが、実際は逆のようで、内容には興味がないらしかった。「まえがき」だけを見て「佐藤さんらしいな、主婦だけにあきたらない」と言っていたという。
この言葉の響きを、私は肯定的に受けとめられなかった。

我々の母親たちは核家族・専業主婦のはしりだったからか、私の夫含め保守的な男性はまだまだ多い。というかそれも男というものの性質の一端をあらわしているのだろうか。私のようなはみ出し者は彼らから、「大人しく主婦やっとけ」と頭を抑えつけられている気がする。
いい身分じゃないか。
いったい何が不満なんだ。
女性解放運動に従事してきたフェミニストたちも、彼らにかかればまとめて「青筋をたてる人たち」のカテゴリーに入れられてしまいそうだ。

彼らこそいったい何が不満なのか。
実は彼ら自身が男女を超えた本当の性役割を生きていないせいだったりして。
しかし、である。
じゃあ最初から、制限しませんご自由にどうぞと言われて得るものはあるのか。まず男らしくあろうと努め、何かが違うと感じ、気づいたときに初めてオリジナリティーは得られていくのではないか。
元も子もない言い方だが、しばられている人は美しい。
正常と異常のハザマで狂わないように生きていく。
性役割にしばられつつも自分を見失わずに生きていく。
人間美を問うことで、しばるものさえも生かせればいい。
独自の道を歩み出すといっても、そうスムーズにいくものじゃないが。
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炎天下の駐車係 
殺人的な猛暑の中、定年後のアルバイトなのか駐車場の誘導係をしている老年期の男性を見かける。
施設に入るとき立っていて、出るときにまだいると、「何時間交替なのだろう」「あんなぴっちりした長そでの制服、熱射病にならないか」と気になって仕方ない。
「男は体力があるはずだ」とまぼろしをふりはらう。
場合によってはこんなに心配な駐車場のおじいさんと、3年前けんかした。
何かを高飛車に命令され、思いきり言い返してしまったのだ。
私はおっとりとして見られがちだが、以前は時々やった。
相手はいつも男性だ。
悪いが「男は冷静に話を聞いてくれる」という思い入れがあるのだ。
駐車場係も次に会った時は笑顔だった。
論理を下からコツコツ積み上げるように話を理解する彼らはあまり怖くない。
逆に女は何を言い出すかわからない怖さがある。
私も、サッカーでいきなりゴールをねらってくるような話の展開をして、彼らに「オイオイ、いきなり何だ」とアワを食わせているかもしれない。

男社会で器用に生きるキャリアウーマンたちは、子宮でものを考えるようなあり方を抑えつけて、けっこうストレスがたまっているんじゃないだろうか。ホルモンを無視しては女性は語れないところがある。
男女平等とはそれぞれの特性を生かしてあるもの。だから、男は男のよさがあるだろうと信じて、敬意を持ちたいのだ。

今週一杯このブログはお盆休みをいただきます。ごきげんよう。
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のさばる人 
3,4年も前だったろうか、その頃恒例になっていたスキー旅行に
本を持っていって旅館で読んでいた。
親戚の男性が目ざとく見つけて、人のものを覗きこんだ。
人の本のタイトルが気になる人と気にならない人がいるものだ。
それは置いておいて、彼は人のものについてこう叫んだ。
「わーはっはっは。紳士道と武士道!こんなの読む奴いないぞ!」
「あっそう。ほっといてよ」
だからあなたはみんなの読む漫画が好きなのね。
おっと子供のけんかはやめておこう。
別にみんなと違うことを自慢したいわけじゃない。
しかしこれは隠すべき本だったのか。
たいして参考にならなかったから、家に置いておくべきだったか。
それとも、彼の前では「飾らない私」でいるべきじゃなかったかも。
のさばらせたのは、私か?

謎めいた言葉ばかり発する人がいる。
もうクセになっているんだろう。
わかる人にはわかるよねーというニュアンスがある。
ムードを読めという。
それを理解できない自分を責めてはいけない。

私も物を書くときなど、つい謎めいた表現になることがある。
でもそれはたぶん「これは断定できない事柄だ」とか
「あからさまに言うのは美意識的にどうか」といった
認識があってのことだ。
少なくとも「かっこいいだろ、俺」という気分ではないはずだ。

「わかるだろ、俺」というのも苦手だ。
たとえば、私がミックという男のことをたまたま上手くまとめたからと
「じゃあお前、男のことがわかるんだろ?」と解釈されても困る。
私は女きょうだいだからか、男に憧れをもっている。
ロマンに導かれて理解に努めた、わからないシロートの一生懸命さ
それだけが形になったのだと思う。
「言葉の裏を読め」とか「男には強がりってものがあるんだ」とか、
だいたい私には冗談も通じない。
言葉をそのまま受けとって悩んだり心配したり大変だ。
だからといって、いい気にならないで欲しい。
そのまま「のさばる人」のカテゴリーに放りこみたくなるから。



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